第40話 【大暴走と黄道十二星座 20 】

「……カノン?」


 カノンの瞼が全て閉じ意識を失った直前、隣にいたレイラが、なんとか声を振り絞ってカノンのことを呼びかける。


 ……が、しかしカノンからの返事はない。


 その事実にレイラの顔が真っ青になる。


「カノン!?」


 焦りから声を荒らげる。

 その時の彼女は、まるで別人のような様子であった。


(……え?嘘……)


 そして、レイラは気付く……カノンが呼吸をしていないという事実に。


 彼女の心臓がバクバクと動悸する。

 その事が指し示す真実は一つだけ。


 ……しかし、彼女はそれをかたくなに受け入れようとしない。


 ーーカノン・シュトラバインは死んだという事を、だ。


「ん……早く起きてよ。あのレッドドラゴンを倒さないと……」


 レイラは倒れているカノンの身体を揺すりながら、そう呟く。


 しかし、案の定カノンからの返答はない。


「っぅ……!!」


 その時になって……レイラは血が出るほどに唇をかみ締めながら、ようやく真実を受けいれた。



 カノン・シュトラバインはもう居ない。



 冒険者であり、彼女のパーティリーダーであったカノン・シュトラバインはもう居ない。



 いつも彼女に優しく、初めて一緒にいて楽しいと思えた人……カノン・シュトラバインはもう居ない。



 ……彼女の大切な存在であるカノン・シュトラバインはもう居ない。



(……あ、そうだったんだ……私、やっぱりカノンのこと好きだったんだ)


 レイラはようやくそのことを自覚する。


 初めてあった時から興味はあったが、しかし恐らくはそれは恋愛感情ではなかった。


 しかしカノンと共に仕事をして、一緒に祭りに行って……一緒にお喋りをする。


 短い時間ではあったが、そんなことを経験してレイラ・イーグリアという女性はカノン・シュトラバインという男性に恋をしていたのだ。


(ん……カノン……)


 彼女は全身の力を抜いて無抵抗となりながらそう考える。


『ガアアアアアアアアァァァ……』


 そんな間にも、レッドドラゴンは横たわる彼女とカノンの方へとゆっくりと近づいてきていた。


 恐らくは距離から考えて、数十秒もしないうちにレイラはレッドドラゴンに殺されるだろう。


 ……が、しかし彼女はショックと後悔から抵抗する気などさらさらなかった。


 ──自分の無力故に、カノンを死なせてしまったという事を後悔していたのだ。


(カノン……私もそっちに)


 レイラがそんなことを考えて十数秒……ついにレッドドラゴンが止まり……そのまままたもや口からドラゴンブレスを吐き出そうと準備する。


 これはレイラ達を警戒しての選択である。


 最強種族の自分を手負いながらも、ここまで追い詰めたレイラ達を警戒しての。


 レッドドラゴンは竜種という事で、とても知能が高い。


 至近距離からのドラゴンブレス……僅かな抵抗の可能性を無くすため、肉体ごと消滅させようとしたのだ。


 残り少ないエネルギーを使い果たしてもである。


 そしてレッドドラゴンはエネルギーを溜めて、溜めて、溜める。


『ガアアアアアアアアアアアアアアアアァァァッッ!!!』


 ……そうして、レッドドラゴンは咆哮のブレスを放つ。


 距離は数十メートルも無い。

 コンマ一秒にすら満たない時間……。

 レイラは走馬灯のようにゆっくりと動く時間で覚悟を決めた。


(……ん)


 死の覚悟を、だ。


 そうして、彼女を迫り来る消滅させようと、迫り来るブレス。


 ……が、運命はまだ彼女を死なせるときではないと判断した。


 レイラはこのままレッドドラゴンのブレスで死のうとしていたのだが……


 ──しかし、そうはならなかった。


『ほほほ、そう簡単に生を諦めるでない』


 ザザザザザザザザザザサザザザ……ザンッ!!!


