《旭日のレジスタンス》序

三ノ宮 くろすけ

第1話 『序』

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 敗戦。



 それは、大本営に虚偽を伝えられていた国民にとって誠に唐突であったが、また残酷にも彼らの誰もがいざ何処かで理解しているであろう『事実』でもあった。


『堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス』


 恐ろしく澄みきった蒼天の下、一面に広がる灰色の荒野にただ一つ置かれた質素なラジオから、御声が聞こえた。

 それを聞いたある者は、天に向かって声無き慟哭を挙げた。

 又ある者は、血の滲む煤だらけの手をつき、そのまま崩れる様に倒れ込み、否応なしに瓦礫と化した祖国を改めて目の当たりにする事になった。

 しかし、悲歎にくれる彼らの多くは絶望感と同時に「これでやっと戦争から解放される」と虚無に近い解放感も覚えていた事だろう。

 それでも、歴史とは何と残酷なものだろうか。

 その後の短い日本の余命期間には彼らの想像を遥かに越える程の『悲惨』な現実があった。

 間もなくして連合軍に対する無条件降伏である『ポツダム宣言』を受諾した日本に尚もソ連は進攻を進めた。

 壊滅状態にあった日本政府と独自に『下関条約』と呼ばれる国土放棄、主権譲渡を主な内容とする降伏条約を調印し、九州以南を残して日本列島のほぼ全域をソビエト連邦の直轄地とした。

 そう、この日を以て……日本と言う国家も、国民も、ひいては2600年間の長きに渡って培ってきた文化も、これら全てが世界の歴史から完全に姿を消したのだ。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 人気が無くジメジメとした、薄暗い体育館倉庫の裏から一人、白い鳥が天高く飛んでいる曇り模様の空を眺めていると、少しだが気分が晴れてくる気がした。

 こうやって涼やかな風に当たっているだけでも、野暮ったく変形するまで殴られ続けた顔が少しは浮かばれるというものだ。

 しっとりと乾ききらない汗が額にこびりつき、鬱陶しく前髪をまとわりつかせる。

 確か今春は記録的な猛暑だとか今朝の国営放送が言っていた。

 これも近頃話題になっている地球温暖化とやらが原因なのだろうか?

 まあ原因は何にせよ、厳重な管理教育によって個性や自発的に考える力など遠い昔に殺されてしまった俺達、高等国民学校の生徒にとっては、気になるのはこの鬱陶しい湿度と熱気だけだ。

 そんな事を思い馳せながら、壁にもたれる体を支えている手とは反対の左手で軽く前髪を退かせば、そこには触れるだけでも疼く様に痛む傷痕があった。

 思い返せばこうやって体罰を喰らうのは入校以来何度目だろうか。

 まだ高校生活も始まって2週間目を過ぎたばかりだと言うのに、随分と青痣や生傷が絶えない。

 特に、今日の体罰を受けた理由はいつもに増して理不尽だった。

 この国、【南サハリン及び西太平洋諸島社会主義連邦共和国】がまだ大日本帝国と呼ばれる国だった時のソ連併合から、1991年の独立を経て現在に至るまでの歴史を学ぶ授業。

 俺はその時間にある事を質問したのだ。

 なぜ、日本はポツダム宣言の受諾が予定より遅れたのか? やはり何かしらの陰謀が働いて居たのでは、と。

 現在でも数多くの歴史学者達が議論に議員を重ては、国家治安当局によって取り締まられている近代史の重大なミステリーである。

 通説によると、あの降伏文章が予定通りアメリカに届いてさえいれば、日本がサハリン連邦(通称、連邦と呼ばれている)になる事も無かった、とまで真しやかに囁かれている程なのだ。

