赤堀ユウスケ

 植物状態、という言葉は、みな、知っているだろう。大脳の機能は失われているがその他臓器は正常に機能している状態だ。では、植物人間、という言葉は知っているだろうか? 人間が植物になってしまう病気になった人のことだ。人間に、植物が生えるのである。人間の体内が植物に侵されるのである。

 植物人間という言葉は最近は差別であるとされているが、敢えて使おう。私の妹は植物人間である。

 植物状態という言葉の意味は、これを含めてふたつになった。元来の植物状態の指すものとは違って、それこそ入院が必要で残りの命の保証できない重篤な場合もあるが、反対に、日常生活に多少支障は出るものの、それなりに生活を送ることができる場合もある。

 妹は入院している。

 五年前に発症し、病室のベッドから見る雪景色は今年で三度目だ。命の保証はされていないが、かなり生き長らえている方だ。

 人によって侵食される植物の種類、例えば木であるとか、花であるとかというのは違って、それと今後の寿命についてはまだはっきりとはわかっていない。だが花が軽症で生きのびやすく、木が重症で亡くなりやすい傾向にあるらしい。妹は未だどちらともつかず、花を吐く。葉を散らす。木である可能性が高いとはされているが、その症状は発病当初から進行しない。

 妹が言う。

「あたし、はやく死んでしまいたいわ。」

 私から顔を背けて涙を流す。

「どうせ長くないんでしょう。」

 私に笑顔を見せようとする。

「お姉ちゃんも苦労しているでしょう。」

 お決まりの言葉だ。

「だからね、あたし……」

「……それ以上は、やめよう。ね。」

 妹は切ない表情をした。

 この世には植物状態の人の植物の成長を促進させる薬がある。それによって植物の成長が終わりを迎え、枯れ、自然に体外に排出される人もいる。察しのつくことと思うが、例えば花の人たちである。その過程はひどく苦しいというが、それでも、死んでしまうよりはましだ。

 それは木である人には毒である。木は当然長寿であり巨大だ。成長が促進されると、体内の養分は全て木のものとなり、人間の体は肥料でしかなくなる。通常の木は、成長に膨大な時間を費やすが、人に寄生するものはそれよりも遥かにはやく年輪を重ねる。花は、よほど重症でない限りはまだ人間の手の内で、支配されることはほとんどない。

 木には木のための薬や治療方法はあっても、木の症状の進行しない妹には使われない。けれども花の症状のための薬はあまり使えない。

 妹は、この薬を飲もうとしているのだ。木の症状を、進行させようとしているのだ。どこから入手したのかは知らないが、いつのまにか彼女の手元には、おまもりのように、その薬が致死量置かれているのだ。

「これは、私がお医者様に見つからないように預かるから。」

 いつだか私がそう言ったときには聞いたこともない大声で「なにをするの!」と、私の手からひったくるようにして薬を奪い戻した。

 妹は「これがあるから生きられる。」と言うが、そんなもの、いつでも死ねるから安心だと言っているようなものだ。「お姉ちゃんをいつでも楽にしてあげる。」とも言っていた。そんなの、誰が許せよう。


 私は、彼女がねだったので、買ってきたさくらんぼを彼女の口へ運んだ。彼女の好物である。冬は全く旬ではないが、妹がどうしてもと言うので買ってきた。

「真っ赤な色があたしによく似ているでしょう。それでね、ふたつくっついているのは、あたしたち姉妹のことなのよ。」

 と、よく言っていた。今年で十七になる彼女の唇は、それに似つかわしくなく、蒼白だ。やせこけていて、さくらんぼとは程遠い。彼女は、どうしようもなく、哀れで、赤はさらに彼女を病的にさせる。さくらんぼはふたりでひとつなのだ。

 妹は、種を吐き出して、私がそれをゴミ袋へ捨てた。妹の無機質な表情は変わらなかった。


「寝るわ。おやすみなさい。」

 夜、妹はすぐに眠りについた。

 私は、その隙に、薬を奪った。

 そして、処分した。

 私は翌日に起こるであろう妹の発狂を覚悟した。

 だが、彼女はずっと穏やかなままだった。気づいていないのだろうと安堵した。彼女の周辺のどこを探してももうあの薬はない。翌日も、翌々日も、異変はなく、ただ時が過ぎた。このまま冬を乗り越えて、花見でも連れて行ってやろうと考えていた。

 今日は特別に、「お姉ちゃん、ありがとう。」と手を握り感謝された。

 妹の手は、人間の皮膚じゃないような、硬いような気がした。

 

 翌日、病院から電話があった。妹が危篤状態ということで、当然私は急いで向かった。

「井上桃さんですね、はやく、こちらに!」

 看護師は走った。妹の病室をめがけて。まさか、まさか、なにがあった、なにがあった。困惑と息切れで頭は回らない。

 昨日の帰りに買ったさくらんぼを家に忘れたのを思い出した。

 病室についた。看護師は慌てて扉を開け、カーテンを開け…………。

「桜!」

 叫んだ。そこに元の妹はいなかった。桜。私の桜。

 妹である桜の目や肩からは立派な木が生えており、腹からは根が張っているのが見えた。枝は天井を突き破り、窓を割っていた。彼女はその木に添うようにして、安らかな表情を浮かべていた。

 心電図が直線を示す。

 「あら、もう…………。」と看護師が落胆する。話によると容体が急変したのはついさっきのことらしい。

「植物を成長させる薬があるでしょう、桜さん、それを毎日飲んでいたみたいで…………。それが、今日、急に。こんなこと、ありえないのだけれど。」

「桜が薬を所持していたのは知っていましたが、それはとうに私が処分したはずで……。」

「いいえ、桃さん。あなたが処分したというのは知らないけれど……いったいどこに隠していたのか、きっともっと大量に、彼女は持っていました。桃さんにも悟られないように。それで……これだと一年ぐらい前かしら、おそらくそのあたりからもうずっと飲んでいらしたのだと。」

「…………。」

 言葉を失った。私はどうしようもなかった。

 さくらんぼが、欠けた。

 そこには迎えられなかった春が咲いていた。

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赤堀ユウスケ @ShijiKsD

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