第48話 【侯爵家と炎帝の学院入学試験 8 】

「それにしても、これは本当に凄いな……」


 レイラの実家前へと到着した俺達だが、俺は建物をまるで囲むように存在している庭を見て、そんな呟きを漏らす。


 さすがは侯爵家というべきなのだろう……数百メートルにわたって存在するそれは、もはや庭園と呼ぶことが出来た。


 直方体のレンガや石を幾つも使って作られている、歩行のための道や橋。


 そしてその石道の両端には生い茂った緑草が存在している。もちろん、ただただぼうぼうに生い茂っている訳では無い。

 目を楽しませるかのように美しく伐採、調整されており、思わず踏むのをためらってしまう程であった。


 更には神水と呼ぶことの出来るほどに透き通った美しい水を溜めこんでいる池に、様々な美しい色彩を持つ木々や花々が美しさを一層引き立たせていた。


 全て合わせて眺めていると、まるでこの空間が一種の芸術であるかのように、俺は錯覚してしまう。


「……ん、これはお父さんやお母さんの趣味。凄いでしょ?」


「……ああ、これは本当に凄い。こんな美しい物は今まで生きてきた中で初めて見たよ」


 俺はレイラのその言葉に呆然とした様子でそう返す。


 そうして俺達がしばらくその場に立ちつくしていると、不意に何処からかガシャガシャと言ったような金属のこすれる音……つまりは鎧の揺れる音が聞こえてきた。


「……?」


 俺はそれによって我に返り……そのまま横を振り向くとなかなか上等な装備をした、恐らくは兵士が数名、こちらに向かって走ってきているところだった。


 まぁ俺は、特に向かってくる彼らに対して敵対心や警戒心を抱いたりはしない。


 街中の、しかも大貴族の屋敷の前で問題行動を起こすとは思えないし……なにより、彼らには全くと言って良いほどに敵対心がないことを俺は直感で理解したからだ。


「そのお顔……まさか、レイラお嬢様ですか!?」


 そうして、俺達の前に到着した彼らが一番に告げた言葉がそれだ。


 レイラ……という名前が出てきたことから、恐らくは彼女の知り合いだと思う。

 俺はチラリ、と横目でレイラのことを見た。


「ん、警備兵……というか、見回りの門番みたいなものだね。この人達は昔からうちで雇ってる兵士達だから、顔見知り」


 恐らくは俺の心情を察してくれたのだろう、レイラは小声で耳打ちをしてきた。


 なるほどな。

 彼らは今日も警備という職務に当たっていたが、レイラが立っているのを見て、こちらに駆けつけてきたということか。


 俺が内心でそんなことを考えていると、レイラは周りをキョロキョロと見渡した後に……口を開いた。


「ん……お疲れ様。今日はお父さんからの手紙を貰って返ってきた」


「おお、やはりそうですか。もちろん御館様から話は聞いております。でしたら直ぐにでも顔を出した方がいいでしょうな」


「ん……そうする」


 レイラと、おそらくはリーダー格なのだろう、強面の顔をしたガタイの良い兵士がそう話す。

 顔に似合わず、なかなか優しい声色をしていた。


「それで、そちらの少年は一体……?」


 するとその兵士は、今度は俺についてをレイラに聞き出した。

 その厳つい顔には、疑問と困惑の表情が浮かんでいる。


 レイラが帰省するという事は聞いていたのだろうが……どうやら、俺についてのことは聞いていないらしかった。

 そんな事もあって、レイラが俺のような見たこともない平民を連れてきていることに、訳がわかっていないようであった。


 ……まあただ、それもそうか。

 本来なら俺のような平民が上級貴族である侯爵家の屋敷の土を踏むのも、おこがましいし。


「ん……カノンだよ。お父さんに連れてくるように言われてたんだけど……聞いてない?」


「そうなのですか?特にそのような連絡は受けていないのですが……」


「そうなの?でもまぁいいよ。事実だし、連れてくから」


 と、レイラはかなり強引にそんな旨を伝えた。


 彼らとレイラの関係は、主の娘と警備兵と言ったようなものである。


 なのでそんなことを言われたら彼等も強く断ることは出来ないだろう。しかし怪しい人物を屋敷の中に入れることなどは絶対にできない。

……などといったふうにその二つが葛藤し、彼らもかなり困った事になるのではないかと俺は思ったのだが、


「相変わらずですね。分かりました、カノン殿ですね。ではこちらの方から記録をつけさせてもらいますので、そのまま入館してもらっても大丈夫ですぞ」


 ……と、彼はすんなりあっさりとそんな事を話したのであった。


「え、大丈夫なんですか!?」


 俺は驚愕からそのような言葉を漏らす。


 もっと渋られたり、疑問視されたりと言ったよう反応を予想されたのだが……実際はそんなことは全くなかった。


 この屋敷を護衛する兵士としてその対応はどうなのか……と言うふうに俺が思っていると、その男はこちらの考えを察したのか、視線を向けながら話した。