 本来であれば8月の玉音放送より以前に、連合国側に受諾の電法と共に降伏文章が送られていたはず。

 しかしどういう訳か、その文章は朝霧の如く何処かへたち消え、降伏が予定時期より遅れた為に本土のほとんどがソ連に占領された。

 これは紛れもない事実だ。

 日本と言う国の存在ごと消えてしまったのだ。

 話しを戻そう。

 結果から言ってしまえば、俺の質問に対する教師の答えは、完全に聞いている事をはぐらかす物だった。

 その後、授業が終わると軍人上がりの国家教育顧問官に面談室まで呼ばれ、そこでしこたま殴られる結果に至る。

 そのせいで俺は今こうしている。

 今でも思い返すとゾッとする程、党に狂信的な愛を手向けるその男は、延々と決められた歴史感に従わない俺を力と抑圧で以て叱咤し続けた。

 悪の帝国である『日本』を擁護するような危険思想は学生の内に正さねばいけないらしい。

 その男は体罰を振るった後も、興奮した口振りで当時の日本の悪行と、それを下したソ連の英雄伝説を意気揚々と熱弁していた。

 本当に……どうしようも無い国だ。

 思想も理念も全てコミンテルンや党の都合の良い物に強制される。

 生前に父が語ってくれた、自由で個人の個性が尊重される理想郷とは、余りにも程遠い。

 この国は、一体いつからこの様になってしまったのだろうか。

 父がいつも口癖の様に言っていた【Japanese Dream】など、本当に存在するのだろうか。


「君、良くあんな発言をしたよね。驚いた」


 風に当たって傷付いた自分を慰めていると、唐突に何処かから声が聞こえてきた。

 驚いた俺は慌てて周囲を見渡すが、声の主と思われる人影は何処にも見当たらない。


「ここよ、ここ。上を見て」


 ゴツゴツとした壁にもたれたまま上を見上げれば、体育館の二回のバルコニーの手摺からこちらを見下ろしている少女がいた。

 その少女には見覚えがあった。

 長く腰まで伸ばした黒髪が白い肌と、同じく白いセーラー服との特徴的な美しいコントラストを生み出している。

 小さな顔に収まった2つのガーネットの様な目は大きく二重で、鼻筋も整っており、誰の目から見ても明らかに美少女であった。


「君は確か……二階堂にかいどう 有栖ありすさん、だよな?」


 すると少女は、少し驚いた様に目を丸くする。


「私の事知ってるの?」


「同じクラスなんだから名前くらいは知ってて当然だろう? 」


「てっきり他人に興味が無いのかと思ってた」


 二階堂にかいどう有栖ありすは少しその形の良い顎を引く。


「いいえ、確かにそうね。私が間違っていたわ。君の名前は確か、安東あんどう 将英しょうえい君だよね」


「君付けは止めてくれ。年下扱いされてる気分がする」


 ふっと彼女の頬が緩む。言葉とは裏腹に淡い笑みを浮かべた。


「ごめんね。じゃあ安東あんどうさんって呼ばせて貰うわ」


「それよりどうしてそうだと……俺が他の人間に興味が無いと思ったんだ? 現に俺は二階堂にかいどうさんと話しているんだから違うかも知れないだろ?」


「そう考えた理由……ね。だってほら、いつも安東あんどうさんって体罰を受けた後か、誰かと話す事もなく机の上で寝ているから。周囲の人間に興味が無いのかと。強いて言えば、黙って見ているだけの私達を恨んでいるのかと思ってた。今日も酷い傷じゃない」


