第11話 ストーカーをストーカーしている人をストーカーされてる人がつけてみる

 何事もなければ、物語終了課は公務員の理想である定時退庁ができる。

 公務員の皆さん方は時間に厳しくピッタリだ。

 一部の方々にとって、定時というのは仕事を止める時刻ではなく、仕事場から出る時刻なのである。とりわけ遠藤は秒単位で正確であり、終業の十秒前になると扉の前で直立の姿勢で待っている。

 

 それなのに、今日は三分経っても遠藤は机に座っている。

 机の上はきれいに整理整頓されており、仕事が溜まっている様子はない。

 パソコンの電源は既に切られており、遠藤も何もしておらず座っているだけなのである。 

 本間は違和感を覚えながらも、そんな日もあるだろうと黒鞄を持って席を立った。

「お先に失礼」


 仕事が終わってからの足取りはいつもなら軽いものだが、ストーカーをされてからは重い。

 本間は正門の前で立ち止まり、巣穴から顔を出して肉食動物を警戒する小動物のように外を警戒する。

 例のミカン色は見えない。だからといって油断は禁物だ。

 毎回、正門から出ようが裏門から出ようが奴はどこからともなく出現するのである。


「よし、行こう」


 自分に言い聞かせて、本間は一歩を踏み出す。

 駅に行く最短距離ではない道を頭で思い描く。道を蛇行して、だけどあやしいお店の前は通らないように。

 一つ目の信号を渡ったところで、本間は振り返った。

 ピョコッとミカン色のおさげ髪をした女子高生が電信柱から顔を覗かせる。同時に後方の電信柱に隠れる影が見えた。


「ん?」

 気のせいだろうか。気になってさらに歩いたところから、後ろを見る。

 近くの電信柱ではなく遠くの電信柱に注目していたものの、人影が隠れたとしか見えない。


 本間をストーカーしている今田みかんを、さらにストーカーしている者がいるのではないだろうか。

 にわかには信じがたいが、三十代男をストーカーしている女子高生より、女子高生をストーカーしている誰かのほうがあり得そうなことだ。

 

 今田が危ないんじゃないか?

 本人も十二分にあぶない人物だが、一応は非力な女子高生だ。

 そのまま放っておくわけにはいかないだろう。


 苦労性だと自分でもわかっているが。

 本間は一計を案じて小道に入っていく。高層ビルが立ち並ぶ都会でもちょっと脇に入ってしまうと、急に道は狭くなり変な曲がり方をし、それに合わせて建物も直角の四角形ではなくなる。

 蔦が覆った家を横目に、ヘアピンのような道をぐるりと一周する。

 予想通り先ほど隠れていた人影らしき男が目に見えて、本間は男の肩を叩いた。


「ちょっといいかい? ……って遠藤?」

「何をやっているんですか、係長」

「いや、それはこっちのセリフだよ。何をやっているんだ?」

 抗議してくる遠藤に、呆れたように本間は言う。


「いえいえ、何をやっているんですか、係長。女子高生が係長をつけてますよね。私が女子高生をつける。で、係長が私をつけるとずっとぐるぐる回ることになるじゃないですかっ!」

「知るかっ! それが問題ではなく――」


 本間が続けようとするのに、遠藤は覆いかぶさるように大きな声で、

「問題です! そんなグルグルグルグル回ってたら、いつかバターに――」

「なるかっ!」

 さらに上回る声で本間がツッコむ。だが肺活量の限界いっぱい使って、本間は思わず咳き込み始めた。その首後ろを勢いよく今田がジャンピングチョップする。

「とうっ」

「ごほっ」

 肺の中の空気を一気に放出して、酸欠だか眩暈だか目の前がぐるりとまわって倒れこむのを本間はなんとか踏みとどまった。


「何をするんだ」

「私の話してる? ねえ、してる? もしかして」

 本間のことは無視して、今田はキラキラと目を輝かせて遠藤を下から覗き込んだ。キラリッと眼鏡を光らせて遠藤は答える。


「そうですよ。この三人の三角関係についてお話していたところです」

「してねえよっ! 三角関係でもないっ!」

「いいえ係長、立派な男女の三角関係です。図解にして示しましょう」

 受け取るように自然に遠藤は今田からスケッチブックとマッキーを取りあげ、流れるように描き、テレビでフリップを出すような大げさで芝居がかった仕草で図を提示する。


「これが、お茶の間、大好き、三角関係!」

「カン、ビン、ペットボトル、リサイクルじゃねえか、そのマーク!! 確かに三角だけどっ!」

「そう三角でぐるぐる回っているところが、まさにこの状況にふさわしい」

 自分の正しさを噛みしめるように、遠藤は深く頷く。

 白衣のようなコートと黒縁眼鏡で見た目だけはもっともらしい。本間は片手で頭を押さえて、深く息をついた。


「えっ、そうだったの?! 未完部と終了課で三角関係だったのね! ペットボトルのリサイクルなのね!」

 どうしてか、今田みかんが納得している。ペットボトルに表示されている三角の矢印のリサイクルマークがどうだと言うのだ。


「仕方ないわ。皆さんに物語未完部に入部していただくほかないみたいね」

「どうしてそうなるっ!」

 理解があさっての方向に向かっていたようだ。叫ぶ本間に、にぱッと笑って今田はスケッチブックを取り返す。


「物語の最後と最初が同じで輪のようになっているループものは、未完と終了が奇跡的に融合している形なのよ。続きが気になっても続きがない状態。終わりもない状態。皆、ループを終わらせて物語を終了させようとするけど、ループでいいのよ! ループの中で永遠に終わらず未完!!」