「レイラお嬢様が虚言などをお吐きになるはずがありません。……というか、レイラお嬢様が白と言ったら白、黒と言ったら黒になるのは当たり前でしょう?」


「まぁ、それは……」


 後半の内容については明らかにどこかおかしかったが……しかし、前半については俺にも納得できた。


 しかしまあ、いくらなんでもレイララブ……というか、忠誠を誓いすぎでは無いだろうか。

 俺は苦笑しながら、内心でそんなことを考えてしまう。


 だが、それを口に出せば下手に状況を悪化させる可能性もある。


 という事で、とりあえず「……ははは」と愛想笑いを浮かべておいた。


「……では、ご案内の方は必要ですか?」


 彼は意識を切りかえて、レイラにそう問いかけた。


「……ん、いらない。カノンと二人きりで良い」


 しかしレイラはそんな彼の提案も、淡々と突っぱねる。

 その言葉を聞いて苦笑する男。


「こうしてお会いするのはかなりお久しぶりですけど……やっぱりお嬢様らしいですね。……分かりました、では私達は職務に戻らせてもらいます」


「うん」


「改めてお帰りなさいませ、お嬢様。……カノン殿も、レイラお嬢様とのご関係は存じませんが、どうかこらからもよろしくお願い致します」


 そう言ってお辞儀をしてくる彼らに対して俺は呆然と立ち尽くしながら「は、はい」としか言うことが出来なかった。


 そんな俺を見て笑みを浮かべる男。


「では、これにて失礼致します」


 そう言い残して、彼らはガシャガシャとその鎧を揺らしながら、元来た道を戻り職務を再開したのであった。


「……なんか、凄い個性的な人だったな」


「ん、そう?」


「でも好感は持てるよな。まさに武人……いや剣士って感じがしてさ。……いやまあそれは良いか。とりあえず彼らにも許可されたことだし、早くイーグリア侯爵の所に行こうか」


「ん……」


 俺達は互いにそう話し合って、ついにレイラの実家である屋敷の庭園に一歩を踏み出した。


 白石道をゆっくりと歩いてゆく。

 時折俺達の頬を流れるそよ風がとても心地よい。


 そこはまさに『楽園エデン』という単語でしか形容できないほどに、どこか神秘的であった。


「ん……」


 そうして数分歩いていくと、ようやく屋敷の巨大な扉の前に俺達は立つ。


 レイラは実家に帰ってきたという安心感をようやく実感したのか、どこか和やかで穏やかな雰囲気を醸し出しながら、ギィィ……と、扉を押し開いた。


「おぉ……」


 俺は当たり前だが、このような上級貴族……いや、そもそも貴族の屋敷に入るというのは初めての経験である。


 床にしかれているフカフカのカーペットや所々に飾られている骨董品や絵画などの美術品に、圧倒的に目を奪われていた。


(す、凄い。……一体これだけでいくらするんだろうか。星金貨が十枚あっても足りなさそうだけど。……えと、学校での俺の生活費が1ヶ月金貨1枚だったから、ざっと……せ、千倍!?………………ほぇ……)


 そんなあまりの驚愕から、もはやあほ面を晒しながら呆然と立ち尽くす俺。


 そんな俺を見ていたのか、レイラはこちらを眺めながら「どうしたの?」と、こてんと首をかしげながら話した。


 いやいや、どうしたのじゃなくて。

 こんな光景を普通の平民が見たら、誰でもこんな反応するから。


 などと俺が内心で考えていると……またもや不意に「……お嬢様?」という、今度は可愛らしい声色が聞こえてきた。


「ん……あ、メアリス」


 俺は我に返り、そのメアリスと呼ばれた人物を見ると……そこには洗濯物のかごを片手に、こちらを呆然と見つめてくる可愛らしい少女がいた。


 おそらくは歳の頃は俺やレイラよりも一つ下、と言ったところだろう。


 とても可愛らしい顔立ちをしており、その紅い髪の毛と瞳が特徴的であった。


「お久しぶりですっ!お嬢様!!」


 とても元気はつらつと言った様子で、メイド服をヒラヒラとさせながらこちらへの距離を縮めてくるメアリスさん。


「ん……久しぶり。……今日はお父さんに言われて帰ってきたんだけど、何処にいる?」


「あ、はい!お話は伺っております。御館様は今は執務室の方でお仕事の真っ最中です。お嬢様がお帰りになった際は、直ぐにでも執務室へと来るように、という旨を預かっております!」


「ん、分かった」


 片方は淡々と、もう片方はとても幸せそうに、そのような会話をする美少女二人。


 ひょろひょろだが俺とて男である。

 そんな美少女二人を眺めていると、「目の保養になるな」などという気持ちを抱いてしまった。


「それで、貴方がカノン=シュトラバインですか!?」


 唐突にメアリスさんは、まるで野生の獣のような鋭い視線を俺に向けながら、そんなことを叫んだ。


 その瞳には敵対心……というよりは、警戒心があるのが見て取れる。


 ……え?俺、彼女に何かしたっけ?


