第81話 物語が終わったその後に
本間が現実世界に戻って来た時、歓声と共に体を叩かれた。
座っていたため、頭も叩かれる。防ごうと腕を上げるが、構わず上から叩いてくる。遠藤と小牧と角戸の顔が隙間から見えた。
「お帰りなさい。仕事が待ってます。仕事が溜まり過ぎて、係長の机の上にファイルをのせていって、崩した者が負けというゲームをしてました」
「遠藤。勝手に人の机の上でジェンガするな。仕事しろっ!!」
「係長の言う通り、すべての物語は霊の所為にしたら終わりますね!」
「言ってない! そろそろ一年経つというのに、一体何を聞いていたんだ!!」
「チャーハン作って」
「自分で作れっ!!」
本間はそれぞれにツッコミを入れて、深く息を吐いた。叩きはもう終わっている。
小牧の言った『霊』というのが引っかかった。
急に物語世界のことを思い出して、いたたまれない気持ちになる。
夢オチの強制終了により、書いた本人が物語の登場人物と思い込んでしまうエラー。現実の記憶がなかった自分はどれだけ迷惑をかけたことか。
途中で脈絡なく出てきた霊は、彼らのおかげだった。あれが無ければ、終わらせることは難しかっただろう。
「すまん。助けてくれてありがとう」
しおらしい本間のセリフに、三人はなぜか沸き立つ。
「あら、いーんですよ。お礼は焼肉食べ放題の奢りで」
「いいですね」
「飲み放題も付けていい?」
「待て、角戸はおかしいだろ」
本間は角戸をジト目で見た。
****
角戸の家から、自宅の最寄り駅まで着いた。
日は高いが、まだ二月だけあって陽の光は弱い。影もくっきりしない。
本間の太ももとお腹は痛いままだ。
物語世界のものは現実世界へ持ってこれないが故に、ずぶ濡れは解消された。しかし、物語世界で受けたダメージは回復しない。歩くのに普段より余計にかかる。
と、痛みの原因が、こちらに歩いてくるのが見えた。
「都道、その腕……」
都道の左腕が三角巾で吊られている。顔はいつも通りの笑顔だが。
「ああ。病院に行って来た。大したことはない」
患部を固定するほどだ。大したことはあるだろう。物語内では気づかなかったが、あれだけの戦闘をしたのだ。骨折しているのかもしれない。元凶は自分とわかっているだけに、後ろめたくうつむく。
「すまない」
「物語の人物は死んでも、こじつければ復活できるぞ。君は死んだら復活できない。違いを理解できるか」
「できる。申し訳ないと思っている」
都道が言っていることは、正しい。頭ではわかっている。
「ならいい」
あっさりと都道は言い、すれ違う。
信じてもらっておきながら、次に同じことがあっても人を殺せる気がしなかった。罪悪感から、都道の背中へ呼びかける。
「都道。すまない。俺にできることがあったら、何でも言って欲しい」
「な、ん、で、も!」
都道はくるっと振り返り、黒い目を爛々と輝かせた。
日本人は黒目というが、ほとんどがよく見るとこげ茶か茶色の虹彩だ。都道の目は珍しく真っ黒である。
猫が獲物を仕留める前のような目になっている。
「ちょっと待った。何でもは言い過ぎた」
冷や汗をかく。悪戯好きの都道に言うべき言葉じゃなかった。
無理難題を押しつけられる。あるいは、とても恥ずかしいことをさせられる。
「いいじゃないか」
「いや、良くない。あれだろ。公衆の面前で歌えとか、踊れとか言うんだろ」
「ひどいな。私はある小説を読んで感想文を書いて欲しい、と思っているだけだよ」
「へ? まあ、それなら」
予想外の願いに、毒気を抜かれる。後で気づくことになるが、それが間違いだった。
「やった! 私はもう読んだから、送る。楽しみに待っててくれ」
喜色満面の笑みを浮かべられる。
何か嫌な予感しかしない。
「ちなみにタイトルは?」
「『私の弟がこんなにも可愛い』」
「え~っと」
「姉弟ものの恋愛で、おねショタものだ」
「おおぉおおおお――――い」
「血の繋がりはないから、安心しろ」
「そういう問題じゃねええ」
自分が読んでは一番駄目なやつ。いや、読んでいるところを姉に見られるわけにはいかない小説だ。
「やあ、楽しみだなあ」
「待て、都道。さっきのやっぱり取消」
「頑張った私の願いを聞いてくれないのかなあ」
「うっ」
都道の左腕については、骨折どころか傷もなかった。それを本間が知ったのは後々のことであった。
****
自宅のドアを開ける前に、本間は深く息を吐く。
自分の失態のため、姉にまで迷惑をかけた。姉を危険に晒した。それどころか、記憶を無くして姉を認識せずに疑った。
本日、何度目かわからない溜息をつく。
郵便局の配達員が訝し気な顔をして、通り過ぎていった。
ずっと家に帰らないわけにもいかない。
鍵を入れて回す、心やましさからドアをそっと開いて中へ入る。
姉が玄関にいた。
心臓が飛び上がり、驚きのあまり鞄と刀を落とす。
「姉さん、その」
「おかえりなさい」
強く抱きしめられる。姉のつむじだけ見えて、表情は見えない。
「ごめんなさい」
「いいの。戻って来てくれたから」
鼻をつまらせたような声をしている。泣かせてしまったのだろうか。
抱きしめ返そうとして、気づく。
「姉さん。手を洗ってないから、ちょっと」
グッと抗議するように更にきつく抱き締められ、「うくっ」と声が出る。お腹に直撃した。
「ごめん。ただいま」
包むように、抱きしめ返した。
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