第23話 人の思いは人それぞれ


「はじめまして、本間 夏美さん。私は都道といって、弟さんの親友です」


 そう言うと、少女は目を見開いた。

 都道と同じ高校の制服を着ている。ということは、本間 続の見当は大分当たっている。

 失踪当時と同じ姿をしているとは思わなかったが、物語世界の時間が止まっていたか、ループしていたか。現実世界とは時間の流れ方が違うとは聞いているから、そんなものだろう。


 容姿は肩まで届く艶やかな黒髪に、人形のような体躯。顔はくっきりしていて、年を重ねれば結構な美人になるだろうが、幼いためかキツイ印象を受ける。

 調査の時に写真を見た時には、気が強そうと思った。

 ただ実際に会ってみると、また少し違う。


「血が繋がってないわりには、どことなく弟さんに似てますね」

 当然ながら、続の顔が同じくらい良いという話ではない。醸し出す雰囲気が似ているのだ。


「あ、あの、ごめんなさい……まさか漫画みたいに一帯を支配してる番長が現実の人だと思わなくて……」

 夏美の顔はかわいそうなくらい蒼白で、ただ謝りながらも警戒してか少し後退る。

「私のことをこちら側の物語の主人公だと思って、殺すような書き方をしたんだろう。気にしなくていい。なかなかスリリングで楽しかった」

 

 植木鉢が降ってきたり、車が突っ込んできたり、通り魔に遭ったり、屋上にいると背中を押してきたり、バラエティーに富んでいた。

 本間が何も言わないのが不思議だったが、主人公視点でしか文章が書かれないなら知らなくて当然か。

 

「スリリングで楽しかった……?」

 素直な感想を述べただけなのだが、怯えさせてしまったらしい。


「そうビクつかないても大丈夫。本当に恨みに思ってなんてないから。でも、罪悪感を抱くなら、ちょっと話を聞いてくれないかな」

 その言葉に、夏美はようやく肩の力を抜いて頷いた。




 日は完全に落ちきっていた。

 公園には誰も居らず、たった一つの電灯がベンチのまわりを照らしている。

 夏美はベンチの端の方へ座り、もう一方の端に都道が座った。


「さて、どこから話そうか。まず、世界の一部改変に気づいて、こちらの物語を終わらせようと私を殺そうとした。そして、私が主人公でないどころか登場人物でないことに気づいてからは、こちら側の物語を探りに来たってとこかな」


「はい。結構遠くからだったから、わからないと思ったのに」

 現職の警察官をなめてもらっては困る。


「その一部改変をしたのは君の弟さんだ」

 隣から小さく息を呑むのが聞こえた。

「弟さんは、わざわざ君の作品に被るようにして未完の物語をつくって暴走させた。君に戻って来てもらいたいからだ」

「……」

 夏美は身じろぎするものの、何も口に出さない。


 本間 続は惜しかった。

 夏美の物語に被りはしたが、内包はできていなかった。

 本人が言う通り、元の物語がわからないため、できるかもしれないだったのだ。

 続は物語を終えようと頭をひねっていたが、夏美の方も方で侵入者がいるとみなして帰すべくこちらの物語を終えようとしていたわけだ。


「君がここにいるのは、君の意思だね。物語を書いていての事故なら、データか紙かなにか原本が必ず残るはずだがそれがない。推測だが、物語に飲み込まれた後に燃えるよう仕掛けたのではないかな」

 都道を見ずに、夏美は首を縦に振った。

「そこまでして、現実から逃れたかった理由……」

 スカートが擦れたわずかな音がする。夏美が服をきつく握りしめていて、爪の先が白くなっていた。


「その理由はどうでもいいから、別の話をしよう」

 警官のツテで、理由については無理やり推察はできるのだが。他人の思いなぞ、分かるわけがない。話すべきことでもない。

「ノージックの経験機械は知ってる?」

「えっ?」

 ぱっと夏美が顔を上げる。手も宙を浮いた。


「思考実験の一つでね。脳に繋げると思い通りの人生を経験させてくれる機械があるとする。夢のような仮想世界の中で生きられるってことだな。けど、一度繋げるともう二度と外せない。あなたは機械に脳を繋げますか? というものだ」