「は、はい。そうですけど……あの、どうしてそこまで不機嫌に?そんなに睨まれると、結構ビクビクしちゃうっていうか……」


 俺の苦笑に対して、彼女は先程から「ぐるる……」と喉を鳴らしながら、睨みつけるだけだ。


 まるで『獣人族ビースト』だ。


 直接的に被害がある訳では無いが、初対面の相手に……しかもレイラとは仲の良さそうな少女に、ここまで敵対視されるのはあまり面白いことではない。


 どうしてこうなったのか、理由はなんだろか、などと俺が考えていると……唐突に、メアリスさんは小声で呟いた。


「………………私、絶対に負けませんから」


「……え?」


 負けない?何に?一体何を?


 負けない……という事は、恐らくは何かの勝負なのだろうが、俺はその何かがよく理解できていなかった。


(……俺と彼女が勝負だって?何を?……はぁ、全くもって意味がわからないぞ……)


 ここまで深く考えても、答えらしい答えは出てこなかったので、俺は彼女に真意を問いかけようとしたが……


「ふん。……ではお嬢様、私が案内致しますので、着いてきてください!!」


 すぐにそっぽをむいて片手で洗濯物のかごを持ちながら、そのままスタスタと歩いていったのであった。


「あ、あの……」


 俺は反射的に手を伸ばしてしまったが……しかし、すぐに引っ込めた。


 直感で何となく理解する。

 恐らくは今ここで俺が何を話そうと、彼女は敵対心をとくことは無いだろう、と言うことに。


「前途多難だな……」


 俺は「はぁ……」と大きくため息を吐きながら、そんなことを一人げに呟いて……そして、黙ってそのままメアリスさんの後を追うこととした。


 そんな時、何となくレイラの事を俺は横目で眺める。


 何故かレイラはこれからの事に、まるで自身の父親であるイーグリア侯爵と面会するのが少し憂鬱であるかの様な表情をしていたのだが……俺には、その理由がよくわからなかった。




 そうしてメアリスさんに連れられて、俺達はレイラの父親のイーグリア侯爵が待つ執務室へと向かっていく。


 そんな中でも、やはり俺は壁に掛けられている絵画などの価値にどうしても目を奪われてしまっていた。


 というか、そもそも今俺が歩いているこのカーペットですら、なんとなく踏むのを躊躇われるほどである。


(……こう見ると、レイラは本当にお嬢様なんだなぁ)


 少し失礼であろう、そんな考えを俺は内心で思う。


 基本的にそこまで口数も多くなく、またお嬢様というイメージもあまり無い。

 ……まぁ、外見だけでいえば間違いなく一国の王女と言われても、おかしくは無いが。


 とまぁ、そんなイメージを俺は彼女に対して持っていたのだが……しかしこうしていると、どうしてもそんなことを思わずにはいられなかった。


「ん……到着したよ」


 俺がそんな事をぼうっとした様子で考えながら歩いていると、俺の後方を歩いていたレイラが不意にそんなことを呟いた。


 俺は我に返って前方を見ると、そこにはなかなか立派な扉が存在していることが分かった。


 どうやら、ここがイーグリア侯爵の執務室であるらしい。


「ふん。くれぐれも失礼の無いように!」


 その言葉は、恐らくは俺に向かって発したものだろう。


 まぁ、少し自信はないがここで話を拗らせるのもどうかと思うので、俺はとりあえず「はい」とだけ頷いておいた。


「御館様。レイラお嬢様とお客様の……カノン、様をお連れ致しました」


 コンコンと軽快な音でノックをした後に、メアリスさんは少し複雑な表情でそう告げた。


「ああ、入ってきて大丈夫だよ」


 すると、扉の向こう側からそんな言葉が聞こえてくる。


 その声色から意外と若いのかな?なんて思っているとメアリスさんが扉の二枚あるうちの片側を開けた。


 そうして歩みでると、この扉の直線上に立派な机があり、そこには一人の男が居座っているという事が視界に入ってきた。


「やあやあ、長旅ご苦労さま。よく来たね」


 そう。

 彼こそこの屋敷の主で、イランダルを治める領主、レイラの父親であるイーグリア侯爵であった。

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