4 - 虚飾ノ街ヘ

 配当屋ディーラーが伝えてきた座標は〈庭園ガーデン〉でも有数の仮想街区シティ――中華街区チャイナタウンを示していた。

 仮想街区シティとは、言うなれば箱の拡大版であり、実に広大なエリア内を仮想造形キャラクターで動き回ることのできる人気スポットだ。箱に比べると、様々な仕組みは実に電子化以前の社会を模倣しており、金銭を使った飲食はもちろん、土地や部屋を購入し、仮想街区シティ内に住所を持つこともできる。


「お兄さん、栗いかが? 甘いよ、美味しいよ、安いよ!」


 歩いていれば、ひっきりなしに露店から声を掛けられる。見れば周囲のキャラクターたちはみんな食べ歩きをしている。僕は中華街区チャイナタウンは初めてなのでよく知らないが、食べ歩くというのがここの暗黙のルールなのかもしれない。


「それじゃぁ、栗を一袋」


 僕は入場時に付与された電子通貨を使って栗を購入する。


「お兄さん、珍しいね!」

「珍しい?」


 僕は袋に焼き栗を手際よく詰めていくパンダの売り子に聞き返す。


「珍しいさぁ。普通はアタシらみたいに、キャラクターを使うもんだろ? 人の姿アバターで歩いているのなんて、ヤクザもんかお兄さんくらいだよ」

「ああ、確かにそうですね」


 僕は苦笑いを浮かべる。

 キャラクターは様々な改変が可能であり、その姿に後から編集を加えることなどもできる。また一人で複数のキャラクターを所持しているものも多く、会う相手やその日の気分に応じて自分を着せ替えたりする。

 一方のアバターは初期設定から弄ることができない。電子化に際して選択したアバターを、僕らは300年間使い続けているのである。

 こうした特性から、〈庭園ガーデン〉内で何らかの罪を犯した人間はキャラクターの使用を禁止されることがある。パンダの言う〝ヤクザもん〟とは、過去の過ちによってキャラクターが使えなくなっている人々のことを指している。


「まさか、お兄さんも何かやらかしたのかい?」

「見えますか? 僕も。ヤクザもんに」


 僕はパンダをからかう。パンダはごくりと息を呑む動作をする。


「見えないから、声掛けたよ。ヤクザもんなら、怖くて話しかけられないよ」

「それで合ってます。まだ何も、してないみたいです」

「まだ?」


 パンダは首を傾げる。僕は問いには答えず、栗の詰まった袋を受け取って歩き出す。

 口に放り込んだ栗は、解像度が低く、味はしなかった。



 中華街区チャイナタウンは分かりやすい娯楽も少なく、治安もいいとは言いづらい。

 にも関わらず人気が高いのはたぶん、僕らが失ってしまったものがここにはあるような気がするからだろう。

 赤や金を貴重とした絢爛な建物に咽返るような熱気。露店から香る甘栗や饅頭の蒸される匂いが充満し、通行人にはひっきりなしに声が掛けられる。所々に出来た人だかりでは大道芸人らしい、ピエロやチャイナドレスを着込んだキャラクターが火を噴いたり、ナイフでお手玉をしたりして通行人を湧かせている。

 何も考えず、ただ街の空気に身を委ねれば、この場所にだけは鮮やかな生があるようにさえ思えてくる。

 だがそれは錯覚だと、僕は知っている。

 確かに活気はある。だけど甘いと言われ、口に入れる直前まで甘い匂いのした栗は味がしないし、ピエロが噴いた火は触れても火傷をしない。宙を舞うナイフはいくら強く刃を握っても血は出ないし、おそらく痛みもさほど感じないだろう。

