第4話 ひとつずつの変化
フリィと暮らすようになって数ヶ月が過ぎた。
そういえば彼女は誰かに追われていたはずなのだが、追っ手らしきものが彼女を探している様子はない。一応、念のため、庭へ出るのはおれと一緒の時だけにし、彼女は柵の方にはなるべく近づかないよう、街には行かないようにと約束した。
ある日のことだった。
いつものように収穫したものイエーレのところに持って行ったのだが、彼女はおれが持ってきた果物や野菜を見ると、ふん、と鼻を鳴らして「馬鹿にするんじゃないよ」と言ったのである。
「馬鹿になんかしていない。どうしたんだ」
「そろそろ値段を吊り上げたらどうだい。毎度毎度文句の一つも言わないで。あたしに安く買い叩かれてることにいつになったら気づくのかね」
「そうだったのか。知らなかった」
「あたしゃねぇ、アンタが他の店に相手にされてなかったから、そこにつけ込んでるんだよ」
「そうだったのか。教えてくれてありがとう」
「はぁーっ、つくづく馬鹿だねぇ、アンタは」
「そうなんだ、おれは馬鹿なんだ」
「あっさり認めてんじゃないよ、まったく」
どうやらイエーレは、最初、ほんの冗談のつもりでかなり安い金額を提示したらしいのだが、おれに相場なんてものがわかるわけもなく、その冗談のように安い金額での取引が続いていたというわけである。しかし、さすがに良心が傷んだのか、これまでの差額だ、と言って、かなりの金を渡してきたのだった。そして、これからは正規の値段で取引させてもらう、とボロボロの歯を見せて笑った。
なので、その日は、いつもよりも革袋の中は重かった。頼まれていた食材だけではなく、何かフリィに買っていこう、なんてそんなことを思ったりして。
いつものように帽子を目深にかぶって華やかな街を歩く。通りに面した店屋の店員も、もうだいぶおれに慣れてくれたのか、悲鳴を上げてドアを閉めることはなくなった。
自分で言うのも何だが、おれは見た目が恐ろしいだけなのだ。商品を必要以上に触ることもないし、もっと安くしろと暴れたりもしない。欲しいものを指差して、示された額を支払ったらさっさと出る。だから、こいつは案外無害なのだと、わかってもらえたのかもしれない。そうだとしたら、嬉しい。
「もしもし、そこのお兄さん」
ふと、声をかけられた。
おれではないだろうと無視していたのだが、とんとんと肩の辺りを叩かれてなおも「お兄さん」と言われりゃ、馬鹿なおれでもさすがにわかる。振り向くと、おれよりも頭一つ分ほど小さい、なかなかに立派な丸い腹をした男だった。
何だ何だ、とおれは思った。
確かに最近は店屋の店員が悲鳴をあげることもなくなったけれども、それにしても、向こうから声をかけて来るなんてことはいままでになかったのだ。
「何だ」
「お兄さん、シャツがもうぼろぼろじゃないですか。どうでしょ、アタシの店、覗いていきません?」
「いや、いい」
「良くはありませんよ、あっちもこっちもつぎはぎだらけじゃないですか。何、仕立てていけとは言いませんって。古着なんかもあるんですから。ね、見てくだけでも」
「まぁ、それなら。――いや、待てよ。なぁ、お前の店には女物も置いているか?」
「そりゃあもちろん。あららお兄さん、スミにおけないですねぇ。プレゼントする女性がおられるのですか」
「まぁ、そうだ。日頃世話になってるからな。贅沢も何もさせてやれないから、何か、こう……ないかと」
そうだ、おれの物じゃなくて、フリィの物を買おう。おれのシャツがつぎはぎだから何だ。おれ自身がつぎはぎだらけなんだからお似合いじゃないか。それにこの服は、フリィがやってくれたのだ。おれのために。だから、これがいい。
彼に連れられて、店へ入る。
そう大きくはないが、明るくて、きれいな店だ。
「その方は、おいくつなんですか?」
「ちゃんとした年は知らない」
