第ニ章 三十代男が女子高生にストーカーされる話
第8話 未完作品って素敵! 万歳! ブラボー!
この頃、喫煙者は肩身が狭い。
喫煙者は喫煙者どうし仲良くとばかりに限られた燻製室へと追いやられる。煙の中で吸う煙草がおいしいわけがない。
新鮮な空気と煙と互いに味わうのがうまいのであって、煙ばかり吸い込むのはずっと生クリームを食べ続けるのと同じだ。
というわけで、本間は仕事帰りに駅近くの屋外で吸っている。
もちろん、喫煙が許されているスペースだ。同じ場所、同じ時間帯にいると、自然と見知った顔が出てくる。ちょいちょい世間話はするが、それだけだ。
ある一定以上に踏むこむことも踏み込まれるもない。
「うおっ!」
踏まれた。
周りを見渡せど、誰もいない。
「?」
不審に思いながらも、本間は煙草の火を消そうとして視線を下へとやる。
何かいた。
セーラー服を着た女子高生らしきものが脇の下から顔を出して、にや~と笑う。
不思議の国のアリスのチシャ猫を思い浮かべるような笑みだ。
「へっ?!」
「見~つけた~」
「はぁ?」
オレンジ色の髪がおさげになっていて揺れている。
これが黒髪なら古いステレオタイプな文学少女となるだろうが。
「物語終了課、物語終了班、物語終了係、物語終了係長の
「え、ああ、そうだけど……」
なぜ知っているのだろう。全く身に覚えがない。
本間はその女子高生を過去に一度も見た覚えはない。とりあえず、未成年に煙草は悪いので喫煙スペースから離れる。
逃がさんとばかりに女子高生は脇腹をつかんでくる。
「観念しなさい! あなたはミカン部にはいることになっているのよ!」
「ミカン部? 蜜柑を栽培する部活?」
本間は困ったように頭をかいた。
突拍子もないことを言うのに絡まれたものだ。酔っ払いや強面の兄さんよりはましだと思い込むことにする。
「違うわ! 物語を未完にするのを推奨する部よ!」
「……帰る」
「待ちなさい!」
強い力で脇腹を掴んだままだ。女子高生と思えないほど握力がある。
いい加減、脇腹をつかむのを止めてほしい。
歳を三十も過ぎると筋肉がなくなってたるむのだ。若いころと違って運動しないと体型を維持できない。
「物語終了課なんて、すべての物語を終了させてしまう大罪を犯しているのよ! 物語終了課の係長には罰として、物語未完部に入ってもらうわ!」
「はぁ?」
話が理解できない。
そもそも理解しなくていいだろう。係わらない方がいい。帰ろう。
本間は体をねじって女子高生を振りほどこうとする。
「だから、観念しなさいって! あなたの罪は確定しているの!」
女子高生が叫ぶように言う。
ちょうど、こちらを振り向いたお巡りさんと本間は目が合った。
瞬時に、今の状況を冷静に判断して凍りつく。
女子高生が観念しなさいと騒ぎ立て、おっさんを引き止めるようにつかんでいる。
場所は駅の改札をちょうど出たところ……
「痴漢ですか?」
―いいえ、違います。
と言ったところで、男の意見はこの場合無視されるのだ。
女子高生が目を爛々とさせ、にやりと笑った。
お巡りさんには聞こえないだろう声で言う。
「大人しくするなら、嘘つかないけど~」
なんて奴だ。
痴漢なんて誰が冤罪だと信じてくれるだろう。
公務員なら、マスコミに叩かれる、新聞に載る、下手したらテレビに出てしまうかもしれない。裁判で無罪になったとしても、近所の目は痛いだろう。
最悪、職を失ってしまったら、行けるところがない。
「わかったよ」
眩暈を覚えながら、本間は目頭を押さえた。
「違いますよ~知り合いです~」
女子高生は先ほどと違って黒いところのない、さわやかな笑みを浮かべて、お巡りさんに手を振った。
本間は連行されるように、女子高生についていく。
砂糖もミルクも入ってないエスプレッソをローテーブルに置いて、本間はソファに沈み込んだ。
オレンジ色の髪の女子高生は満面の笑みで、浅くソファに座る。
この時間帯、学校や会社帰りの人々がコーヒーショップに来ているようだが、さすがに三十代おっさんと女子高生の二人組は他にいない。
「さて、物語未完部に入ってもらう前に少し説明しとかなきゃね」
嬉々として女子高生は鞄からノートや紙、複数の色のペンをがちゃがちゃと出す。
「私は、今田 みかん。物語未完部の部長なの。さっきも言ったけど、物語未完部は物語を未完にするのを勧める部よ。具体的な活動は、物語を未完する意義をホームページに載せたり、作家や出版社に今ある物語を未完してもらうよう手紙を書いたりしてるわ。でも、まだいまいち知名度がないのよね」
(そりゃそうだろう)
本間は濃いエスプレッソを一気飲みして、首を回して鳴らした。肩が凝っているような気がする。
「だからインパクトが必要だと思って、あえて物語終了課の係長に物語未完部に入ってもらうことにしたのよ。ということで、この誓約書にサインして」
(はいはい)
こういう手合いは反論しないに限る。クレーマーと一緒だ。
相手の言うことに頷いて流しておけばいい。要は相手が満足すればいいのだから。
下手に口答えなんてしてしまうと、ヒートアップして問題が大きくなる。
(誓約書……)
自分の姓名を知っている以上、偽名を使うわけにはいかない。早く終わらせて帰るためとはいえ、変なことが書かれてあるものにサインをするわけにはいかない。
『 物語未完部に入部のための誓約書
私は誠心誠意を込めて物語を一切終わらせず放置し、また人に物語を未完にさせるよう推奨し、物語が完結しない素晴らしさを広く喧伝することに努めることを誓います。物語が終わらないってなんて素敵!! 万歳! ブラボー!』
(まあ、いいか)
面倒ごとは済ませてしまって、忘れてしまおう。
本間はボールペンをとると書き始め、
「ありがとう! 顔写真・名前付きでネットに上げて、物語終了課に勝利したことを宣言するわ! 2chやツイッターにもネタとしてあげちゃお」
誓約書をビリビリに破いて、本間は速足にコーヒーショップを出た。
「ちょっと!」
今田 みかんの声がするが、かまわず本間は走る。三十代とはいえ男だ。
女子高生に足で負けることはない。
その日は振り切った本間だったが、それでは終わらなかった。
翌日の朝方、寝ぼけた頭で本間は職場へのなだらかな坂道を歩いていた。
時折欠伸をしながら、アリの行列よろしく黒スーツの人々の中に紛れ込んでいる。
足が通勤路を覚えている上に、前の人についていけば仕事場である地方文化局に着いてしまうので、意識は中空に浮いているようなものだ。
だから、本間が反応するのが遅れたのは当然といえる。
「物語未完部に入ってもらうまで、諦めないわよ!」
突然、鮮やかなオレンジ色の髪の女子高生が出てきて、本間を指さした。
本間はそのまま歩いて通り過ぎていく。
スーツ姿の人々は催眠状態に陥っているのか、本間と同じように逆側を向いて真ん中に陣取っている女子高生など、目もくれずに左右に分かれた。
ただの彫刻のように腰に手を当て、前を指さす女子高生……
「無視するの?! 本間 続! 上等よ! 無視できなくさせてやるわ!」
今田 みかんの宣言がなされ、ここにストーキングが始まるのである。
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