「確かに……その通りかも知れないな」


「どうしてそうなってしまったの?」


「それは……」


 ここまで勿体ぶっておきながら、彼女の純粋な瞳に見つめられると、何処か気恥ずかしくて口ごもる様にそれ以上の言葉を次げ無くなった。

 だが次の瞬間、俺の戸惑いは二階堂にかいどう 有栖ありすから発せられた言葉により、衝撃へと塗り替えられる事になる。


「もしかして、さっきの授業で安東あんどうさんが言っていた事に関係するの?この国最大のミステリー事件、消えた……いえ、消された降伏文書について」


 二階堂にかいどう 有栖ありすはニヤリと、その整った顔を歪める。


「消された……どう言う事だよ。ただ調印が遅れただけじゃ無いのか」


「確かに、教科書にはそう書いてあるわね。でも……」


 二階堂にかいどう 有栖ありすは16の少女とは思えない程、凄まじい身体能力だった。

 体育館倉庫二階のバルコニーの手摺に片手をかけ、パルクールの様に軽く飛び越えると、ゆうに4メートルは有りそうな高さから華麗に地面へと着地する。

 あまりの光景に俺が度肝を抜かれていると、事も無さげに至近距離まで詰め寄って来た。


「それが、書き換えられた歴史だったらどうする? 都合が悪いからこそ隠されているとは思わない?」


「書き換えられた歴史……だと……」


「隠されて来た真実を、教えてあげようか?安東あんどう 将英しょうえいさん」


 俺は思わず生唾をゴクリと飲み込む。


「教えてくれ……君は何者なんだ? 普通の女子高生には、とても思えない」


「その質問に答えるかどうかは、安東あんどうさん。あなたの返答次第で決まる。だからもう一度聞くわね、真実を知りたい? その為なら今の全てを擲つ覚悟を持てる?」


二階堂にかいどうさんは……唐突だな……。いきなり覚悟をとわれても」


 それでも彼女は全く怯まなかった。

 剣呑な表情で更に詰め寄ってきた彼女は俺の肩をがっちり掴むと、その可憐な見た目からは想像も出来ない程力強い眼差しで俺を捕らえる。


「どうするの? あなたはこんな所で一生を棒に振って、それで良いの!」


「それは……」


「私に付いてきてくれれば、あなたに新しい世界を、本当の日本を見せてあげる。全ては安東あんどうさん、あなた次第」


 俺は、それまですがる様に壁に触れていた右手を握り締めると、彼女の大きな目を見つめて言い放った。


「乗ろう、二階堂にかいどうさん。覚悟は出来た。俺だってこんな所で腐ってたまるか。だから教えてくれ。隠された真実も、君の事も」


「交渉成立ね」


 彼女はそういって無邪気に微笑むと、俺の肩から手を外し、スカートのポケットからおもむろにスマートフォンを取り出して誰かに電話し始めた。

 ほぼワンコールの後に相手は出たらしい。会話は直ぐに始まり、そして直ぐに終わる事になる。


「作戦は成功。ヤタガラスからの命令は完遂されたわ。……ええ、『渡り鳥』は今確保した。これから彼とそっちに向かうから、今すぐアレを準備して。あと傷の手当ても必要だから医者を一人呼びつけて」


 満足気な表情で要件だけ伝え終わるとスマートフォンを左手に握り締めたまま歩き始めた。


「従いてきて頂戴。校門前に車が止めて有るから、それに乗ってアジトまで移動するわよ」


 促されるままに彼女の背中を追って行くと、話していた通り、正門前の道路脇に一台の車が止められていた。

 しかし、その外見は俺の予想を遥かに上回る物であった。

 普通の国民は皆一様に、国民車とも呼ばれる80年代のトヨタカルーラに乗っているのだが、ここに有るのは安価な国民車とは一線を画す黒塗りの高級外車であった。

 通常、サハリン連邦では、その様な高級車など滅多にお目にかかる事など出来ない。

 大抵の場合、党の高官や高級軍人、一部の特権階級の人間だけが乗る事の出来る一種の身分を象徴する物だ。

 それが今、どっしりと風格ある出で立ちで俺の眼前に腰を構えていた。


「驚いたでしょ? ベンズのメルセデスSクラスよ。安東さんを驚かせたくて父から借りてきたの。何千万したかしら?」


「か……借りてきただと!?」


 自慢気な雰囲気で、鮮やかに朝露を弾く光沢のある車体に片手を置く彼女を眺めていた俺は、余計に二階堂にかいどう有栖ありすと言う女子高生の事が分からなくなってきていた。

 すると彼女の父は党の高官か? 高級軍人か? それとももっと他の別の何かなのか?

