第六章 年下の姉は未完部に入りたいと言うので

第25話 年下の姉は未完部に入りたいと言うので


 姉であるところの本間 夏美は、戸籍上では両親の養子となり本間 続の妹になった。

 時間が経って物語からの帰還は前例がないことではないらしく、実社会を生きていくための処置であった。

 続にとっては、唯一の姉が血縁関係でなくなるのは口惜しいものであったが、仕方ない。親と自分だけは真実を知っていればいいだろう。


 現在、本間 続は夏美の保護者として、東京に一緒に住んでいる。

 実家の北九州の方にいるようでは、十数年前に消えたはずの人が近所を歩いていたら怪しまれるだろうという判断だ。

 

 事情は様々あるとはいえ、姉がここにいるのは幸せだ。

 姉がいるだけで、ご飯が美味しい。

 間違っても、オカズとかそういう意味ではない。

 そんな邪な目に見るような奴は、自分であっても殴り倒したい。


 今日も、朝食の味噌汁とご飯とお漬物がうまい。 

「続、その怒られるかもしれないのだけど」

 姉の柔らかな声にニコニコしながら、優しく返す。

「ん? 怒るなんてことはないよ」


 姉は躊躇した様子を見せたものの、意を決したように言う。

「私、物語未完部に入ろうと思うの」


 味噌汁吹いた。 



【年下の姉は未完部に入りたいと言うので】



 咄嗟に横に向いたため、吹いた味噌汁は姉に直撃せずに済んだ。

 慌てて雑巾を持ってきて、テーブルと床を拭く。

「あ、あの、どういう訳で未完部に入るというのかな。姉さん」

 いささか動揺を隠せずにいる。


「以前から興味はあったのだけど。偶々、部長の今田 みかんさんに誘われて。それで」

(あんの、みかんめ。絞って、つぶつぶみかんジュースにしてやろか)

 代わりに洗った雑巾を力いっぱい絞る。


「姉さんは作家なのだから、未完部に入るのはどうかと思うんだけど」

「続も、物語終了課係長なのに未完部に入っているって聞いてる」

「うっ」

(みかんの奴、余計なこと言ったな)

 つぶつぶみかんジュースではなく、スムージーの方がいいかもしれない。


「怒る?」

 姉がちょこんと小さな顔をかしげる。艶やかな黒髪が流れた。

「怒るわけないじゃないか」

 そんな可愛らしい態度をされては。

「そう」

 目線を逸らし、心なしか残念そうな声で姉は言ったが、すぐに気を取り直したのか笑みを浮かべた。

「あのね。次の日曜に文化祭があるの。来てくれる?」

「もちろん」

 何の予定が入ろうとも踏み潰してそっちへ行く。




 日曜日。高校の文化祭当日。

 朝の澄んだ空気に金木犀の香りが鼻腔をくすぐる。上着を着こむにはまだ寒くはなく、過ごしやすい温度だ。


 九月に転校したばかりの姉には、事前準備というものは課せられなかったという。

 なので、姉と一緒に出向く。

 保護者として、弟として(世間的には兄になる)、きちんとしているところを見せなければ。

 そのために、怒鳴るとか物を叩くとかは駄目だ。

 ただ高校の文化祭に行くだけのことである。今田 みかんが居れど、穏やかに対応する。

 紳士的に対応する。 

 決意を固めて、高校の門を見上げる。


 と、背後から拡声器の音がした。

『毎度、お騒がせ致しております。未完物語回収車です。ご家庭内で不要になりました物語がありましたら文字数の多少に関わらず回収致します。古いものでも構いません。ご不明な点がございましたら、お気軽にお声をおかけください』


(ちょっと待てぇぇ―――!!)

 本間は音の発信先に駆け寄り、トラックの運転席側の窓をコツコツと叩いた。 

「なに?」

 堅物そうな女性がウィンドウを下げて、顔を出す。

「広井係長ともあろう方が、休みに何をされているんですかね」

 物語回収課の係長の広井。

 こんなところで会うとは思わなったが。

「副業」

「公務員に副業は禁止なんだけど」

 本間は眉をひそめる。

 

 国家公務員法103条

『職員は、商業、工業又は金融業その他営利を目的とする私企業(以下営利企業という。)を営むことを目的とする会社その他の団体の役員、顧問若しくは評議員の職を兼ね、又は自ら営利企業を営んではならない。』

 とある。


 公務員はあくまでも国民に奉仕する存在として、一企業に偏ってはいけない。新聞配りや清掃というアルバイトだとしても禁止だ。守秘義務や信用問題等がある。

 発覚すれば、減給や免職もあり得る。

 

「あら、知らないの? この頃、緩くなったのよ。ちゃんと許可を受けてる」

「うそぉ」

 確かに、働き方改革で公務員にも副業解禁とかいう記事は見たことはあるが。

「本当。本業の知識も役に立つから気軽にできるし、大量の物語を回収できて満足」

 確かに、トラックの荷台に古紙、新聞紙回収かと思われるくらいに、縛られた紙の束が積んである。


「あの~。その回収したやつ、きちんと処分されるんですかね」

 どことなく嫌な予感しかしないが訊いてみる。

「物語終了課に送るに決まってるじゃない」

(ああああああああ!)

 叫びたい気持ちを抑えて、本間は胃の辺りを押さえる。

(月曜日から逃げたい)

 仕事に行きたくない。まだ日曜の朝なのにサザエさん症候群に襲われる。

「じゃあ、また」

 広井はウィンドウを上げ、手を振り、トラックを発進させる。

 灰色の排気ガスを出して、トラックはゆっくりと道路を進んでいった。


『毎度、お騒がせ致しております。未完物語回収車です。ご家庭内で不要になりました物語がありましたら文字数の多少に関わらず回収致します。古いものでも構いません。ご不明な点がございましたら、お気軽にお声をおかけください』


 呆然と立ち尽くした本間は、重要なことに気づく。

(せめて、物語はデータでもらえ―――!!)

 叫べば広井に聞こえただろうが、今はそうはいかなかった。

 


「続、どうしたの?」

 いきなり飛び出していって、戻って来た本間に姉が訝し気な顔をした。

「い、いや、同僚とばったり出くわしたから、挨拶してただけ」

 精一杯、笑顔を作りながら、平然を装いながら、本間は答えた。



 思わぬ伏兵に会ってしまったが、もう今田 みかんに会うまでは大丈夫なはず。

 深呼吸をして、高校の門をくぐっていく。

 校舎の前の広場にテントがずらりと並んでおり、タコ焼きや揚げパンアイス、焼きそばなどを売っている。

 呼び込みの着ぐるみがプラカードを持ってたり、コスプレした学生がネタを仕込んだプレートを掲げたりしていて、どこか懐かしさに微笑ましく思う。 

 

「ポンカン係長~」

 なんか聞いたことのあるような声がするが、たぶん幻聴だ。ずんずんと進むに限る。

「アンポンカン~」

 こっちに向かって言ってる気がしないでもないが、間違いなく幻聴である。

 なぜなら、自分は本間 続であり、ポンカンでもアンポンカンでもないからだ。

「あの人たち、続を呼んでいるみたいよ」

 姉がそっと弟の袖を引っ張る。

 仕方なく本間は振り返ると、やんぬるかな、部下の遠藤と小牧が手を振っていた。 

 

 胃の痛みが重くなったような気がした。

       

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