6 - カツテ滅ビタ世界ヘ
「……そんなこと、可能なんですか」
「言っただろう。準備をしてきたと。多く制約こそあるが、可能だ」
身体を取り戻したい。失った
だが、目の前のこの老人の――
「私は管理AIの目を盗んで〈
「ちょっと待ってください。あまりに唐突過ぎる。そもそも地上へアクセスすることなんて可能なんですか……」
「管理AIに敵対行動と判断される点で困難だがね。――考えてみるといい。管理AIは高度10000メートルに散布された
理解はできた。だが僕の納得は置き去りに、
「無人機を使い、動物性たんぱく質を始めとする原材料を集める。戦前より設立されていた次世代ヒト持続センターより精子と卵子のサンプルを入手し、これを複製する。あとはリソースが尽き、リセットが行われるであろうタイミングを推測し、そこから逆算して人工の受精卵を製造した。あとは成長するまでの物理時間をやり過ごすのみ。そして既に素体は完成している」
「そこまでのことを遠隔で……」
「本来ならば一人で出来ることではなかっただろう。だが幸い、〈
「本気、なんですね……」
「当然だ。もちろん強制するつもりはない。だが時間はない。君が首を縦に振ってくれるのであれば、これほどに喜ばしいことはないよ」
「何故、僕なんですか?」
「まず〈
「酷な二択だろう。ただ一人、確かな本物を求め、その果てに死ぬか。愛する者や共にこの300年を生きてきた者たちと世界の終末を迎えるか。選ぶ権利は君にある」
「一つ、聞いてもいいですか?」
「もちろんだ」
「僕が、いなくなったあと、
「それも消えることになる。何かがいたという記憶は残るが、それが誰だったのかまでは参照できなくなる。再複写することによって君のデータは痕跡に至るまで完全に消失し、地上に用意された肉体に書き込まれる。それが技術的な限界だった」
「なるほど。誰の記憶に留まることもなく、僕は貴方たちの記録を描き続ける。……そういうことですか?」
不思議なことに、僕にはそれほどの迷いはなかった。目の前にぶら下げられた真理への鍵を前にして、それ以外の全ては儚く霞んだ。
僕は狂っているのだろうか。
どちらでもいいことだったが、もし答えるならば僕はこう答える。
狂っているものなんてない。それはきっと、求めたものの違いでしかないのだ。
「分かりました」
そんな僕に
「ありがとう」
「いいんです。僕にも、貴方たちにも、この〈
†
それから
まずは巨大なデータの塊である〈
とは言え、僕にできることはなかった。
僕は
僕は退屈しのぎに、再複写先である肉体について
地上の肉体は受精から4105780023秒(物理時間)が経過しているらしい。本来、胎内にいる時間を差し引けば肉体はおよそ12才程度ということになる。確認できている性別は男。人種についてはサンプリングの際の遺伝子が無数にあったために不明だそうだ。
300年も生きてきた僕が12才の少年の肉体に魂を宿すというのは、それこそ小説の話のようで現実感が薄かった。
ちなみに
当然、地球にはまだ多く
肝心の僕の身体は旧中国の内モンゴル自治区内の廃棄施設にあるらしく、最寄の集落までは極寒の荒野を120キロほど北上しなければならないらしい。しばらくは施設での筋力回復が必要そうだった。
退屈を貪る以外にすることがないまま、僕は
そしてある時、熱帯林の小屋にフイが訪れた。
【こんにちは、ミスター
話しかけられたが反応に遅れた。久しく
【どうも、フイさん】
【ミスター
【来客? 一体誰が?】
フイが答えるより早く、その肩越しに姿が現れる。僕に拒否権はなかったのだろう。にこやかで強引なフイは、僕の苦手なタイプの人間だった。
【久しぶり】
現れたのは
僕は目を見開き、困ったように作業中の
「……久しぶり。少し、話そうか」
†
僕らは小屋から離れ、どこへ向かうでもなく熱帯林を歩いた。
言葉はない。歩くたび、踏まれた枝が折れて葉が地面へと沈んだ。どこか遠くで小鳥の囀りが響いている。
やがて大きな倒木があった。根が腐って倒れたという設定らしい。僕らはそこに、少し間を開けて腰かけた。
腰を落ち着けて尚、僕らの間に言葉はなかった。時折吹く湿った風が人一人分開いた隙間を抜けていく。
僕は気になって
僕は
ここでの生活の、ほとんどの時間を共に過ごしてきた
〝再複写することによって君のデータは痕跡に至るまで完全に消失し、地上に用意された肉体に書き込まれる〟――つまりそれは、
それがどれほどの喪失を伴うかを想像するのは、僕でなくても容易い。
これはきっと、
少なからず後ろめたかった。だから僕は、やがて消える空疎な思い出はこれ以上増やすべきではないと自分を正当化し、黙って消えることに決めたのだ。
「ごめんなさい」
長い長い沈黙のあと、
「
「気にしてないさ。僕の説明不足だった」
「新しい作品に向けてのお仕事なんでしょう? 大丈夫。言わなくたって、これが必要なことだって分かってる」
僕を見つめる
「ああ」
僕は
「そうだ。これは、新しい作品のために、必要なことなんだ」
嘘ではない。僕は地上で、僕にできる限りの言葉を尽くして、11億もの人々が生きていた証を記し伝えなければならない。
だがオブラートに包んだ言葉で本意を隠し、
「だけど、それを書くのはここじゃない。……ここじゃないんだ」
「ここじゃないって、じゃあどこなの……」
「僕は地上へ戻るんだ。遠隔で成長させられた肉体が地上にある。そこに、今の僕を再複写する。そこで、この300年の物語を書くんだ」
僕は
だからこそ、僕は
しかし
「そう、なんだ。応援してる。私はいつも
「ありがとう。僕はたぶん、君と出会えたから今まで物語を描き続けてこられたし、そしてこれからも書き続けていける。――だから書くよ。君と僕と、この楽園で確かに生きていた人々の話を」
僕はもう
†
それから間もなく、
僕は物理時間8799507581秒ぶりに、地上へと舞い戻った。
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