 明らかに反体制的な行動をする人物の家系に、その様な立場にある人間がいるとは考えにくいが。

 だが、本当にそうだとしたら……俺は今、確実に後の歴史書に名を連ねる様な事件に立ち会っている事になる。

 好奇心に釣られて付いてきたが、何かとてつもない事が始まる気がしてきた。


「乗って」


「『乗って』って、これ二階堂にかいどうさんが運転するのか?」


「まさか。自動運転よ」


 助席に乗り込むと、そこには巨大な黒褐色の皮製のシートと、ベージュを基調とした、穏やかで有りつつも上品さを漂わせる空間が広がっていた。

 所々に艶やかな木目のカッティングシートが施されており、何より目を引くのが、フロント全面に広がる大小三つからなるタッチスクリーンだった。

 くつろぐには十分に広々とした車内は、今まで乗っていた80年代の国民車とは大違いだ。

 狭く、固く、旧式化したボロボロのそれとは比べる事すらおこがましい。

 やはりある所には金が有るのだなと痛感させられる。

 そして彼女が左側の運転席に乗り込むと、どういう訳か三つの内で中央に位置するタッチスクリーンがいきなり起動し始め、目的地へのルート確定を始めた。


「凄いな……。こんなに綺麗で高性能な乗用車に乗るのは生まれて初めてだ」


 すると彼女は、俺の感想に喜ぶ訳でも驚く訳でも無く、ただ物憂げな雰囲気でスクリーン画面に手を伸ばしながら呟く。


「悲しいね、誰でも好きな車に乗れて、行きたい場所に行けて、党に監視されたり統制される事も無い。自由な日本があったはずなのに」


 目的地に向かって、車は氷の上を滑る様に、音もなく走り出す。

 その間、俺と二階堂にかいどう有栖ありすは一度も言葉を交わす事は無かった。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 長い沈黙も、およそ1時間は経過しただろうか。