 僕らがここで感じられるものは限られている。それこそ、用意されているのは表面的な楽しさだけで、本当は存在するはずの痛みや苦しさや生々しさは切り捨てられている。

 所詮は娯楽だと割り切れれば正解なのだろうか。

 ずっと疑問を抱いてきた。小説家ストーリーメーカーとして物語世界を作る一方で、何かが違う、何かが足りないとずっと思ってきた。

 そして限りない本物リアリティに出会って理解した。

 足りない。〈庭園ガーデン〉は結局、生き抜くことから逃げた人類の、逃亡者たちの生の真似事に過ぎないのだと。

 僕は指定された時間ぴったりに、指定された座標点に到着する。


黒白ヘイバイ飯店〉。


 一見するとただのレストランだが、扉を開けて入った僕はすぐにその認識を改める。

 青白い間接照明の薄暗い店内。甘くたゆたう、どこか不吉な芳香。空気は身震いするほど冷たく、ソファでは白目を剥いた娼婦らしき女たちが涎を垂らしながら厳めしい男どもに寄り掛かっている。

 僕は息を呑む。

 不意に、配当屋ディーラーの言葉がログから呼び起こされた。


 ――あまり深追いはしないほうがいいって話です。


 これはつまり、そういうことだ。

 引き返すならば今しかない。これ以上踏み出せば、たぶん何か取り返しのつかないことになる。

 だが僕が踵を返すよりも早く、腕を誰かに掴まれた。

 見れば気配なく近づいてきていたバーテンダーの男が僕の手首を掴んでいる。アバターのコードに干渉しているのか、男の掌と僕の手首は一体化してしまったように振り解けない。


「いらっしゃいませ。どういうご用件で?」


 男は蛇のように二又に分かれた長い舌を、薄い唇の隙間からちろりと覗かせる。

 もう腹を括るしかなかった。


「…………老慎ラオシェンを、知っている人物に会いに来ました」


 男の細い目に、強烈な殺意のようなものを感じた。一体どれほどのリソースでアバターを作り込めばそんなものの再現が可能なのか、僕は全く見当がつかなかった。


「こちらへ」


 男は僕の手を強く引いた。僕はよろめきながら、促されるままに男の後へと続く。

 酒池肉林の店内を横切って奥の通路へ。男の革靴が廊下を叩き、軽やかな音を鳴らす。やがて頑健な鉄扉の前でバーテンダーが立ち止まる。


「こちらのお部屋でお待ちください」

「いや、その、何というか個室はちょっと」

「こちらのお部屋でお待ちください」

「だから――」


 扉が開き、僕は中へと突き飛ばされる。ダイブしたソファに埋まろうとする身体を起こし、僕は男に不満を訴える。


「困ります。訳も分からないまま、こんなところに連れ込まれたんじゃ――」

「こちらの、お部屋でお待ちください」


 見下すように繰り返すだけのバーテンダーの男に、僕は舌打ちをする。それが今の僕にできる最大限の怒りの表現だった。

 バーテンダーの男が扉を閉める。去っていく足音は、いくら耳を澄ましても聞こえなかった。

 僕は諦め、部屋のなかを確認する。

 几帳面なほど中心に置かれた漆喰の机を挟むように、二人掛けのソファが向かい合う。壁や天井には精緻な龍の意匠が彫り込まれている。この手の装飾を何と言うんだったかと、僕は場違いな検索をしかけて止めた。

 僕はソファに腰かける。外の足音の遮断され方から推測するに、この部屋は扉を閉めることで中華街区チャイナタウンそのものから隔離されるのだろう。俗に言う、絶対不干渉領域クローズド・ポイントというやつだ。

 そしてそれはつまり、この場で何が起きても誰にも感知されないということだ。

 僕は不安と恐怖を抱く。きっと生身の身体と本物の感覚があれば、気が狂っていたに違いない。今だけはこの仮初の身体アバターであることに感謝をした。


【こんにちは】

【ああ、こんにちは】


 唐突に聞こえた声に、僕はほとんど反射的に返事をしてギョッとした。いつの間にか目の前のソファに人が腰掛けていた。

 後ろで束ねた長い黒髪。つぶらな瞳の下には泣きぼくろがある。着ているのはサイケデリックな緑と紫のアロハシャツ。下は黒無地のスラックスで足元は草履。中性的な面立ちと声のせいで男女の判別はつかなかったが、〈庭園ガーデン〉では珍しくもないのでひとまず置いておく。


