第10話 同僚に悩みを打ち明けるものじゃない。ネタにされるぞ

 早朝、本間は満員になる前の電車に乗ることにした。

 早起きがつらいが、これであの女子高生をかわせるはずだ。端っこに座り、車両全体を見渡す。高校生らしい制服も全く見当たらない。


(右よし、左よし、前よし、上……いないな)


 当たり前のことに安心する本間だった。

 これで忍者みたく天井に張りついてもらっちゃ困る。

 深く座席に腰掛けて窓の外を見やる。ぎゅうぎゅう詰めになっている毎朝とは違った安らぎの時間がそこにはあった。まばらに人が歩き、川沿いの桜は盛大に散り際を見せている。

 電車に乗り込んだ時には暗かった空が段々と明るくなっていった。


 本間はぼんやりとした頭を切り替え、次の駅で降りるべく立ち上がった。電車がホームへ滑り込み速度を落としてく。

 扉の外では電車を待っている乗客の列が次々と流れていき、みかん色の髪の女子高生の前でピシャリと停まった。

 スロットで思いがけなくミカンが揃ってしまった感覚に陥る。


(いたか)

 みかん髪の今田 みかんは応じるようにピースサインをした。

 本間はそそくさと階段を二段飛ばしで上がっていった。



 習慣になっていた時間をランダムにずらせば、ストーカーだってやりにくくなるだろう。というのは無駄だった。

 むしろ本間が疲れるだけだった。

 今田みかんの親に訴えたかったが、親のことは知らない。


「う~ん」

 本間は背そらし、腕組みをして唸る。体重をかけた背もたれがギシギシと鳴る。

 常識的に考えて、女子高生にストーキングされていると警察に相談したところで相手にしてくれそうにない。

 知り合いに警察官がいるが、きっと奴は面白がって事態を悪化させるだけだ。


「どうしました、係長? その終わり方は元の物語とズレすぎますかね?」

 新人の小牧が小首を傾げて問う。本間は小牧が終了させた物語をチェックしているところだった。

(しまった)

 仕事中まで気になってしまうとは、重症だ。ストーカー被害に遭っていて、せっかくのゴールデンウィークを有意義に過ごせなかった所為だ。


「いやあ、大丈夫だよ。今回も物語として終わっているよ。ただ個人的に悩み事があっただけさ」

「愚痴れば気持ちが軽くなりますよ。聞きますよ」

(新人に気をつかわれるなんて)

 今までの新人や同僚にはなかったことだ。

 古株の遠藤なぞ気をつかうどころか、上を上と思ってない態度である。少しうれしいような照れくさいような苦笑いを本間はして、


「まあ、俺のことじゃないだけど。俺の同級生、え~三十代のオッサンだが、女子高生にストーキングされて困っててな。どうアドバイスすればいいかな」

「妄想乙」

「病院をすすめたらいいと思います」

 遠藤が仕事の体勢を崩さないままぼそっと言い、小牧は重々しく憐れむように目を伏せた。


 ―ここから消え失せたい


 本間は頭から思いっきり突っ伏した。

 叶うならば、時を数十秒戻したい。不意打ちに鳩尾に打ち込まれてノックダウン、そんな心境だ。

 すべての偏見と常識よ、滅んでしまえ。


「係長、ご友人がそうなってしまったのは本当に気の毒としか言いようがありません。お気持ちお察しいたします。近頃ゲームもVRとかでリアルですし、現実と妄想の境目が分からなくなるのも当然かもしれませんね」

「……」


 突如、バタフライの息継ぎをするように本間は顔を上げ立ち上がり、

「俺だよっ。女子高生にストーキングされているのは俺なんだよっ!」

「ご愁傷様です」

 数珠をじゃらじゃらさせながら、小牧は手を合わせて目を閉じた。

 遠藤は左手で木魚を叩きながら、右ではキーボードを叩いている。こちらには少しも視線を寄こさない。


!」


 手でスタッカートを打ちながら、本間は叫んだ。

 合わせるようにリズムよく遠藤が木魚とキーボードを打っている。

 器用なものだが、むかっとする。


「ごめんなさいっ、私ったら。妄想に取りつかれた係長が、実は女子高生のストーカーで、目の前で警察に係長が逮捕されて大きく報道されて、部下である私がインタビューを受けて『どういう人でしたか?』との質問に『あんなことをする人だなんて思いませんでした。普通の人だったのに』と答えるべきか、それとも正直に答えるべきかと悩ましく思っていたのですが。考えてみれば今の係長が去ったら誰が係長として来るのだろう、かっこいい人だったらラッキーという意味なのです」

 よよよっ、と芝居がかった動作で小牧は目元にハンカチを当てる。目が笑っている。


「そっちの方が妄想じゃないか!お前たちだって物語終了課の係員なのだから、女子高生にストーキングされる可能性があるんだぞ」

「本当でありますか、係長!」

「遠藤! そこだけ喰いつくな! メガネめ!」

 派手な物音をさせながら立ちあがった遠藤を、本間は一直線に指した。

「すでに係長はつけられてて、羨ましいっ」

「海へ沈めっ!」

 

 ったく、と本間は腕組みをし、イライラしながらとんとんと指で自分の腕を叩く。

「好かれてストーカーされているわけじゃないぞ。物語未完部って知らないだろ。物語未完部の部長の女子高生が、宣伝と嫌がらせ目的に物語終了課の係長である俺に物語未完部に入部しろって言うんだよっ!!」

 大声を出したせいで、先ほどから他の課の人間も興味津々にパーテーションの上から顔を覗かせている。


 本間はそれにようやく気づき、さりげなく椅子に座り、

「という物語があってな」

 と手近にあるファイルをトントンと指で叩いた。

 な~んだ、という心の声が透けて聞こえるかのように露骨にパーテーションの上の生首が消えていく。


 背中に嫌な冷や汗を流しながら、本間はほっと胸をなでおろした。

 女子高生からストーキングされているということを妄想だと思われるのは癪だが、それよりも良からぬ噂が立つほうが恐ろしい。


 本間としては、もうこの話題は終わらせてしまいたかったのだけれども。

 明るい茶色の髪を小牧はくるくると回し、急に思いついたように手を振る。

「あ、係長、係長! 物語未完部って、私知ってますよー。女の子から電話があったんですけど、物語を終了すべきではないとの苦情があったんです」


(間違いない。奴だ)

 物語終了課全体を標的にしている。自分だけではないことにどこか安心しながら、本間は新人を気遣い言う。

「災難だったね。どうしたの?」

「あなたの言うことはわかります。ご意見は謹んでお受けし、上申しておきますのでご安心くださいと言っておきました」

「うまくかわしたな」

 本間は感心して頷く。

 新人と思ってはいれど、いつのまにか成長しているものである。

 最初は電話をとるのにも戸惑っていたというのに。たったひと月でも大分前のことのように感じられる。


「ええ! ですから、上司である係長の名前と住所、電話番号、メールアドレスをお伝えしました。後はよろしくってことで」

 グッジョブとでもいうように小牧はグーから親指だけを上げ、ウインクする。本間の思考が瞬時に凍りつく。


 奥底から湧き上がる憤りが一気に溶かして、声が飛び出る。

「おい待て、こら待て、ちょっと待て――!!」

 グッジョブどころかバッジョブだ。余計なことをしてくれた。言いたいことは山のようにあれど、口がついていかない。

「何でしょう?」

 小牧がかわいげに首をかしげる。茶色の髪がさらりと流れた。


「お前の所為かああああぁ――!!」


 本間の怒号に、パーテーションから顔がキノコのようにぽこぽこ生えてきた。

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