 気がつけば鉄製の門前で車は止まっていた。

 雨風にさらされボロボロになった門だ。

 あちこちで赤錆が目立ち、押し繁る蔦ががんじがらめに門を縛り付けている様にも見える。

 歴史を感じる、哀愁漂う風貌だ。


「ここは……」


 彼女はふらりと車から降りる。

 つられる様に高級外車から降りると、門前で静かにたたずむ彼女の横に並び立った。


「数十年前に廃校になった歴史ある私立高よ。当時、私の父が二階堂家の資料館に再利用する、と言う名目で残されただけの、忘れられた場所。アジトには持ってこいでしょ?」


 俺達はギリギリを音をたてながら、重厚な鉄の門を押し開く。

 その先には、また坂が続いていた。


「まるで山見たいだな」


「そりゃあね。だってここ、三春台って言うんですもの」


 横浜の比較的中心に位置するこの地域は横浜大空襲の時以来、まともに復興される事が無かった。

 そのほとんどが焼け野原と化し、未だにポツポツと小さな田んぼや吹きさらしのプレハブ小屋が点在しているに過ぎない。

 それにしても不思議だ、と俺は思った。

 この場所だけは、空爆の形跡が見られない。

 坂道の脇には、当時の面影を残したまま生い茂る古い樹木が若い黄緑の葉を広げ、その隙間から優しく光が射し込んで来る。

 所々に映えている、琵琶の葉の特徴的なシルエットが目立っていた。

 この空間だけが、他の領域とは隔絶された、そんな不思議な居心地を覚える。

 坂を登って行くと、その先に一人の男性が立っていた。


渋川しぶかわ。お出迎えありがと」


 渋川しぶかわと呼ばれた男性はゆっくりとこちらに近づいて来た。


「お嬢様、よくぞご無事で戻られました。この渋川しぶかわ、安堵に胸を撫で下ろしております」


 彼はマネキンの様に締まったスタイルと、スラリと高い身長、そして染め上げたかのような白さを誇る白髪が特徴的な老紳士だ。

 そう呼ぶのがふさわしい振舞いの彼に、自然とこちらの背筋も伸びる。

 ピシリとタキシードを着こなす彼の所作しょさには、一切の無駄が感じられない。

 初めて執事と言う生き物を目にした俺は、意図せず彼と言う存在に魅入っていた。


「すると、そこに居る彼が……」


「そう、彼が安東 将英。私達の探していた『渡り鳥』よ」


 すると突然、渋川しぶかわと呼ばれた老紳士は俺の方に向き直り、一糸乱れぬ動作でその場に片膝を付き、頭を垂れる最敬礼の姿勢をとったのだ。

 余りにも唐突な出来事に俺は思わず困惑した。

 が、その様な反応を示すのは俺だけであり、ふと横に立っている二階堂さんを見やれば理解を示した顔をしていた。


「い……いきなりどうしたんですか。頭を上げて下さい」


「我が主君であり、お嬢様の父君で在らせられる、大納言だいなごん 邦彦くにひこ公へ捧ぐ敬意と同等の物を。あなた様に」


「えっとその……は?」


大納言だいなごん 邦彦くにひこ公がこの老体に、そう命じられたのです。先生のご子息で在らせられるあなた様には自分に対する物と同程度の敬意で望むように、と」


「先生……? 誰が、一体何の?」


「答えは全て、あのビデオテープにございます。準備は整っております故、ご案内致します。着いてきて下さい」


 老紳士、渋川は洗練された無駄の無い歩みを進める。

 その姿は、彼の年齢からは想像もつかない程に真っ直で、一本の柱が通っている様な、思わず男心を唸らせる格好良い物だった。

 俺と二階堂にかいどうさんは、渋川さんの背中を目指すかのような気持ちで従いて行った。

 眼下に広がる校庭後と思われる台地を眺めている内に、今位置する場所との高低差が広がっていくのが分かる。

 坂を登って行くと、遂にレンガ造りの大規模な建物に差し掛かった。


「ここじゃなくて、登り切った先の右手に礼拝堂があるの。目的の物はそこにあるはずよ」


 滴る汗を、着ていた国民学生服の青い袖で拭う。

 息は荒く、拭っても拭ってもジワジワと汗がにじみ出てくる。

 急勾配でいつまでも続くこの坂道なら、登っているだけでも体を絞られていく気分だ。

 しかし彼女は、事も無さ気に涼しい顔で登り切って見せた。

 こうやって見ていると、改めて彼女の可憐さは人目をいとも容易く人の想像を欺くのだと痛感させられる。

 今の自分と比べてしまうと忸怩たる思いを抱かずにはいられない。


「お疲れ。ここの坂は馴れないと大変でしょ?」


 悪態を附く余裕も無かった俺は膝に手を付いて「ああ」とだけ短く答える。


「大変だったかも知れないけど、着いたわよ。ここが、私達のアジト」


 そこには無骨で四角い豆腐屋根の巨大な建造物があった。

 教会にしては神聖さの欠片も感じさせない程に不格好であり、学校のホールにしては余りにも巨大過る。

 ガラス張りのドアを開き中へ入ると、少し開けた空間に出た。

 その先にはまたドアがあった。

 重く閉ざされたそれは、オペラ座の赤いドアの様だ。

 執事の渋川さんはツカツカと硬い靴音を鳴らしながらその赤いドアまで歩み寄って行くと、銀色の角張った取っ手に紐で吊り下げられていた鈴をチャリンチャリンと鳴らす。

 数秒の後にあちら側から、女性の物と思われる少し高い声が聞こえて来た


「合言葉は」


「再び、汝、自身を知れ」


 すると、再びその声は聞こえた。

 その求めに呼応するように、渋川さんはスラスラと答える。


「門を叩きなさい」


「さすれば、開かれん」


「だれでも」


「求める者は受け、探す者は見つけ、 門をたたく者には開かれる」


 そして最後にコンコンコンとドアを三度ノックすると、施錠の音と共に分厚い扉が開いた。

 そこには、見たことも無いくらいの巨大なシアターの様な場所が広がっていた。


「ようこそ、アタシ達、『抗共軍』の本拠地へ 。待っていたよ、Mr.月島つきしまの息子」


 そこに立っていたのは、スラリと背の高いモデルの様な体型のグラマーな美女だった。


「ハローM・Y。お手柄のご主人様に何か言うべき事は無いの?」


「コングラッチュレーション! アリス御嬢様。菊田きくた室部むろべに機材の準備は済まさせておりますので、どうぞそちらの彼と最前列の席でお待ちになっていて下さい」


 偉ぶった口調で自慢気に語る二階堂にかいどうさんの姿は何処か可愛らしく感じされられた。


「今から俺は、何を見る事に……いや、知ることになるんでしょうか。さっきから俺の父の事を何度も聞いているんです」


「そうね、アリス御嬢様。もうそろそろ話してあげたらどうですか?」


 すると彼女は神妙な面持ちでゆっくりと俺に向き直る。


「今から私達が見るのは、あなたの父。月島つきしま 美嶺みれいの残した遺産。【Japanese Dream】へと至る道の情報の一つ目よ」


「ジャパニーズ……ドリーム!?」


 聞き慣れたフレーズ、そう……父が生前に何度も言っていた言葉だ。


「やはり知っていたのね。なら話しが早いわ、そこら辺に座って」


 言われた通りに折り畳み式の座席を開くと、そこに座った。

 彼女も同様に、その華奢な体ですんなりと席に着くと、少しずつ照明が暗くなり、正面に広がっていた白い壁の上の方から巨大なスクリーンが降りてきた。

 俺は、映像が付いた瞬間、目を疑った。

 そこには在りし日の父の姿が写っていたのだから。


『えーっと、準備OK。もう撮影は始まっているね?それでは、改めて諸君、久し振り……だろうな。このビデオテープが再生されていると言う事は、既に私が死んでいるはずだからね』


