第07話 夕暮れ、朱色の羽が、無機質的にパサパサと

 家に帰る途中、駅で別れるまでの間に、陽妃ようひは俺を説教していた。なんでかって、そりゃあ俺がオナホと冷蔵庫と片手鍋を捨てられないからだ。


白瑠はくる君は優し過ぎるんだよ」

 と言う若干俺アゲの話から入り、


「そう言う人が汚部屋おべやの住人になったりするんだよ。なったら大変だよ。彼女を呼べないし、嫁さんもなかなか見つからないよ」

 と言う俺を心配するような話になり、


「汚部屋ならまだしも汚屋敷おやしきになったらもっと大変だよ。それこそ近所迷惑だよ。周りの人に変な目で見られるしテレビも来るよ」

 と言う最悪な未来の話になり、


「結局大切にすればするほど、逆にものがかわいそうなの。最終的には苦しめているんだよ。だって、本来の役割を果たせないんでしょ? 彼女たちもさぞつらいと思うよ。リペアしてあげた方が、彼女たちのためだよ」

 と言う俺サゲの話で終わろうとしていた。


「リペアって、さ。その、言葉面は凄く良いけれど、実際どうなんだって思うんだよな。上手くリペアできたとして、あいつらの人格はどうなるんだろう?」

「え。白瑠君。人格って本気で言っているの? そう言うのあんまり人前で言わない方が良いよ」


 そうだよな。感情移入し過ぎなんだよな。あいつらは喋るし動くし意志を持っているように見えるけれど、結局は物なんだ。不良品をいつまでも大事に家に置いておくバカがどこに居るんだっていう当たり前の話を、陽妃はしているだけだ。


「仮に、で良いんだ。人格が有ったとしたら、リペアされたら、どうなるんだろうか」


 陽妃は人差し指を立て唇の下に当て、唸りながら空を見上げた。つられて空を見上げると、そこには夕焼けと青空の間の色が存在していた。この色の名前を俺は知らないけれど、しかし曖昧ではなく、ちゃんとそこに色と空は存在していた。


「テセウスの船って知ってる?」

「テセウス?」

「そう。ギリシャ神話で語られるパラドックスの一つ。テセウスが乗っていた船は木造船なのね。だから中のパーツは順番に朽ち果てて行くの。それを一つ一つ新しい木材に取り換えて行って、修理されたその船はもともとの船と言えるのかどうかって話」

「難しいな。なんか別物のようにも感じるけれど」

「そうだね。でも、古代の哲学者たちが出した答えとしては、そこにあるアイデンティティは保たれているから、同一のものであると捉えて良い、と言うことらしいよ」

「つまり、リペアしても、アイデンティティは死なないと」

「そう。まあ、場合に寄るけれどね。リサイクルみたいに粉々にされちゃったら、アイデンティティは喪失するだろうし」

「なるほどな。テセウスの船か。ありがとうな」


 話のけりが付いたところで、ちょうど駅に着いた。


 一人になって考える。テセウスの船。アイデンティティ。リペア。リサイクル。

 例えば彼女らが原型を保ったままリサイクルされたら、ギリシャの哲学者的には同一のものだと言うことになる。けれどもしかし、果たして、寒がりじゃあないプラウと暑がりじゃあないレッカ、そして男性恐怖症じゃあないスフィアは、同じものだと言い切れるだろうか。


 そんなことを考えていると、不意に目の前を鳥が横切った。羽ばたいてではなく、とことこと歩いて。よくよく見ると片翼がおかしな方向を向いている。車に撥ねられたのか、野生動物にやられたのかはわからない。

 彼らには病院がない。もしも折れているのなら、二度と羽ばたくことはないだろう。

 俺にできることはなるべく長く、あいつが生きることを祈るしかない。そう思ったらいつの間にか、手を合わせていた。


「どうか、長生きできますように」


 だが祈り終わった直後に、猫が走ってきてその鳥を捕まえ、どこかへ走り去って行ってしまった。ブチ模様に足袋を履いたような珍しい毛色の猫だった。無残に飛び散った無数の羽がふわふわと舞った。


 俺はしばらくその場を動けずにいた。生命が蹂躙じゅうりんされる瞬間など、そう何度も見ることはない。


 あの鳥に本当に必要だったのは、祈りのために合わせる手ではなくて、折れた翼ごと抱き上げるための手だったのではないか。

 だがあの鳥を救ったら、捕食しに来ていた猫はどうなる。猫だって今日を生きるのに必死だ。あの鳥を食べなければ、餓死。死んでいたのは猫の方かも知れない。この手で鳥を救ったとしたら、猫を殺したことになる。

 彼らは自然の中に生きる者たちだ。摂理せつりから乖離かいりさせてはいけない。


 ——だとすれば、祈りすらも烏滸おこがましいということか。


 大きく息を吸って空を見上げる。

 すぐ横の線路を、びゅうんと行く電車が、光と風を引き連れて夕凪を壊していく。

 夕暮れ、朱色の羽が、無機質的にパサパサと、空へと羽ばたいていった。

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