第十二章 ラブコメの主人公が鈍感なのは、話を長引かせたい作者の都合1
第82話 あの姉弟のことを一般人が聞くと……
授業が終わり、日直が前側の窓を開けた。
冷たい空気に、長瀬 佐奈は後ろの席の友人のところまでいく。
黒板いっぱいの数式が消され、チョークの粉が舞った。毎回繰り返される光景。ただ今日は、普段の教室とは違って、甘い香りが漂う。
バレンタインデーだ。
とは言っても、ガチで告白のためにチョコレートを渡す人は見かけない。(あったとしたら、大スクープだ。クラス中の噂になる)
高校三年生の大学受験の真っ只中だったが、イベントごとの楽しみは欠かさずにいたい。ちょっとした息抜きは必要だと思う。
佐奈に気づいた友人が、鞄からカラフルな箱を取り出す。友チョコだとわかって、先に手を合わせた。
「ごめーん、なっちゃん。チョコレートブラウニーを作ろうとしたら、親に勉強しなさいと怒られちゃってさあ」
「いいのいいの」
夏美が渡してくれる箱をちゃっかりもらう。
「ホワイトデーに期待しといて。その頃にはもう入試は終わっているからさ」
「じゃあ、期待しとくね」
夏美が笑みを浮かべる。この友人は小さくてかわいい。しかもお菓子作りが得意なので、よく嫁にしたいと言っている。(本気ではない。そういうノリ)
佐奈自身は長身なので、こういう子をみると羨ましい気持ちもあるものの、つい可愛がってしまう。
リボンをほどいてもらった箱を開けると、チョコのカップケーキが出てくる。
「わー、美味しそう」
「フォンダンショコラだから、レンジで三十秒くらい温めてから食べてね」
「中からチョコがとろって出てくるやつでしょ。すごいじゃん」
照れたように夏美が自分の髪をすく。
「で、本命には?」
すかさず訊く。夏美が何か思い浮かべたように、間があく。
(お、これはいる?)
期待はしたものの。
「弟には帰ってから、一つ作ろうかと思って」
(弟さんかぁ)
恋愛話は聞けない。少しがっかりしたものの、仕方ない。夏美の前の席に座る。
「いいね。弟さんとはいくつ違いなの?」
「十二歳」
(ということは六歳)
ちょうど小学校に入っているか、入ってないかの年。近所の子を思い出しつつ、夏美に似た小さな男の子を思い浮かべる。
「かわいいでしょ」
「そう、かわいいの!」
ぱぁっと夏美の顔が華やぐ。むしろ、本人がかわいい。
「この前なんて、弟にケモ耳としっぽがあって、くすぐったら嫌がってとても可愛かった」
(ケモ耳としっぽ?)
ハロウィンの仮装とかで着ぐるみのような服があったりするから、それかもしれない。小さな男の子がオオカミ男になったところを思い浮かべる。
確かにかわいいかも。
ちょっかいかけて、困らせたい気持ちもわかる気がする。
「かわいい子って、つついて困らせたくなるよね」
「そうそう。サメのぬいぐるみを投げたり」
(それは違うんじゃ)
夏美のことだから、強くはないのだろうと思い直す。修学旅行のまくら投げみたいな、ほのぼのとしたシーンを思い浮かべる。
相手は六歳の男の子だ。やんちゃに違いない。
「仲良くていいね。でも、相手するの大変じゃない?」
「相手してもらいたいけど、弟は忙しいことが多くて」
(忙しい?)
疑問に思ったが、習い事を多くしているのだろうと思う。
あり得そうなことだ。
「で、チョコは何を作るの?」
「それがちょっと悩みなの。チョコレートボンボンを作りたいのだけど、私はまだ未成年でブランデーを買えないから」
「え? 酔うからやめた方がいいんじゃない」
お菓子とはいえ、六歳の子供にチョコレートボンボンはまだ早い。
「酔うと更にかわいいから、酔わせたい。濃度の高いアルコールを入れたら、チョコレートボンボンでも酔うかなって」
「え、え、え?」
夏美は真剣に悩んでいる。
佐奈の頭の上に疑問符が大量に浮かんでは消えていく。
「前は弟がサメに食べられたところを写真に撮れなかったから、今度こそはって思うの」
ぐっと夏美が右こぶしを握る。
「サメに食べられる?」
映画のサメが襲いかかってくるシーンが目に浮かんだ。けど、現実ではあり得ない。
「そう、サメに食べられた弟はかわいいの」
「え?」
(サメに食べられる。弟。かわいい?)
頭の中の画像処理がついていかない。
検索したってよくわからない。
ただ、これだけは言える。
「小さな子にアルコールはいけないと思う」
「急にどうしたの? 未成年にアルコールは駄目なのはそうよ」
「ええ?」
「え?」
「え?」
お互いに首をかしげる。
佐奈は、その夏美の弟が三十路だとは知らなかった。
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