 父は、いつもの書斎で椅子に腰掛けると物憂げな表情を浮かべ、淡々と語り始めた。

 その見た目は懐かしい父との思い出そのままだった。


『単刀直入に言おう。私……月島つきしま 美嶺みれいはこのアルファ世界線の人間ではない。ここと隣り合わせの様にして存在しているもう一つの平行世界、ベータ世界線の2026年から来たタイムトラベラーだ』


 俺には、父の言っている事の意味が理解出来なかった。


『突然、世界線だのタイムトラベラーだのと言われても信じられ無いかも知れないが、これは事実だ。私が居たベータ世界線の日本は滅びておらず、連邦も存在しない。あっちの世界線で日本は資本主義を導入した民主主義の国家であり、アメリカ、中国に続いて世界第三位のGDPを誇る世界最大級の経済規模である海洋国家だ。連邦の悪政によって貧困を強いられて来た諸君には嘘の様な話かも知れないが、それらも全て事実だ』


 いつの日だったか、この宇宙は無限に存在する平行世界の一つに過ぎないと言う話を、父から聞いた事があった。


『無限に存在する平行世界は互いに干渉する事が出来ず、認知する事も叶わない。しかし、本来存在するはずの無かったこのアルファ世界線が何者かの過去改編により発生し、そこから二股に別れる様になってしまった。その為、ここだけは互いに干渉し影響し合う特殊な世界線になってしまった。その最たる原因と思われるのが、降伏文章の抹消だ。』


「降伏……文章の抹消っ」


 俺は思わず息をのんだ。


『犯行は宗教団体 All humanity ravenstvo congress(全人類平等議会)通称Ahrc(アーク)と呼ばれている。равенство、ロシア語で平等を意味する世界規模の犯罪者組織だ。彼らは未来で何度もテロを起こしており、また何度にも渡る過去改編未遂も確認されていた。彼らの目的は日本の滅亡であり、その結果発生したのがこのアルファ世界線。共産主義の連邦を誕生させた……ここだ』


 それならば何故、敗戦当時の日本にタイムスリップしなかったのか。


『今、これを聞いている者の多くが何故、敗戦当時の日本にタイムスリップしなかったのか、と考えているかも知れない。理由は単純だ。過去と未来は常に決定されており、事象は収束される。世界線ごと書き換えたラバエによる犯行はどんな手を尽くしても変えられない物になってしまっていたのだ。しかし、観測結果から唯一このアルファ世界線に揺らぎと呼ぶべき数時間が発見された。8月15日の朝9時から10時の一時間。奇しくもベータ世界線では終戦記念日だ。私はその日をXデーと呼んでいる。その瞬間だけが時間と世界線との繋がりが曖昧となっており、世界線を書き換える規模の世界修正を行うとなればそれしか無いと判断した。だからこそ、私はこの時代に来たのだ』


 父、月島つきしま 美嶺みれいは力強い表情で言い放った。


『これまでの諸君、抗共軍の奮闘に感謝すると共に、新たなる最重要ミッションの発動を宣言する。観測されたXデーの到来に備え世界線の書き換え準備を行うのだ。方法は隠した。連邦もどうやら感づいているらしいからな。第一のファーストミッションは私の息子を探す事だ。彼の脳内には世界線修正に必要となるベータ世界線の情報が36ビットに圧縮され疑似インストールされている。彼を探し連邦より先に保護するのだ。次なるミッションは彼が導き出すだろう。ベータ世界線に再び収束し、世界を再構成する【Japanese Dream】のその日まで、再び逢いまみえん事を祈る。Crow3301』