 本間が口を開きかけた時、すかさず遠藤が正面に立った。

「いいえ、未完と終了は相容れないもの。それに未完が終了することはあっても、終了が未完になることはないのです!」


「そんなことはないわよ! 終了した物語でも続きを書いてしまえば、未完の物語になるわ。今、終了したと思われている物語でも、明日になったら未完の物語になっているかもしれないのよ。物語の終了だなんて曖昧なものに囚われないで、未完にしてしまえば楽じゃない!」


「続きが未完であっても、終了したものは終了したものです。シリーズもので終わったものが再開したとしても、それは第二シリーズであってその前のシリーズの終了が未完になることではないのです」


 呆然と口を開いたまま、本間はテニスの試合を見ている観客か審判のように二人をかわりばんこに見る。


「見解の違いはどうしようもないわね。では、終了すること自体が有害なのに、物語を終わらせている事実をどう説明するのよ?」

「はっ! 物語を終わらせることが有害というのは、どういうことですかね」

 アメリカ人のような大きな身振りで、遠藤は肩をすくめてみせる。


「事の重大性をわかってないとは呆れたものね。説明して差し上げるわ」

 対抗して今田も縁石の上に立ち(それでも遠藤の背には大分届かない)、右腕を振り上げ遠藤を指差した。


「未完だと続きが気になって時々思い出したり、続きを想像したり書いたりして、新たなる生産活動に繋がっていくのよ! 物語を終了させる行為は未来の可能性をつぶしているのよ!」


 遠藤は鼻で笑って、腕組みをする。

「未完の物語の方が害が多いのになにを言っているのでしょう。物語の続きが気になって、恋人の話をうわの空で聞いてふられることになる。注意が散漫になり車を田んぼにつっ込む。目玉焼きを焼き焦がす。被害はこまごまとしていますが、塵も積もれば山となるのです。年間の被害総額は一兆三千億円弱あたりになると、文部科学省は試算しております」


「未完の物語は人を長生きさせる効用があるの。続きが気になって死ぬに死ねないっていいことじゃない」


 言葉のラリーはまだ終わらないらしい。

 立ちっぱなしで、本間はいい加減に足が疲れてきた。

 屈伸して、アキレス腱を伸ばしても遠藤と今田の論戦は終わってない。

 もう本間には理解不能な高度なものになっているような、違うような。

 いずれにしても、本間にはよくわからない。


(ん? あれ? 俺は関係ないよな。二人を置いて帰っても気づかなそうだし)

 最初に今田を心配したことなど、本間は頭のどこかにやってしまう。

(むしろ、チャンスじゃないか。今田が俺より遠藤にストーカーとか、未完部の入部を迫ったりしてくれれば。遠藤も嫌がらないだろうし、いやむしろ喜ぶような……)


 一抹の不安を感じつつ、本間は二人に背を向けて行こうとしたところ、

「係長が不戦敗してどうするんですか」

「逃がさないわよ」


(どうしてそこだけ息があっているんだよっ!)

 ぐわしっと本間は首根っこを遠藤、腰を今田につかまれる。特に腰の方は肉に食い込むほどしっかりとつかまれていて身動きがとれない。


「係長のせいで話の腰が折れましたが、未完の物語で評価が高いのは稀です。未完の物語は途中で人気がなくなって、そのまま出版することがなくなるのがだいたいですよ。保護するほどのこともありませんね」


「っ! そうくるのね。でも未完の物語で良いのもあるって認めたわね」


「しかし、全体の数からいけばごく少数にすぎませんし、未完で評価を得ている作品は、高名な作家が亡くなったことによって終わることができなかったのが主です。それは作家が終わらせるつもりであった作品であるので、終了していれば未完より優れた物語になるのは確実です」


「そうは言い切れないわ。未完には夢と希望があるのよ。終わらなければもっといい物語になる可能性が残されているの。もう読者の中で想像していく無限の可能性があるのよ。もしかしたら、作者よりいい話を後世の人がつくってしまうかもしれない」


「あ、あのさ離さない?」

 遠藤と今田は背を向けた本間をつかんだまんま、本間を蚊帳の外に試合を続行している。 

 本間の言うことなど無視である。

 変な体勢で居心地が良くないまま、本間は肩を落とした。



 それからどれくらいたったか。

 つり革や掴まるものもない立ちっぱなしで首根っこと腰はつかまれている状態で、実際の時間以上に本間は長く感じていた。

「詭弁よ」

「そうでしょうかね。そう言われるのでしたら、どうしてそうなのかを具体的に立証していただかないといけませんね」

「ん~」


 ようやく勝負あったらしい。

 遠藤が勝ち誇った笑みを浮かべている。

 反対に今田は口元を固く引いてうなっている。

 実は、遠藤は文学部物語終了文学科出身で、卒論は『物語の終了におけるおにぎりの役割について』である。

 本間は単なる文学部出身なので、理論展開の話になると遠藤に頼っているのだが、こんなところでも役に立ってくれるとは思いもしなかった。


(終わった、終わった。これで帰れる)