【僕は、桃山龍平タオシャンロンピン配当屋ディーラーのフォックスの紹介で、ここに来ました】

【ええ。存じていますよ】

【あなたは?】

灰色フイと、呼んでください】

【では、フイ。あなたが、老慎ラオシェンを知る人物で間違いない、ですか?】


 僕は慎重に言葉を選びながら質問を重ねる。音声による低速の会話を用いないのは、おそらく老慎ラオシェンという名前自体が、口に出すことを憚るべきものなのだという、バーテンダーの男の様子からの推測だ。

 フイは穏やかに微笑んでいる。だが万が一僕が何か粗相をすれば確実に消しにかかるだろうという得体の知れない凄みがあった。


【肯定します】


 僕はフイの返答に胸を撫で下ろす。どうやらここまでは問題ないようだった。だが本当の正念場はここからだ。


【それで、ミスター桃山タオシャン。貴方は何故、老慎ラオシェンを探すのです?】


 フイのつぶらな視線が僕を射貫くように見据える。ここでしくじれば、老慎ラオシェンとコンタクトを取るための大事な手掛かりを失うどころか、僕のアカウント自体が凍結されかねない。僕一人を消すくらい、フイにとっては造作もないことに違いない。


【小説を、読みました】


 僕は恐る恐る、フイに向けてそう伝えた。フイは目を細める。僕は生きた心地がしなかった。


【小説、ですか?】

【はい。題のない小説でした。ある男の一生が綴られただけの小説です】

【その作者が老慎ラオシェンであると】


 フイの言葉に、僕は頷く。頷いて、言葉を続ける。


【凄まじい作品でした。こう言葉にすると陳腐に聞こえるかもしれませんが、自分自身、一端の小説家ストーリーメーカーとして、感動したんです。そして気づかされた。所詮、〈庭園ガーデン〉の全ては虚構なんだと】

【主義者のような口振りですね】


 フイの纏う温度が下がる。僕は慌てて否定した。


【そういうつもりはありません。ただ、僕は老慎ラオシェンの小説に、限りなく本物の生を見たんです】

【別に主義者だからと言って非難するつもりはありません。思想は行為に結びつかない限りにおいて、どこまでも自由であるべきです】


 フイは淡々と言いながら、掌にワイングラスを呼び出す。グラスいっぱいに注がれた白い液体を、一気に呷ってグラスを捨てる。グラスは床に落ちる前にポリゴンになって消えた。


【ミスター桃山タオシャン。肉体が恋しいですか?】


 僕は試されている、と直感した。これまでもフイの言葉には僕を値踏みするような意図が感じ取れたが、ここまであからさまなのは初めてだった。その質問の真意は分からなかったが、とにかく解答を間違えるわけにはいかない。

 僕は思考をフル回転させる。だが意図の分からない質問の、相手が望む答えに辿り着くなんておよそ不可能だった。

 だから結局、僕は率直な感想を言葉にするしかなかった。


【分からない、というのが正直なところだと思います。僕は思えばずっと、本物を求めてきました。小説を描いていたのも、その一つだったんでしょう。そして思い知らされた。もし僕の求める、生きることの本質が肉体にしかないと言うのなら、僕の探求心は肉体に焦がれているということに、なるのかもしれません】


 僕の言葉に、フイは笑みを浮かべる。


【素直であることは美徳です。いいでしょう、ミスター桃山タオシャン老慎ラオシェンの元に案内します】


 フイは指を鳴らす。まるでチャンネルを切り替えるように、僕らが座るソファ以外の景色が差し変わる。真っ白に塗りたくられた空間で凄まじい速さで後ろへと流れていき、間もなくフイのすぐ後ろに木造の小屋が現れる。

 フイに促されて立ち上がると、ソファは消え、真っ白だった景色は陰湿な熱帯林へと切り替わる。


老慎ラオシェンも、きっと貴方を気に入ると思いますよ】


 フイは微笑んでそう言い残し、立ち込める霧に溶けるように消えた。

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