 映像を見終わった俺は呆然としたまま動けなくなってしまった。

 自分の父が、余りにも強大な存在となってしまい、今の俺自身が見出だせなくなっているのかも知れない。


「私達はこのビデオからヒントを導き出し、あなたにたどり着いた。最後の謎の記号が正しくそれね」


「Crow3301の事か。直訳するとカラス3301って何の事だよ」


「私だってさっぱりだったわ。でも、わたしたち抗共軍には優秀なエンジニア兼ハッカーがいるから。彼の手に掛かれば朝飯前よ」


 ふと周囲を見渡せば複数の人影がこちらに向かって来ていた。


「紹介するわ。我らが抗共軍のメンバー達を」


 彼女はそう言うと彼らの前に立って偉そうにふんぞり返るとニカッと目映い笑顔で笑った。


「先ずはメンバー002、二階堂家の執事にして暗殺術を極めし神速の老紳士。渋川しぶかわ 秋水しゅうすいよ」


「改めまして、渋川と申します」


「次はメンバー003、絶世の美女にしてCIAのスパイ集団にも所属しているアメリカのエージェント。M・Yよ。彼女のハニートラップと謀略により何百人もの哀れな男性が地獄を見た事か……考えるだけでも恐ろしいわ」


「宜しくね。Mr.月島つきしまの息子さん」


 じゃんじゃん行くわよ! と言った二階堂にかいどうさんはズンズンを彼らの前を歩いていく。


「メンバー004。世界最強のハッカー集団に属していた経験もあり、今ではダークウェブの世界でシルクロード2と言う違法マーケットを運営している超、天才極悪非道のエンジニア。室部むろべ 二三雄ふみおよ。この抗共軍は彼の資金と裏の人脈によって成り立っていると言っても過言じゃないわ」


「チッス……。どうも」


 気だるげな表情とボサボサに延びきった茶髪が特徴的な男性だ。


「メンバー005。身体中のほとんどが改造されており、以上なほどの身体能力を誇る菊田きくた 重五郎じゅうごろうよ。戦力と言う面だけで言えば一騎当千は確実ね」


「とおッ然だ! 俺様ァ最強だかんな。つー訳で宜しくな!」


 身長は渋川さんと同じくらいだろうか?

 さっきとは対象的に短くツンツンとした金髪が特徴的な彼は、タンクトップ一枚では隠しきれない圧倒的な筋肉を見せつける様に仁王立ちすると、獰猛な笑みを浮かべた。


「最後にメンバー001。この抗共軍三代目リーダーにしてカリスマ的魅力の溢れる高校一年生の美少女。二階堂にかいどう 有栖ありすよ。パパは党の幹部として活動しており、その娘として機密情報何かをこっそり取引してたりするわ。当然、パパは内通者よ。それも日本亡命政府の」


「どうりで随分ゴージャスな車に乗っていた訳か」


「それと、テープ内の暗号を解読する際に安東さんの国民番号をハッキングさせて貰いましたッス。その事に関してはすいませんッス」


 室部さんはモジモジと申し訳無さそうに顔をうつむける。


「大丈夫ですって。それよりこちらこそ宜しくお願いします。父が始めた事のようですから、息子として責任持って完遂させる所存です。それと、第二のミッションについてですが、一つ心当たりがあるんです」


「ほう……それはどの様な物でございましょうか?」


「地下室です」


「地下室……でございますか」


「ええ。父が管理当局に捕まってしまい、家賃を払えなくなってしまったので今は他の人がすんでいますが。絶対に開けるなと言われた隠し部屋が床下に有るんです。恐らくはそこかと」


「それじゃあ決まりね! 目的地はメンバー006安東 将英の生家の地下室! さっさと準備して行くわよ。【Japanese Dream】達成のその日まで止まる事は許されないわ」


 新たに安東 将英と言う男子高校生を仲間に迎え入れた抗共軍は一路、彼の生家へと向かった。

 それが破滅の大いなる第一歩だとも知らずに。




 世界は無限の時空間によって作られている。

 それは川の流れの様な物だ。

 その世界線に、愚かにも人の手で干渉する事など決して許されはしないのだ。

 彼らはいずれ、その身で以て報いる事になるだろう。

 多くのタイムトラベラー達がそうであったように。

  Xデーは近い。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 続編(本編)は来年、大学受験が終わり次第書き初めます。

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