第3話 嘘をつき続ければ
おれの生活はそれから一変した。
まず、街へ行かざるを得なくなった。
何せ、おれには必要なくとも、フリィには必要なものがたくさんある。
例えば、身体を清潔にするための石鹸や、新しいタオル。服だって替えが必要だし、たまには肉や魚も食わせてやらないといけない。それに、新しい靴もだ。
おれは、帽子を深くかぶって街へ行った。
挨拶代わりに石を投げつけられることもあったが、おれは身体だけは頑丈なのだ。そんな小石なんて痛くもかゆくもない。ただ、それをフリィに知られると、ものすごく悲しい顔をされる。黙っていればわからないと思ったのだが、服が裂けていたりするとそれはたちまちのうちにバレてしまうのだ。
「街の人は、オイを誤解しています」
もう何度目かわからない裂けた服を繕いながら、フリィはそう言った。
「いいや、そうでもないさ。正しく見ていると思う」
おれは、毛布で身体を包んだまま、それが終わるのをじっと待っている。身体を見せるわけにはいかない。毎回、怪我をしているなら手当を、とも言われるのだが、恥ずかしいから嫌だと断っている。恥ずかしいのは事実だ。こんな身体、絶対に見せられない。おれは身体もつぎはぎだらけなのだ。
「どうしてそう思うのですか?」
「見た目が他と違うものを恐れるのは当然だ。自分達と違うものは怖い。もちろん、それで誤解を受けるおれみたいなのもいるんだろうが。だけど大抵の場合、恐ろしい顔をしているやつは、中身も恐ろしいに決まってる」
「それは……そうかもしれませんけど」
もし、鋭い牙や爪を持っている動物が目の前にいたとしたら、それに恐怖を抱くのが普通だと思う。その感情があればこそ、人々はその脅威を避け、平和な生活を送ることが出来るのだから。
だから、人々が、おれに対して恐怖を抱くことは決して間違いではない。と思う。
ただ少し、ほんの少しでもいいから、おれの中身を見てほしいとは思うけれども。
フリィは、針を持った手を止め、しばらくの間うつむいていた。そしてまた、思い出したように、ゆっくりと針を動かしていく。
「私、オイの頭が雲に見えるのには、何か意味があるんだと思っています」
「何だ、いきなり」
「意味があるんです、絶対に。だってオイの雲は、雨雲じゃないんです。真っ白なんです」
「言ってることの意味がよくわからんが」
「わかりませんか? 真っ白でふわふわの、青空に浮かんでいる雲なんです。晴れている時の雲なんです。もしもオイが本当に恐ろしい顔をしているとして」
「もしも、じゃない。何度も言うが、おれは、恐ろしい顔をした化け物なんだ」
「私は絶対に信じません。でももし、オイが本当に恐ろしい顔をしていて、中身もその見た目通りの化け物だったとしたら、きっと真っ黒の雨雲だったと思うんです。だから絶対に、オイは化け物ではありません」
ということは、いままでもそうだったのか? と聞こうとしてやめた。彼女がそう言ったきり、固く口を結んだからだ。だからこれはおれの推測になるが、きっと、彼女がこれまで見てきた人間はそうだったのだろう。元々の見た目がどうなのかはわからないが、彼女にとって良くない大人は、何か恐ろしい――あるいは不吉な頭をしていたのだ。
だから、いまのところおれは、彼女にとって良くない者ではない。そう思うと、何だか胸の辺りがざわざわした。
おれ達は、毎日庭の手入れをしている。
その中には、野菜や果物の畑もある。元々は旦那様が食べる目的で育てていたものだ。
しかし、旦那様がいなくなってからは、ただ育つを見るのが好きでやっているだけである。何せこいつらは、手をかけた分、大きく健康に育つ。誰が育てたかなんて関係ない。おれみたいな化け物であっても、だ。
ある程度育つと収穫して、選別したのち、塀の外に並べておく。旦那様が、見た目が悪いものや食べきれずに傷んでしまったものをそうしておくようにと言っていたからだ。すると次の日にはなくなっているのである。不思議だが、きっとあいつらは、地面に染み込むように出来ているのだろう。そうしてまたおれの畑に生えてきているに違いない。
食事は、ただ焼いたり茹でたりして塩で味付けただけのものだったのだが、街へ出るようになると、フリィは「この調味料を買ってきてもらえませんか?」「バターや牛乳も欲しいです」「もしここに小麦粉があったなら、ふわっふわのパンを焼いてみせます」などと言って、おれにお使いを頼むようになった。
金はまぁ、多少はあった。まだ旦那様がここにいた頃にもらっていた給金だ。けれどそれも乏しくなる。
金がなくなってからは、それをどう捻出するかについて多少頭を悩ませた。そこで、フリィの提案で、おれ達はそれまで捨てていた形の悪い作物を食べるようにし、良く出来た作物を市場で売ることにした。
市場の人間が言うには、おれの育てたものは色つやも良く、味も抜群らしい。それでいて、虫の被害を受けているところも少ないのだとか。最も、虫の被害を受けているものは、その部位をきれいに取り除いて、おれとフリィの腹に収まっているのだが。
何か特別な肥料とか、農薬を使っているのかと聞かれたが、肥料はその市場で買ったやつだし(売り子がおれの顔を覚えていた)、害虫は見つける度に取り除いているだけだと答えると、そいつは「まぁ、アンタに睨まれちゃあ、虫の方から逃げていくさね」と笑った。
そんな、虫も逃げるような化け物が作ったものでも良いのかと聞くと、
「何、作ったのがアンタだと知られなきゃ問題はない。その代わり、悪いこたぁ言わん。卸すのはここだけにするんだね」
と返って来た。
皆が皆、自分のような考えを持っているとは限らないし、その見た目の時点で話すら聞いてくれないだろうから、と、その人間――イエーレという老婆は言った。彼女もまた、おれほどではないが、市場の人間からは魔女だの化け物だのと呼ばれている女である。幼い頃に患った病のせいで、右の頬がわずかにただれている、それだけのことで。
しかし、彼女の扱う商品は質の割に低価格ということで、客は多い。市場の者達は、それがまた気に入らないのだろう。
こうして、おれは、採れた作物をイエーレの店に卸し、金を得るようになった。
食い物の味は相変わらずよくわからなかったし、食べる必要もないのだが、フリィが「今日のはとびきり美味しく出来ました」などと嬉しそうに報告してくると、「昨日のよりも格段に美味い」なんて嘘をついたりもした。
旦那様からは、何があっても嘘をつくなと教えられた。嘘をつくのは悪いことだ、僕の親友は絶対に嘘をつかなかった、と。
だから、嘘をつき続ければ、きっとおれはフリィにとって『悪人』になるはずだ。そしたら、おれは、晴れた日の真っ白な雲じゃなくて不吉な雨雲になるだろう。
おれが雨雲になったら、彼女はここを出ていくはずだ。
彼女はこんなところにいるべき人間じゃない。
おれはいまの生活を悪くないと思いながらも、どこか居心地の悪さのようなものを感じている。おれとフリィは違う生き物だ。一緒にいていいわけがない。
出ていけ、と強く言えたら良かった。無理やりにでも叩き出せたら良かったのかもしれない。けれども、おれは化け物であるだけでなく卑怯者でもあったようで、その勇気が一向に出てこないのである。
だから、たくさん嘘をつくのだ。
腹なんか空かないのに腹が減ったと言い、
味もわからないのに美味いと言う。
疲れてもいないのに疲れたと言って、
休憩しようと茶を淹れる。
その度に嬉しそうに笑うフリィを見れば、なぜか背中がざわざわするのだった。
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