第9話 女子高生からストーカーされる三十代男とかあり得ないよね


 夕方、本間は駅への下り坂を歩いていた。

 まだまだ春といっても日が落ちるのは早い。群青色の空で薄暗く、影もできていない。ぽかぽか陽気だった昼が嘘のように少し肌寒く、本間は薄手のコートをかき合わせた。


 今日は残業で少し遅くなってしまった。

 夕飯を食べてから帰ろうかと左右の路地をみやる。

 無意識か看板が光っているせいか居酒屋ばかりが目につくが、振りきって行こうとする。


 今日こそは禁酒せねばなるまい。煙草と酒のダブルパンチで健康診断の時になんのかんの言われたのだ。具体的に何を言われたのかは、都合の悪いことなので本間は覚えていない。 

 でも、残業した日には、冷たく炭酸が喉と心によいビールがグッと飲みたくなるのだ。

 未練がましく本間が振り返ると、ピョコッと電信柱からミカン色の髪の女子高生が上半身だけ飛び出る。


 ―昨日の女子高生、今田 みかん!

 

 人の名前と顔を覚えるのも一致させるのも、本間は得意なわけではない。

 しかし、これは覚えている。関わり合いになりたくなくて、本間は気づかなかったように首を元に戻す。


 競歩の如く速足になった。

 だいぶ歩いたところで気にするのが自意識過剰なのではないかと馬鹿らしくなって、本間は後ろを向く。

 ピョコッと近くの電信柱からミカン色が飛び出した。

 双方、そのままの状態で固まる。

 豆腐屋がラッパを吹かしながら間を通っていく。

 数秒の後、痺れをきらして本間が前を向いて歩きだし……


 振り向いた。

 ピョコッとさらに近くの電信柱から今田が飛び出す。断じて、だるまさんが転んだをしているわけではない。

 そんな趣味もない。

 本間の携帯のバイブが鳴る。ショートメッセージが入ったことを知らせていた。


『もしもし、私、物語未完部の今田 みかん、今、あなたの後ろにいるの』


 もろ見えてますが。

 知ってますが。

 というより、なぜ電話番号を知っている。

 恐怖というより、呆れを感じながら本間は嘆息した。

 このような状態は本間が家に帰るまで続いた。



 ずっとつけられるとは、本間は夢にも思っていなかった。

 ストーキングは露骨だった。

 何気に後ろを振り返ると、ピョコッと電信柱から今田が顔を出す。

 普通、逆じゃなかろうか。普通、顔を引っ込めるだろう。

 これがモグラ叩きなら、巨大ピコピコハンマーで頭を叩き割りにいくところだ。


 平日は朝と夕、仕事と家の往復。休日もついてくる。

 そして、頻繁に物語未完部に入れというショートメールが携帯に入ってくる。

 ライン申請も来たが、絶対に登録なんぞしない。

 まったく、彼女の親は何をしているのだろう。 


 なぜかストーカーされている本間の方が心配して、夜遅くまで残業や飲みに行くことがなくなり、副流煙まで気になって煙草の回数も少なくなった。

 今田をかわすために回り道や速足、駆け足をしたりして、運動量も上がった。

 皮肉なことに、ストーキングされ後の方が明らかに健康である。

 どんどん健康になっていく。

 微妙に嬉しくない。



 というわけで、夕食を本間は自炊している。

 仕事で疲れて帰ってきているので、自炊といっても簡単なものばかりだ。

 余りもののご飯をレンジでチン、肉と野菜を適当に焼き、味噌汁を温めなおす。味噌汁の具に豆腐を入れる。

 笑点のテーマが流れる。携帯の着信音だ。本間は手を拭いて電話にでる。


「はい」

「母さんよ。あんた、この頃電話くれないじゃない?だから電話したのよ」

「はあ、そうですか」

 この頃どころか一年ほど本間から電話していない。本間が冷たいわけではない。

 母親がよくかけてくるせいだ。


「で? どうなのよ。あんたも結婚していい歳よ。男だからって、三十過ぎがいつまでも許されると思っちゃダメなのよ。近所の人とも話したんだけどね。やっぱり、孫の顔は早く見たいわよね。まぁ、どうしましょ。そうそう、ケン君だって結婚したじゃない。あの人、変人だと思うんだけど。よく結婚できたわね、あの人。ああ、ごめんなさい。ケン君はお友達だったわね。あんたと歳が変わらないのに、私服着たら未成年と間違えられて補導されかけるなんて笑えるわ。パーカーを着た姿といったら! あら、話がずれたわ。そうよ、あんたとケン君は違うんだから、ケン君は若くみえるから歳くっても問題ないけど、あんたは問題あるのよ。わかる?」


「はぁ」

 これでも本間は大きなため息を、あくびをかみ殺すように我慢している。母親との会話は忍耐が必要だ。


「わかってないわね。あんたはいつもそうなんだから。あんたにいい人がいなければ、遠慮なくお見合いを紹介するところなんだけど。いないの? いい人? 近くに未婚の女性くらいいるでしょ? どう? いい感じにならない?」

「……」


 ―女子高生にストーカーされてますが


 そんなことを言えるはずもない。

「あやしいわ。いるのね。あんたはなんかというとすぐ黙るからすぐわかるわ」

「……」

 親の勘は変に鋭いようだ。


「あんたは押しが弱いのよ。ガンガン行きなさい。ほら、肉食系男子がモテるっていうでしょうが。押し倒しちゃいなさい」


(まず間違いなく犯罪ですね)


 沈黙から何を読み取ったというのだろう。

 本間は唇を震わせながら必死にため息を抑える。

「じゃあ、うまくやるのよ」

「……」

 切れた。あの母親は毎回こうだ。

 グボあっグボあっ、と味噌汁が沸騰していて慌てて本間は火を消す。豆腐はもう影も形もないぐちゃぐちゃな状態だ。

 本間はゆっくりと息を吸うと、ゆうに一か月分の幸せが逃げそうなため息をついた。


 しかし、レトルト状の味噌汁付きの夕飯を食べてから冷静になって考えてみて、ずっと一人なのは寂しい気がしてくる。

 暗く無音の部屋に帰って来て蛍光灯を点け、テレビをつける毎日より、結婚は墓場だなんて言いながらも明るく人のいる部屋に帰っている友人が羨ましく思えてくる。特に冬は寒さもプラスされてくる。

 

 テレビを見るにしても、テレビにツッコむより誰かに聞いてもらいたいものだ。

 まあ、結婚を急ぐことはさておき、誰かと付き合いたい。

(いや、まてよ)

 となると、障害はあのストーカー女子高生だ。誰が女子高生につけ狙われている怪しい男とデートする気になるだろう。

 いや、いまい。

(どうするか)

 本間は腕組みして首をひねった。

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