 レイラを飲み込もうとしたその瞬間、エネルギー自体を斬る程の圧倒的な斬撃が瞬間的に幾度も放たれて……その余りの威力に、逆にブレスがこの世から消滅してしまったのだ。


 レイラの前に立つ人影が一人。


 レイラはそれを見て今までにない程に目を見開く。




 そう……そこに立っていたのは先程ブレスによって死んだはずのカノン・シュトラバインだったのだ。


「……っ?」


 ……しかし、そのカノンを見たレイラはどこか違和感を覚える。


 カノンは死んでいなかった。

 ……本来なら、嬉しさなどの感情から歓喜する場面である。


 いや実際、彼女の中にはそのような感情が渦巻いていたのだが、……しかし、それが表に出る前にいつもとは違う違和感を感じたのだ。


 だから、素直に喜んで良いのか分からない。


 ……そして、それは正しかった。


『はて、現界するのはいつぶりだろうか?……一万?十万?……正確なところは分からぬが、やはりこの大地はいつまでたっても美しいままよ』


 いつものカノンとは似ても似つかない口調。


 一見姿は変わっていないが、身に纏う気配には思わず跪きそうな荒々しい程の神聖さが存在していた。


 一言話しただけでレイラだけではなく、その場にいた冒険者や騎士全員の背筋が凍り、思わず息を飲む。


 身動きなどは出来るはずがない。


『しかし、現界そうそう我を攻撃するとはな……。良い度胸では無いか?』


 カノンはギロり、と視線をレッドドラゴンへと向ける。


『ガアアアアアアアアアアァァァッッ……』


 レッドドラゴンはその威圧に思わず萎縮しそうになったが……竜種の力の影響か、なんとか抵抗する。


『ほう、なかなかやるでは無いか……』


 カノンは称賛からかそう呟く。


 どこか不敵な笑みを浮かべたまま……傍らに刺さっている木刀を


 ……そう、負傷しているはずの左手でだ。


『しかし、所詮はトカゲ風情。……の一柱である我の足元にも及びはせんよ』


 カノンはそう呟きながら、木刀を左手で構える。


 全く隙の無い構え。

 剣を扱う者には分かるだろう。


 才能のあるものが生涯をかけても習得できないほどの……神の領域のそれだという事を。


『ガアアアアアアアアアアァァァッッ!!!』


 レッドドラゴンはそう威嚇して、唐突に戦いが始まった。


 ……いや、最早戦いとすら呼ぶことが出来ないほどに圧倒的な……それこそ、それは蹂躙という表現が正しかった。


 単体で小国程度なら圧倒する程の実力を持つ、危険度Aのレッドドラゴンを、だ。


 先手を打つのはレッドドラゴン。


 立場が逆転。

 レッドドラゴンは先程から本能で危険だという事を感じ取っていた。


 よって、先制攻撃。

 殺られる前に……殺る。


『ガアアアアアアッッ!!!』


 レッドドラゴンは全てを切り裂く最強のドラゴンクローを横から放つ。


 もはや、レイラの『有翼の龍蛇アジ・ダハーカ』を錯覚させる。

 空間ごと切り裂くような、それほどに鋭い一撃。


 ──しかし、カノンにはまるで通じなかった。


『遅い、軽い、弱い。……手を抜いておるのか?』


 ……驚く事に、何テンポも遅れた状態からカノンはその一撃を受け止めたのだ。


 それも真正面から。

 ーー


『ガアアアアアアアアアアァァァッッ!!?』


「なっ!?」


 これには流石のレッドドラゴンとレイラも驚くしかない。


 あのレッドドラゴンの攻撃をいとも簡単に……まるで、赤子の手をひねるかのように簡単そうに受け止めたのを見て、レイラは「……化け物」と呟いてしまう。


 レッドドラゴンは自分の攻撃が簡単に対応された事に苛立ちと驚愕を覚えたが、今はそれどころではないという事で、すぐにそこから双翼を使って旋回……緊急離脱をしようとする。


