少女とラムネ

須々木 逡雪

少女とラムネ

 ピチャンピチャンと、手に握ったラムネが波音をたてている。

 気泡が水面へと吸われて、顔を出したと思えば割れてしまう。何度もそれを繰り返して、やがて静まったところにふと夜祭の明かりが飛び込んでくる。

 ガラス瓶からのぞく世界は星々のごとく輝いていて、されど振り返ってみれば目に映るのは褪せたモノクロの景色。それを肴にビールで喉を洗う大人のように、碧色の縁にくちびるを当ててあがく炭酸を押しこめた。

 ぷはぁ、と息を吐く。

 呑み込まれてしまいそうなほど空の奥へと腕を広げる深淵を、流されてしまいそうなほどごった返した屋台を追いこす人々を。目の前にあるはずのそれに私は触れることが出来ない。

 独り、置いてきぼりにされている。

 カランカランとガラス玉で音を鳴らしながら、大通りの外れの木陰に移って腰を下ろした。冷ややかな岩の感触に辟易する。夜風に弄ばれた髪を整える。もう渇きを訴え始めた喉に呆れつつ、自動販売機を探そうと目線を上げたそのときだった。

 ーー金色だ。

 人混みから外れてこちらに寄ってくる彼女の金色の瞳は、白黒の写真に灯火をつけたように、端から中央へーーそして目の前へと世界に色を塗っていく。

「なにしてるの?」

 私の目を覗きこみながらそう聞いてきた。

 あっけにとられていた私は我に返って、自分を落ち着かせながら返答を試みる。

「木陰で休んでるの」

 ふぅんと、彼女は興味なさそうに視線を切っては来た道を帰っていく。なんだったんだろうと私が考えていると、ふと彼女は振りかえって再度その眼で私を捉えた。

「暇ならついてきてよ」

 それだけ残して、また人混みへと歩みを進めていく。気がついたら私は腰を上げていて、彼女の跡をおっていた。

 カランカランと音が鳴る。


 川瀬を泳ぐ魚のように、雑多の流れを逆らって歩く彼女に私は四苦八苦しながら追いつく。ちょっと待ってよ、と言おうとすると彼女は私を一瞥した。

「おそいわよ」

 な、なに様? 私の怒りを知ってか知らずか彼女はなおも歩みをとめず、すいすいと人混みをかわしていく。何度もすれ違った人と肩をぶつけては謝りながら私もついて行く。

 どこまで行くんだろう。

 参道に入り屋台の数が減りだした。明かりも少ない夜の雑木林は今にも食いかかりそうだ。階段をのぼって山の上の方へ近づくと、とうとう屋台がなくなり宵闇が広がる。

「こっちよ。ここ」

 彼女を見失いそうになっていた私は声をかけられて、そちらを向くと彼女が石壇の上に座っていた。

 暗闇の中でも彼女の目はよく見える。

「私は力が弱くて難しいから、あなたに彼を運んで欲しいの」

 そう言って彼女は石壇から降りると、近くで横になっていた彼をつついた。彼はピクリとも動こうとせずじっとしている。

 私はおそるおそる彼に手を伸ばしそっと抱き上げた。

 ーーあぁ、そうか。

 私は彼女の頼みごとの意味を察した。

 少し匂う彼を落とさないようにして、また歩き出した彼女についていく。今度は参道ではなく山の道なき道を駆け下りる。

「あなた、変ね」

 こちらも見ずに彼女はそう言ってくる。

「もう何人にも頼んだけど、みんな気味悪がってどっかに行ったわ」

 ふと足を止めて彼女は語りかける。小さな背中が闇のなかでくっきりと浮かんで、彼女の内側で巻き起こる感情が地面に滲む。

 薄情な人たちだ。

 私はそう思えなかった。私もなにかすこし違ったら、その行動をとっていたと思う。

 人は勝手だ。私も含めて。

「たまたまだよ」

 強いていえば、独りが嫌だったから。

 そう、とだけ残して彼女はふたたび足を踏み出した。

 祭りで賑わっている界隈とは山を挟んで逆の麓まで降りてくると、木々の間の茂みに彼女は入っていった。

 しばらくして、彼女は小さなこどもを連れて出てくる。こどもは泣きじゃくっていた。

「私ももう長くないの。お腹に傷を負っちゃってね。彼と一緒にここで眠るわ」

 眠る。何度かその言葉を反芻する。

「だから、この子をお願いしたいの」

 金色の目は私を見すえている。そこには覚悟が宿っていて、それを私に託そうとしているのが伝わってくる。

 こどもに視線を移すと、私が抱える彼をみて威嚇してきた。刺激しないように葉の重なったところへ彼を優しく置いて数歩さがる。彼女は私を少し眺めて、それから彼のもとへ歩きとなりで丸まった。


 あおぉん。


 彼女はそう言ったきり目を閉じた。

 私は合掌してから子猫の方を見る。横になる両親の前に立って私から守ろうとしている。懸命に、一生懸命に。

「独りになっちゃったね」

 私は膝を下ろして、なるべく子猫と目線を合わすようにする。威嚇をやめた彼はただじっとしている。

「私も独りだよ」

 みんなに置いていかれて。

 今を楽しもうと誰もが走って。大きく口を開けて笑って、力いっぱい生きている。無気力で寂しがり屋な私は、それを見て自業自得だと理解しつつも被害者ぶっている。

「あなたの方がずっと立派だよ」

 私には言えなかった。

 彼女には頼まれたけど、彼なら一人ーーいや、一匹でも生きていけるだろう。寂しさを紛らわしたいだけで、彼についてきてなんて傲慢がすぎる。

「ついて行くかどうかは、あなたが決めな」

 私はそう残して元きた道を帰っていった。


 提灯の明かりが見えてきた。人の行き来が増え始める。汗ばんだ浴衣をはためかせていると、喉が渇いていたのを思い出して屋台のおじさんに声をかける。

「ラムネ、一ついいですか?」

 おじさんは二つ返事で氷水に漬けていた瓶を取り出し私に渡した。代わりに百円を手のひらに置くと、おじさんは「毎度あり!」と言ってから私の足元を見る。

「そこの子猫、お嬢ちゃんのかい?」

 そちらを見ると、先ほどの彼が縮こまって私の足元で座っていた。

 じろじろこっち見るなよ。そう言いたげに、彼女と似た金色の目で私とおじさんを睨んでいる。私はしゃがんで彼の頭を撫でながらおじさんに言った。

「はい、私のです」

 ピチャンピチャンと、手に握ったラムネが波音をたてている。金色の目がモノクロだった写真を灯している。

 夜空に手は届かないけれど、行き交う人々に私は触れられないけれど。

 私はいま、一人と一匹だ。

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