侵略者
和田
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月五万のアパートのリビングルームに、仕事が終わって帰宅して、待っていたのはちゃぶ台に安いプッチンプリンを置いて食べている同居人だった。
数か月前、突然転がり込んできた同居人、僕の兄。嫌だったけれど、家族という言葉を持ち出されて断るに断れなかった。
背が高くて大柄な彼の前では、ちゃぶ台がおもちゃのよう。
玄関扉を閉めれば、蒸し暑い外の世界から隔絶されて、僕と彼だけになった。エアコンの効いた部屋はひどく冷たかった。
「それ、僕のプリンですよね」
フタに僕のなまえはない。僕の物だと証明できるとするなら、財布の底に突っ込んだコンビニのレシートだけだろう。
同居人はちらりと自分が咥えているスプーンに目をやった。ちょっとばかり滑稽な面をしていたが、僕は笑えなかった。
「どこにも、名前が書いていなかったから。てっきり食べていいものだと思ったんだ」
そう言ってまたプリンを掬って口に運ぶ。
三パックで百数十円のプリン。
そのうちの一つが、目の前で消費されている。
僕のものだった。
すまないの一言もなかった。
僕は黙って靴を脱いで、部屋に上がった。
その日は休日だった。僕はテレビを見ていた。
時代遅れのブラウン管は、時事ニュースを淡々と垂れ流している。暑いからといって点けっぱなしのエアコンの冷風が心地よいまま、体育すわりをしてテレビを眺めていた。
隣のちゃぶ台に乗っけてあった麦茶入りのグラスが、カタンと音を立てた。向かい側でテレビを見ていた同居人が、リモコンを取ろうとして体を起こしたから。
数字のボタンが押し込まれて、映像が変わる。
つまらないコメディ映画。音声を英語にして、字幕を日本語にされた。僕は英語なんてわからないのに。
同居人は昔、イギリスにいたという。だから英語のほうが慣れているし。日本語字幕で見ると日本語の勉強ができていいんだと。
「この映画、面白いな」
ワハハ、と口を開けて笑う同居人の頬には、床に置かれたまま封を開けたポテトチップスのカスがついていた。
僕は黙ったまま、コメディ映画を眺める。
映画を見終わっても、面白さは何もわからなかった。
僕は洋画にそれほど興味ないのだと、この時気づいた。
エアコンが、ごうと音を立てていた。
職場である学校の職員室で、生徒たちのテストの採点をしていた。僕の担当科目は日本史だけれど、学校側の意向で朝に英語のテストを行っているので、とうの昔に習ったきりそれほど覚えていない英語の採点を行わなくてはいけない。
今日のテストは単語の書き取りテストだった。
左側に日本語が書いてあるので、右側の回答欄にその日本語に適した英単語を書け、といったもの。
解答用紙を横目に、僕は淡々と赤ペンを走らせる。
窓の外ではセミが鳴いていた。大部屋用の大きなエアコンが音を立てて稼働していた。隣の机の女教師が持ってきてくれた冷たい麦茶に入った氷がからんと音を立てた。
テスト用紙には、英単語がずらりと並んでいた。
「この単語、昨日の映画で出てきたな」
つまらないワンシーン、慣れない英語、その中でなんとなく聞こえた部分的な言葉が、目の前に書かれていた。少し汚い手書き文字。
採点を続けて疲れてしまったのだろうか。バツ印を付けてしまった。が、取り消して丸を付けた。
その解答用紙は満点だった。
蒸し暑い夏の気温から、隔絶されたアパートの一室。その玄関。
僕の家だった。
靴が一つ増えていた。新品の黒いスニーカー。同居人は黒いものを好んで身に着けている。それを僕は、嫌というほど知っている。
リビングでは、小さなちゃぶ台でプリンを食べてテレビを見ている同居人がいた。
「おかえり」
と彼が言った。
足元の綺麗なスニーカーは、綺麗にそろえられている。初めからそこにあったもののように。
それを見て、僕は口走る。
「僕の場所だったんですよ」
なんてことを。
僕がずっと言いたかった言葉。
同居人は僕の声が聞こえていたのか、こちらを一瞥してまたテレビに目線を戻した。
僕の侵略者は、僕を知らない風に犯していく。
侵略者 和田 @w_d_aduma
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