閑話 どうでもいい日常1

第35話 続・人の心は読めない方がいい

 都道が居酒屋に着いた時には、本間はすでに出来上がっていた。

 赤ら顔できゅうりをボリボリと食べている。


(これはひどいな)

 都道はコートをハンガーへ掛け、隣へ座る。


「よお」

「よぅ」

 本間の返事に元気がない。 

「どうした? お姉さんと何かあったか?」

 都道は心配する素振りを見せつつも、心の中では面白いことだろうと期待に胸を躍らせていた。


「……」

 本間は深く息をつくと、ビールをぐいっと飲んで、絞り出すようにこぼした。  

「俺は姉さんに嫌われとー」

 目は据わっていた。


(面白いなあ)

 都道の心の内では音符が踊っていた。



【続・人の心は読めない方がいい】



「おっちゃん。ビール一つ。二本ずつ、もも、豚バラ、シイタケ、つくね。鳥皮ポン酢二つよろしく」

 都道の注文に、力なく本間が手を上げる。

「……砂ズリも」

「砂肝も二本」



 乾杯して本題に入る。

「どうして嫌われていると思ったのかい?」

「お前は知っとーやろ、俺のお気に入りの椅子。あれが姉に板の塊に解体されたん」

「ああ、あれか。バラバラにしたくなるな」


(というより、何回かしたな) 

 釘やネジを使わずにパズルのように合板をジョイントさせて組み立てる椅子だ。元はアウトドア用らしく、分解すれば板とバンドだけになり持ち運びに便利だとか。

 風合いは木そのままで、アンティークの椅子のような趣がある。 


「また組み立てればいいだけだろ。何が問題だ」


「平日は時間がないけ、土曜日に俺が組み立てるんやけど、月曜日に姉に解体される」

「……」

「それを四週間も繰り返してる」

「苦行か?」


「苦行かもしれん。賽の河原、シーシュポスの岩みたいな罰を俺は受けてん」


(不毛なことをしているな。聞いてて楽しい)


「そうか。それはそれは」


「椅子のことはええんやけど。いや、良くはなかやけど。それより、姉さんがそんなことするほど追いつめてしまったん。普段は普通やけど、隠しとうだけで、きっとそーとー俺のこと好かんのやろうと」


(まあ、秘めた思いはあるな)

 都道は表に出さないよう、内で笑いを噛みしめる。


「ところで、例のことは話したのか?」

 あの未完の物語が危険という話を姉にすると言っていた件のことだ。


「話したさ。けど、なんか手ごたえがなか。姉さんは何か言いかけて何でもないとかゆーし」


 未完の物語が暴走して人を飲み込むというのは、姉にとっては既知のことだから驚きはしないだろう。


「女性の『何でもない』は何でもなくはないぞ」


「なして?」

 

「そういうものだ」


「わからん」

 本間は熱を測るように手を額にやった。

「どうしろという。『何でもない』と言う人にあれこれ訊いてもうざったらしいだけやん」


「この人に言っても駄目だと悟った時に、不満を言わずに溜め込む。女性に限ったことではないがな」


「うっ。じゃあ、姉さんも……。それで椅子が……」


「何か心当たりはないのかい?」


「心当たり……」

 本間の目が中空を彷徨い、ジョッキが回った。

「家事の負担がな。姉さんの方が重いんやないかと」

「ほう」


「俺が高校生の時は、家事は全部な親がやってくれてたん。俺もな。姉さんの保護者やん。親として姉さんが学業に専念できるよう、できることはやってあげようという気持ちはあるん」

「ほうほう」


「姉さんの個人部屋の掃除や洗濯はせんよ。もちろんな。それ以外の掃除や料理や皿洗い、ゴミ出しはしようと。一人暮らしの時でも当たり前にしよったし」

 

 本間はため息をつく。


「どうしても、俺が仕事で遅くなることが多くてな。買うか、自分の分だけ作って食べとってとは言うとってても、姉さんは俺の分まで作っててくれてん」

「良かったな」


(おや、普通に良い話じゃないか)


 注文の品が来たのでまわすと、本間は片っ端から食べていく。

 都道も本間の話を聞きながら、舌鼓をうつ。


「いいから、いいからと言ってもな。『好きな人を落とすには、胃袋からというから』と言うて。そうかあ。好きな人できたかあ。と涙がじんわり出てん。言うとくけど、父親な気分でな。感動の涙やて」


(それ本間君のことだぞ、たぶん)


「でな。応援したろと思って、『チケット余ったからあげる。友人と行って来たら』と姉さんに遊園地や水族館のチケットを二枚渡すこともしてん、俺は」


(へー)


「姉さんは優しいから俺と一緒に行きたいと言ってくれるけど、ちゃんと断っとーよ。俺はえらい」


(ダメだな)


 そもそも本間は高校生に手を出す奴ではないが、あの姉はなぜ本当は血が繋がっていないということを弟に言わないのだろう。


「それがどうなったかは知らんがな。もし姉さんの誘いを断るような男がいたら、『部屋干しの生乾きの匂いで嫌がられろ』と呪う」


(洗濯物がよく乾くといいな)

 鳥皮ポン酢が弾力あって美味しい。噛みしめながら、ニヤニヤを噛みしめる。


 


「話がそれて、すまん。平日の夜でそんな感じやん。それやのに、俺は一人の時と同じように土日は昼まで寝とん。起きたら、お昼が用意されててん」


 本間は恥じるように顔を伏せた。

 それでもジョッキは回る。


「俺が姉さん、姉さん言うから。姉さんも頼りにならなという気持ちになってしまうんやろ。世間的には俺が兄だから、俺が兄らしくせんと」


「本間君、弟だったり、父になったり、兄になったり忙しいな」

 特殊環境にあるとはいえ。


「祖父にもなれると思う。孫のように目に入れても痛くない」

 酔いつつもキリっとした顔を本間はする。


「三十にして老成するな」 

 早すぎる。



「や、まとめるとな。俺がしっかりしてないがために、姉さんの不満が爆発した結果やないかと」


(不満が爆発したしか合ってないな)

 ビール美味しいな。


「そうか。それでどうするんだ?」


「しっかりして、平日も早く帰れるようにして、土日は早起きして、朝ごはんを作るちゃ」


(あ、『ちゃ』が出た)

 語尾に北九州弁の『ちゃ』が出たらもう酔いの最終段階である。


(まず、明日の日曜が無理そうだな)

 

「おー、頑張れ~」

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