第80話 物語は終わる
重い金属音が響いた。
佐藤が激しく痛む目を凝らすと、穴ぼこのある筒状のものが見える。
(手榴弾!?)
反射的に身を屈め、隔てられるようなところへ行こうとするも、間に合わない。
太陽を直接見たような光と爆音の暴力を受け、体が痺れる。涙が止まらない。耳がキーンと痛んだ。
一応、頭を庇うよう動いたはずだが、何の軽減にもなっていない。
刀を持つ手が緩んだ時には、手を蹴られていた。刀が手から離れて飛ぶ。
涙で滲んだ先に、悪魔のように笑みを浮かべる黒い男が銃を構えているのが見えた。
(死ぬんだ)
そう思うと、すぅっと血の気が引く感覚がする。
黒い男の笑みが消えた。
男の口が動いているが、爆発の影響か何も聞こえない。
「何ですか? 聞こえません」
言い残すことがあれば言えということだろうか。問答無用に殺してくるタイプと思っていた。
黒い男の目線は照準に合わせられていて、こちらとは合わない。
自分へではなく、別の人と話しているのではないかと思い至った時には、音が戻って来つつあった。
「都道。物語は終わった。もう『主人公』を殺す必要はない。やめろ」
柔らかい聞き覚えのある声が後ろから聞こえる。痛みからではない涙がにじみ出た。
「本間さん」
「聞こえているか。黙って、大人しくしてろ。折りたたみナイフ一つで抵抗しようと思うなよ」
見せてないのに、本間は折りたたみナイフの存在を知っている。黒い男の名前を呼んだ。なによりも、主人公という言葉が身にしみる。
(本間さんは、もうこれが物語だと知っているんだ……)
頬をつたう涙をぬぐう気力もない。
「そう簡単に信じるわけにはいかないな、本間君。本当に現実の記憶が戻ったのか?」
黒い男の目線に銃口も一切動くことがない。
「疑うのなら、いくつか質問していいぞ。親友のことならよく知っている」
本間の『親友』という発言に、黒い男が軽く吹き出し笑う。それも一瞬で、真顔に戻る。
「そうかそうか。なら、私とはいつからの付き合いだ?」
「簡単だな。小学生から」
あっさりと本間は答えた。
「私が一番好きな焼き鳥の串は?」
いくら親友といっても、わかるものだろうか。
「ああ。よくお前が頼むやつだろう。ねぎま、つくね、やげんなんこつ、はつ」
「言いあげて、人の反応を見るのは無しだ。答えは一品」
ピシャリと冷水を浴びせるような低い声を黒い男が出す。
「一緒に飲みに行った時のことを思い出してたんだよ。砂肝だろう。いつも最初に頼むからそれだ」
対照的に、本間は明るくおどけるような声だった。
「最後の質問。私が好きな人の名前は?」
「へえ」
考えているのか、沈黙が続く。
その間も、佐藤に向けられている銃はそのままだ。
「引っ掛けだな。お前に恋人はいないし、好きな人の話など聞いたことがない。いないが正解だ」
「その答えでいいのか?」
張り詰めた空気が漂う。
黒い男の冷酷で怜悧そうな顔からは、本間の答えが正解かどうかは読み取れない。目が一切合わないのが、恐ろしい。
銃の引き金に指がかかっているのが見える。
「ああ、合っているだろう」
雰囲気を緩めるが如く、本間の声が着地する。佐藤からは本間の表情は見えない。
黒い男はちらりと目線をずらす。
そして、ニヤリと奥歯まで見える笑みを浮かべた。
「大正解だ」
黒い男は銃口を下に向けた。
佐藤はいつの間にか止めていた息を吐く。吐くと同時に力までなくなったのか、床に膝と手をついた。
「大丈夫か」
佐藤の隣まで来た本間は、なぜかずぶ濡れだった。髪がペタリとなって、ぽたぽたと水滴が落ちている。ベージュのコートはなく、スーツも濡れて変色している。
「どうしたんですか?」
「大雨に降られて。それより血が」
本間は自身のネクタイをするりと外す。ハンカチを佐藤の肩に押しつけ、ネクタイで締め付けるように結んだ。
「すみません」
すべて自分の所為だ。本間はそれに巻き込まれただけだ。みぞおちも殴打した。ひどいことをした。非難してもいいのに、庇ってくれた。
「すみません」
言わないといけない言葉が頭に浮かんでは、次々とこぼれ落ちる。涙がこぼれ落ちて、床が濡れた。
とんとんと背中を軽く叩かれる。
「終わったことだ。この件を起こさせた悪の結社は、霊に憑りつかれていた連中だったんだよ。すべて除霊されたから、悪の結社は無いものになった。もう人が殺されることはない」
「は?」
涙が引っ込んだ。
本間も少し呆れたような顔をしている。
「ともかくも終わったんだ。安心しなさい」
「はい」
終わった。記憶のある本間がそう断言するのだから、そうなのだろう。
「ところで、好きな子に告白はしたのか?」
「あ」
以前に話したことを思い出す。あの時は咄嗟にそう言ってしまったのだった。
「いえ、結局のところまだ」
本間が朗らかな笑みを浮かべる。
「なら、ここは任せて行って来なさい。今は、作者の影響が及ばない時間なのだから」
****
走っていく佐藤を見送った後、都道は煙草に火を点けた。
「本間君。先程の答えはすべてハズレだ」
「そうだと思った。よくのってくれたな」
本間の『現実』の記憶というのは戻っていない。夏美という少女の言うことを信じての行動だ。佐藤の反応を見る限り、合ってはいるらしい。
本間は、最初に都道を止めた言葉を思い出す。
『都道、殺すな。物語は終わった。あとは信じてもらうだけだ』
あれで、よく演技にのってくれたものだ。
「必要ないのに、親友を悲しませることをわざわざしないさ。だけど、メタ過ぎるな。主人公に物語の終了を信じ込ませて、終了か」
都道は煙をくゆらせた。近くの椅子に座り、行儀悪く机の上に足をのっける。
「ああ。強引だ」
黒幕の排除と『主人公』が物語の終わりを認識すること。それでこの物語は終わりだ。『主人公』が、自らを主人公と知っているからこその終わりではある。
実は、タクシーで区役所へ移動し書いた分では話は途中だった。
全ての霊を徐霊するため、世界中のエクソシスト、陰陽師、巫女、道士、シャーマン等に活動させた。
霊だらけの世界で彼らが活躍する様子は書きやすかったが、時間がなかった。
夏美に続きを任せ、都道と佐藤の戦闘を止めに入ったのだが。
「強すぎないか、お前」
本間の言葉に、都道は大きく伸びをする。
「やぁ。にしても、残念だ。催涙スプレーと音響閃光弾なしに勝ちたかったな」
「あのなぁ」
本間はため息をついた。
「お前が俺の親友というのが信じられないんだが」
都道は煙を口からもらしながら、くつくつと笑った。
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