 本間がほっと肩をなでおろしたところ、今田がまだ続ける。

「まだよ。少なくとも、物語終了課、物語終了班、物語終了係の係長である本間 続は、物語未完部に入らないといけないわ」

「はぁ?!」

 本間は蚊帳の内に入れろと、思っても願ってもいない。


 今田は縁石から飛び降りると、ずいぶん高いところからのように着地した。そして、ゆっくりと本間の方を向き、

「だって本間は、みかん目みかん属みかん科、ポンカンなんですもの!!」

「はいいい?!」

(ポンカンってあれか、果物のポンカンか)

 とっさのことに脳の回転が遅れている。


 本間は首が痛いのを我慢して、後ろを向いた状態を保った。

「わからないの? 棒一本はイッポンであって、イチホンと読まないのよ! 空間はクウカンであって、ソラマじゃないのよ! だから、ホンマではなくポンカンと読むのよ!」

「いや、本間ほんまだから。ホンマって読むから」

 本間が抵抗するも、部下の遠藤は力強く頷いた。


「なるほど、確かに係長はアンポンカンです」

「おい! 認めるな! 何、その認め方!アンポンカンって!」

「しかし、ポンカンはカンケツ類にも属するのです!」

 自信満々に遠藤が本間を指さす。

「ま、まさか! 完結がそんなところに存在してたなんて!」

 驚きで固まる続川。固まった状態が数秒続き、本間はそんな二人に申し訳なさそうにぼそりともらした。


「カンケツ、完結。へ? あ、あのさ、カンキツ、柑橘類じゃないか?」

「係長、そこは華麗にスルーしてくださいよ」

 声を落として遠藤が責める。

「あの、苦しいだろ。ダジャレとしてもさ」

「いえ、私はポンカン係長のために寒いダジャレを言ったのです。このままだと、係長は物語未完部の部員ですよ」


「今、ポンカン係長って言わなかったか?」

「いいえ。空耳ですよ。ホンマもポンカンも同じように聞こえますから」

「聞こえるかっ」

 本間と遠藤だけでしゃべっているのが気に食わないのか、今田が注意を向かせるようスケッチブックをバタバタとしている。

「と~に~か~くっ! ポンカン係長は、完結ではなく未完に属するのよっ!」

「お前もポンカン係長って言うな」


(なんだ、この絶望的な敗北感。いくら名前から悪口をつくり出す才能にあふれた小学生でも言われたことはない)

 

 本間はガックリと肩を落とす。二回目なので相当な猫背になってしまっている。遠藤は慰めるように本間の肩を叩いた。

「これはもう結婚して苗字を変えるしかないですよ、係長。さっさと明日にでも結婚してください」

「できるかっ!」


 彼女をつくるために、今田のストーカーをやめさせたいと思っている段階なのである。まだスタートラインにも届いていない。

「無駄よ~。名前が続なんだから。ツヅクなんて、ほんと未完部にふさわしいわ!ほほほほほほ」

 余裕な笑みを今田は浮かべ、暑くもないのに豪奢な扇子であおぐ。


「……反論……できません。係長の名前がために負けるとは」

 悔しいというよりは、屈辱的というように遠藤は額に手を当てる。

「俺の名前のせいか!」

『そうです』

 先ほどのテンションとはうって変わって低い声で遠藤と今田がハモり、同時に本間から手を離した。


「はい、ということでポンカン係長は未完部に入部ね」

「負けた手前、手伝わさせていただきます」

 今田が紙とペンを取り出し、遠藤が腕まくりする。

「はあ?」

 わけがわからないうちに本間は腕を取られ、強制的に物語未完部の入部のための誓約書にサインをさせられた。


「そういえばお名前は何とおっしゃるのでしょうか。挨拶が遅くなりました遠藤 了といいます。遠藤は終わりのエンド、了は終了の了です」

「今田 みかん。みかんはひらがなで、残念ながら未完成の未完じゃないの。名刺なら私も持ってる~」

 後は普通に名刺交換がされた。




 精神的にも肉体的にも疲れきり、本間は玄関を開けるとベッドへ倒れこんだ。

 大の字になり天井を見上げぼんやりと眺める。雲のような天井のシミを数えて、線でつないだりする。

 古い借家だから大分時間をつぶせてしまう。

 腹筋で起き上がり、携帯を取り出して実家にかけた。


「あ、俺、続やけど」

「おう、珍しいな。お前からかけてくるなんて。何かあったか?」

 母親でなくてよかったと少し本間は安心した。

「なあ親父、どうして俺の名前は続という名前になったんだ?」

「何事も諦めずに、次に進むように『続く』という願いを込めたんだが、どうした?」


「終らせて欲しかった」

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