第4話 いつかのどこかの話

 かつて、人里に寄り添うような場所にある森の奥には、隠れるようにしてぽつんと建てられた小屋があった。その小屋は、普段は誰かの目に触れることもなくそこにあり、ましてや誰かが訪れることなどは滅多にない。

 しかしごく稀に、ふらふらと導かれるようにしてその小屋へと足を運ぶものもいる。あるいは、迷い込むようにという表現がより適切なのかもしれない。


 そして今日、小屋の扉を叩くノックの音があった。

「これは珍しい、客人が来るなんて」

 小屋の主が扉を開けてみると、そこには少女が一人、立っていた。春も近づきつつあるとはいえ、外はまだまだ寒い季節だ。小屋の主は少女を中へと招く。

 茶も菓子も出すわけにはいかない。小屋の主が少女にくれてやれるものは、温かな空気のみである。

 少女は小さな椅子に腰を下ろすと、問いかけるまでもなく口を開く。

「お母さんを探しているの」

「君のお母さんは、この辺りへ迷い込んでしまったのかい?」

 その問いに少女は首を縦にも、横にも振ることなく、ただうつむきがちに視線を落とす。

「お母さんは高いところに行ってしまったって、だからお山に登れば会えるかもしれないと思ったの」

 小屋の主は返す言葉を少しだけ考える。

「なるほど、だけどこの山では高さが足りない。君のお母さんは恐らく、天高い雲のさらにずっと上まで行ってしまったのだろう」

「どうすれば、雲の上まで行くことができる?」

 少女の問いに、小屋の主はまた少し考える。

「そうだね、その方法は、大人になればいつか分かるかもしれない」

「大人になるまで、どれくらいかかるのかな」

「そう気の遠くなるような時間が必要なわけでもないさ、のんびり待つといい。いつの日か迎えを寄こすはずだから、その時は手を振ってくれでもすれば、すぐにお母さんは見つかるだろう」

 それだけ言うと、小屋の主は窓の外へと耳を澄ます。

「麓の村から鈴の音と、それから歌う声が聞こえるよ。日が暮れる前に帰るといい。なに、心配はいらない、鈴の音に導かれればまっすぐに村へたどり着けるはずさ」


 少女は小屋を発つ。

 小屋の主はその小さな背中を見送る。

 本来、これこそが彼の役割なのだ。ともあれ、人の背を見送るのはいつぶりであったか、そんなことは忘れてしまったが。


 得てしてこんな山の上の、森の中では現世と幽世が繋がることがある。その繋ぎの場である小屋の、その主は流れ行く魂を見送り、そして迷い込んでしまった客人を正しい場所へと送り返す。


 果たして今も、形を変えてそれはどこかにある。昔よりも、見送るべき魂の数はずっと増えた。しかし、いつかの少女のようにふらりと迷い込みその扉を叩くものはあの時よりも、さらに少なくなってしまった。それは人が、亡くしたものの影を追うこともまた、それだけ珍しくなったことを意味するのだ。

かつての小屋の主は、今ではどことも言えない場所で、そんなことにふと思いを巡らせるのだった。

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