 空から攻撃しようと考えていたのだが……


『させる訳がなかろうに』


 ……圧倒的な握力。圧倒的な腕力。


 カノンは右手一本でレッドドラゴンの左手をギチギチと掴み続け……その場から離脱させない。


『ガアアアアアアアアアアァァァッッ!!?』


 レッドドラゴンはあまりの痛みにそう咆哮をあげるが、カノンはまるで気にしない。


『竜ごときが調子に乗るではないぞ』


 そう言いながら、レッドドラゴンの胴下へと回り込み……楽しげに木刀を振るう。


『くはは、愉快だのぅ』


 ……リン、と。

 カノンが木刀を横薙ぎに一閃した瞬間……。


 レッドドラゴンが真上へと、吹っ飛んだ。


 ……比喩ではない、言葉のとおりに空気を切り裂きながら真上に吹き飛んだのだ。


 体重数十トンはあるレッドドラゴンを、余裕そうに片手ではなった一撃で、楽々とである。


 更にはその余波か……上空に存在している大量の暗雲が風の斬撃が飛ばされたのごとく、真っ二つに切り裂かれた。


それに沿って、陽の光が大地を照らす。


『ガアアアアアアアアアアァァァッッ!!?』


 またもや訳が分からずにレッドドラゴンは咆哮。


 たった一撃。

 たった一撃だったが、最早今の攻撃でレッドドラゴンの胴体は泣き別れそうになっていた。


 大量の鮮血が流れる中……しかし、レッドドラゴンは諦めない。


『ガアアアアアアアアアアァァァッッ!!!』


 痛みを無視しながら、最後の攻撃とばかりに空中で体勢を整えカノン目掛けて一直線に突っ込んだ。


 まさに紅い流星。

 手負いのはずであるのに、これまでで一番の速度であった。


『ほう?ほうほうほう、今のを耐えるか……。丁度、殺せる程度に放ったつもりだったのだがのう。愉快、愉快。……これだから現世は癖となる』


 しかし、カノンはそんなレッドドラゴンをものともせずに、心底楽しげに話す。


『その意気込みや良し。なんと言ったかのう……おお、そうだ。小童こわっぱの持つ『秘剣』とやらで、一思いに射止いとめてやろう』


 カノンはそう言って、左手で木刀を中断に構える。


 隕石が落ちてくるがごとく、突撃してくるレッドドラゴン。


 もしこれが大地に突っ込めば、辺り数百メートルは陥没し、それと同じ規模蜘蛛状に大地が砕けるだろう……それほどの一撃。


『ガアアアアアアアアアアァァァッッ!!!』


 自身の命を燃やしながらのその咆哮。


 ーーーしかし、それを持っても尚……今のカノンには全く通じなかった。


『……確か、こうであった様な』


 カノンは愉しそうに、カラカラと笑った。


『面妖なであるの……秘剣六式ー『六花りっか』』


 レッドドラゴンとカノンの影が交差した瞬間……六連撃の『秘剣』がレッドドラゴンの四肢、双翼……そしてその首を、まさに光の速さで切り裂いた。


 綺麗な花の紋様が斬撃によって描かれる。


 そして、バラバラにされたレッドドラゴンの部位が、それぞれボトボトと大地に鮮血を撒き散らしながら落ちる。


 まさに一瞬の出来事。


 レイラはそれを見て最早どのような表情をすれば良いのか分からずに、思わず反応に困った。


「……見えなかった……速すぎて」


 あの『秘剣』はレイラの目を持ってしても影すら追うことのできない速度であった。


 振ったと思った瞬間に、振り終わっている。


 まさにそれだ。


(ん……まあ、正確にはあのカノンが秘剣を使ったから、身体能力と合わさって見えなかったってだけだけど……)


『ふむ。裏表を使い分けるのが難しいのぅ。小童はこんな技をよく思いつく……』


 カノンはどこか難しい顔をしながらそう呟く。


 秘剣六式ー『六花』はただの六連撃では無く、剣……今の場合は木刀だが、それの刀身の裏斬撃と表斬撃を交互に使い、放つ六連撃である。


 一撃ごとにクルクルと刀身を回さなければならないが、しかしそれ故に一振りで六連撃を放つことが出来るのだ。


 もちろん、六回の斬撃を同時に生み出す訳では無い。


 しかし、限りなくそれを突き詰めたのが、『六花』という事だ。


『しかしこの程度とは。……力の一割も出ておらんわ』


 カノンのその呟きを……かすかにレイラは聞き取っていた。


 ……あれで実力の一割も無い。


 なんだあの化け物は。

 カノンであってカノンで無い。


 一体何がどうなっているんだろうか、レイラはそんなことを思ってしまう。


(でも、幸いなのが……敵じゃない事)


 そう。カノンはレッドドラゴンには敵意を見せたが、レイラ達には全くと言っていいほどに敵意を見せていない。


 これがもし敵だったら、どうなっていたのかは想像がつかないほどだ。


『ん?……おお、そろそろ時間であるか。……そこの娘よ』


 すると倒れているレイラに向かって、返り血で血まみれになったカノンがそう言ってきた。


「ん……私?」


『いかにも』


「質問……貴方は何?」


『ん?一言で、主らの言葉で言えば理想の集合体……神という存在よ』


「……神様?」


『うむ。……それよりも悪いのだが、この小童の肉体を頼んでも良きか?』


 カノンはそう言ってくる。


「……肉体?」


『うむ、憑依が解けるからのぅ。無防備と化すぞい?ぜひ、その護衛を頼みたい』


「……私、負傷者」


 レイラは自身の怪我の具合を見せながらそう返した。


『ほほほ。ならば、治してやろぅ』


 カノンがパチンッと指を鳴らすと、レイラの周りに自然エネルギーが集結する。


 みるみると怪我が治り、そして数秒もしないうちに、全快した。


「ん……流石は神様だけある」


 レイラは驚く事には驚いたが、先程からの摩訶不思議な現象ということで、割り切ることにしていた。


『……っと、もう憑依が解けるのぅ。我が抜けても暫くは小童の意識は戻らん……任せても?』


「ん……わかった」


『ほほほ、感謝しよう』


 と……レイラがそう返した瞬間、カノンはガクンと意識が無くなる。


 倒れ込むカノンをレイラがその身で受け止めた。


「……ん、レッドドラゴンが現れたり、神様が現れたり……とっても濃密な一日だった、よ」


 レイラは呟く。


 このようにして、帝都を混乱に陥れた『大暴走スタンピード』は幕を閉じたのだった。

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