「ええと、お若い方で?」
「そうだな。若い。あの向かいの店の売り子くらいだと思う」
「ほぉ、成る程、アロージャくらい、と。それじゃ十七、八ってところでしょうか。では、こんなのはいかがでしょう」
店主が持ってきたのは、黄色い服だった。暖かい季節に咲く花のような色で、それを着たフリィの顔を思い浮かべると、ぴりりと頬が引きつってしまう。
「とてもきれいだ。これを買う」
「ありがとうございます」
そう言うと、そいつはそのきれいな黄色の服を、丁寧に丁寧にたたんで、柔らかそうなふわふわとした紙でそれを包んだ。そして、それを俺に手渡す前に、もうひとつ、小さな包みをその上に乗せた。
「これは何だ?」
「おまけですよ。何、そんな高価なもんじゃありませんからご遠慮なさらず。いや、アタシのかみさんのね、手作りなんですわ。これがまぁなかなかの出来なもんで、女性用の服を買ってくださった方にお渡ししてるんです」
かさり、と包みを開くと、中にあったのは、銀の糸で編んだような細工の髪留めだった。ところどころに四角くカットされた黄色いガラスがちりばめられている。
「ね、なかなかのもんでしょ? そうだ、今度これを着たその娘さんといらしてくださいよ」
「何で」
「何でって、言われましてもね。いや、服を売る人間としてはですよ、やっぱりそれを着た姿を見たいと思うものなんですって」
「そうじゃなくて」
「はい?」
「どうしておれにそんなことをしてくれるんだ」
「どうして、って」
「おれは、化け物だぞ」
「そうですかぁ?」
再び髪留めを包み直していた店主は、不思議そうな顔をして首を傾げた。
「お兄さんね、いや、確かにですよ。アナタちょっと変わったお顔立ちをなさっておいでです。アタシもね、初めて見た時は、その、ごめんなさいね、ちょっとびっくりしました。だけどもね、慣れてしまえばちいとも気になりませんって」
「そう……だろうか」
「そうですとも。それにお兄さんいつもさっさと買って帰るでしょう? それはきっと他の客を怖がらせないようになんだろうな、って思ってたんです。どうです、当たりでしょう?」
「だって、おれはこんなところにいてもいいようなものじゃないし」
「アッハッハ、何をおっしゃる。誰がそう決めたんです?」
店主は、丸い腹を揺らして笑った。
「ここいらはね、そんなお貴族様が来るようなところでもないんです。誰がいたっていいんですよ。そりゃあね、何も買わないのにずーっと長居されちゃあ、こっちもいい気分はしませんけどね。だけど、お兄さん、アナタはいつもちゃあんと買っていってくれるじゃないですか。無理に値切ることもしませんしねぇ」
何だ、値切るのが普通だったのか。
けれど、おれは、恥ずかしい話だが、計算というものがよくわからない。とりあえず、値札をよく見て、一番左端に書かれている数字よりも大きい数の金を出せばいいのだと旦那様から教えられただけだ。正直な話、釣りをごまかされたってわからない。
「どんなにこぎれいな顔をしていてもですよ、道に唾を吐いたり、買いもしないくせに商品をべたべた触ったりね、それから、当たり前のように二割三割引けって怒鳴ってくる客に比べたら、お兄さんの方がよっぽど紳士ですって」
「よくわからないが」
「いいんです、お兄さんはそのままで。ね、きっとまたお越しください。今度はぜひ、お嬢様を連れて。内緒で選んでプレゼントするのもいいですけど、一緒に見て回るのもいいもんですから」
そんなことを言われて背中を押され、おれは、店を出た。手には、ふわふわと柔らかな紙に包まれたフリィの服と、それから、髪留め。
何か今日はいつもとちょっと違うぞ。
そう思いながら、屋敷までの道を歩いた。
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