第2話 捨てられた化け物
その女が言うには、おれの頭は『雲』らしい。
「『雲』と言われてもなぁ。あんなふわふわしてないぞ、おれは」
改めて頬に触れる。やはり、ざらざらのもじゃもじゃだ。多少弾力はあるが、硬い。雲に触れたことはないが、少なくともこんな感じではないだろう。
「わかっています。だけど、ある日突然そう見えるようになったんです」
茹でた芋に塩を振っただけのものと、庭で摘んだハーブを煮出して淹れた茶を飲みながら、女は表情を曇らせた。たぶん年齢的には『少女』なのだろう。かなり若い。一体靴はどこにやってしまったのか、小さな足は泥だらけの傷だらけだったが、まさかおれみたいなものが触れるわけにもいかない。洗い場を案内し、薬と包帯を渡すにとどめた。
「まぁでも、それなら納得だ。確かに雲なら怖くないもんな。なぁ、皆、雲なのか? それ以外の頭のやつもいるのか?」
せっかくだからと同じものを飲み食いしながら尋ねる。この身体の維持に特に必要ではないだけで、飲み食いは出来ないわけではない。
「ええと、動物の頭の人もいます。それから、花の人、あとは、虫だったり。それと……時計ですとか、空き瓶の人もいました」
「へぇ。面白いな」
そう感じたから、そう言った。
もし、人間が皆、彼女のように見えるのなら、おれのことを怖がったりしないだろう。何せ、雲だもんな。ああでも、皆が皆、同じようには見えないかもしれないのか。
「面白い……ですか。本当にそう思いますか?」
彼女は心底驚いたような顔をした。休みなく色を変えるその不思議な目を大きく見開いている。
「もちろん。おれは……お前にはわからないらしいが、その……ひどい顔をしてるんだ」
「さっきここを化け物屋敷とおっしゃっていましたね」
「そうだ。おれは、化け物なんだ。おれを見た人間は皆そう言うし、おれもそう思う」
そう言うと、彼女は、まぁ、といって口を押えた。その大きな目を涙に潤ませている。涙の膜が張られたその瞳はゆらゆらと揺らめきながら色を変え、何とも幻想的だ。
「お前がそんな顔をすることはない。もう慣れてる。だけど、もし、人間達が皆お前みたいな目を持っていたら、おれの生活も変わっていたかもしれないと思っただけだ」
だけど、人生は甘くない。
この少女がレアケースだってことくらい、おれにだってわかる。
「腹がふくれたら出てってくれ」
「私がここにいたらご迷惑でしょうか」
「迷惑じゃないが、おれにはこれ以上のもてなしは出来ないし、ここはお前みたいな若い女がいたって楽しいところでもない」
空になった皿を回収する。大して美味いものでもなかったはずだが彼女はそれをぺろりと平らげていた。よほど空腹だったのだろう。
「ここに置いてくださいませんか」
「なぜだ」
「助けていただいた恩をお返ししたいのです」
「おれは何もしてない」
「私を匿ってくださいました」
「別に匿ったわけじゃない」
「食べ物もくださいました」
「芋を茹でただけだ」
「足の怪我だって」
「おれは洗い場と薬を貸しただけだ」
「それでも。ここに来るまで、誰も助けてくれませんでした。旦那様だけです。ですから――」
「おれは『旦那様』じゃない。おれはその――『旦那様』の家を守っている、ただの使用人だ」
そうだ。
おれの旦那様は、おれを置いて行ってしまったのだ。必ず戻る、なんて言っていたけど、あれからどれくらい経ったのだろう。それでも最初は待っていたのだ。今日は戻ってくるかもしれない、明日は戻ってくるかもしれないと思いながら、いまよりも気合を入れて庭や屋敷の手入れをしたものである。けれど、わかった。旦那様はきっともう帰ってこない。
おれは、捨てられたのだ。
この屋敷ごと。
「では、何とお呼びしたら良いのでしょう。お名前は何とおっしゃるのですか?」
名前はある。過去に数回呼ばれた記憶もある。
けれども、何か『違った』らしいのだ。その名にふさわしいおれではなかったらしい。だからおれは旦那様から別の名で呼ばれていた。
「『オイ』」
「オイさんとおっしゃるんですね」
「そう呼ばれてた」
「では、オイさん、しばらくの間、私をここに置いてくださいませんか。何のもてなしも必要ありません。ただ、雨風をしのげて、空腹を満たすことが出来れば……」
すがるようにそう懇願されれば、さすがのおれでも断りにくい。大したもてなしも必要ないならば、まぁいいだろう。幸いなことに部屋はあるのだ。
「あと、『オイさん』じゃなくて、『オイ』でいい。ここにいたいなら、好きにしろ。雨風はしのげるが、食いもんに期待はするな」
そう言うと、彼女は表情をぱあっと明るくさせて立ち上がり、おれの手をとった。
「ありがとうございます。申し遅れました。私はフリニアーデと申します。どうぞ、フリィとお呼びください。これからよろしくお願いいたします、『オイ』」
これからよろしく、なんて希望に満ちた言葉を、おれはいままでかけられたことがあっただろうか。
彼女――フリィの手の温もりに、何だか身体がもぞもぞする。人には体温があるということと、おれにもその体温を感じられることが出来るのだということをいまさら思い出したからだろう。何だか恥ずかしい。
とにもかくにも、おれとフリィの生活はこうして始まった。
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