 夏美が興味深そうに聞いているのは、視線で感じる。


「あくまでも思考実験で正解はない。哲学的には『現実への作用』やら『何が幸福か』やら色々述べるのだろうが……」

 都道は関係ないという風に手を上げ、振る。


「私の解答としては、カミさんがいるから機械には繋がらない。夢のような思い通りの人生でも、カミさんと付き合えるだろうが、それが本物じゃないとわかっていて機械と繋ぐことはできないな」

「……」

「ああ、機械に繋がれば、少なくとも妻に捨てられることはないのだけどな」

 都道はそう笑うと、夏美からくすっと声が漏れた。

「ちなみに、現実で捨てられてないのでご安心を」

 ふふ、と声が漏れる。


「何が幸せなんぞ、人によるだろうし、私は人に押し付けるつもりもない。ただ、少なくともこの世界は現実じゃあない」

 とんとん、と都道は下を指した。

 夏美の体がピクリと動く。暗に指し示していることがわかったようだ。

 

「弟さんは、君の作品と世界が同じ自分の作品を終わらせれば、君を助けられるかもと思っている。だが、君も知っての通り、世界が同じでも別の物語だ。君が現実世界に戻るには、君自身しか知らない物語を終える必要がある」

 都道は自分の学生鞄を開いて、クリップで止めた紙束を取り出しベンチへ置く。


「そうだ。弟さんの代わりに物語を終わらせてくれないか。これ、途中までだけど、コピーな。恋愛ものなんだが、アイツに恋愛ものは無理だと思う。主人公は私に振られたばかりだから、弱みにつけこむなら今のうちだから頼むよ」


 呆気にとられ、夏美の口が開く。

「あの、弟の親友なんですよね?」

 弟の意にそわないような行動をしているのが気にかかるらしい。

「そうだとも」

 都道は口元に笑みを浮かべる。


 ―だからこそ、現実に戻る気のない君に会わせるわけにはいかなかった。 

 

「何が幸せかを人に押し付けるつもりはない、と言っただろう。仮想世界で生きるか現実で生きるかは自分で選べ。言っておくが、現実では十九年経っている。今思いついた憶測でしかないが、君が原本を消失させた所為でここの時が止まったのだろうね」

 

 物語が暴走する瞬間を見せてもらったが、あれは文字が画面上をホラーのように自動筆記されて踊る。更新され続ける。紙でもそうだろう。

 それが原本が燃やされ消失した瞬間、物語は人を飲み込んだまま時が止まるという現象を引き起こした。


「十九年……」

 唖然とした声が夏美から漏れる。

「弟さんの物語が終われば、また時間が止まるかもしれんがね。それは私にもわからないことだ。ただ言えることは、現実に戻るなら人間関係はリセットできるし、ここの仮想世界なら辛いことも不慮の事故で死ぬこともないというくらいかな」

 それが幸せというなら、それでもいい。   


「と、話はここまでだ」

 都道は立ち上がり、細かい砂を払う。

「はい」

 頭を下げたまま、消えそうな声で夏美が応えた。

「さようなら」

 


 数歩足を進めたところで、背後の緊張がふっと解けたのを都道は感じ、

「あ、最後に一つだけ」

 と振り返った。

 夏美の肩が大げさにびくっと動く。


「ごめん、ごめん。一つだけ忘れ物」

 一つ冊子をそっと夏美の膝の上にのせる。

「弟さんの小学校の卒業文集。君のような作家になりたいと書いてて、現在、作家になるどころか作家に悩まされているんだけどね。傑作だろう」

 と、都道はニヤニヤ笑う。

 夏美は目をぱちくりさせて、その顔を見上げた。

 直接目と目が合う。

 すっと都道は笑みを消し、冊子を指さし、穏やかに告げる。

「君を慕い、想って書かれた文章だ。読め」


 そして、今度こそ背中を向けて都道はそこから去った。

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