幸せな関係


 目が覚めるとカーテンの隙間から光が差していた。

 時計を見ると七時を少し過ぎたところだった。

 腕の中には寝る前にはいなかったはずの美咲さんがすやすやと気持ち良さそうに眠っている。

 (いつの間に…)

 昨晩、美咲さんはベッドの上、私は隣に引いた布団の中でそれぞれ眠りについた。

 一緒に寝たがっていたが、引っ越したばかりで今美咲さんが使っているのは簡易ベッドだ。新しいベッドは年明けにならないと届かないらしい。

 そこに二人も寝るスペースはなく、別々に寝ることになった。

 寝ぼけたのか一緒に寝たくなったのかは分からないが、美咲さんは私の体に腕を回してまだ夢の中にいる。

 さらさらとした前髪に触れると、長いまつ毛とまぶたがぴくりと動いた。

「……寒い……」

 ぎゅっと強くしがみつかれる。

 私は毛布を引っ張ってかけ直した。

 改めて付き合うようになってから、この十二歳年上の彼女はよく甘えてくる。

 昔とは立場がまるで逆になってしまったけど、甘えられるのもなかなか悪くない。

 多少、たまにはしっかりして欲しいと思わなくもないけれど、寂しい結婚生活を送っていたらしいのでその反動なのかもしれない。

「……紗耶夏ちゃん、今……何時?」

 目が覚めてしまったのか眠そうな顔で私を見上げている。

「七時過ぎです。起きて初詣に行く準備しますか?」

 昨日の夜は二人で年越しそばをすすり、カウントダウン番組を見た後に「起きたら初詣に行こう」と話して布団に入った。

「やだ……。紗耶夏ちゃんとこうしてたいから行かない」

「初詣はいいんですか?」

「……また来年でいいよ。紗耶夏ちゃんから離れるなんてもったいないから」

「私は明日もいますけど、今年の元旦の初詣は今日しかできないですよ」

「今年の元旦の紗耶夏ちゃんは今日しかいないからいいの」

 よく分からない屁理屈を返され私の体に顔をうずめている。

「二度寝して起きてから考えましょうか」

 こちらの提案に返事をする前に美咲さんはまた夢の中に行ってしまったようだ。

(子供みたいな人だなぁ)

 私も眠かったので彼女を抱きしめながら再び眠りに落ちた。



 お昼ご飯を済ました私たちは、近くの神社に初詣に行くことにした。

 家の鍵を閉めてた美咲さんは、門の外で待っていた私の所まで駆けて来る。

「紗耶夏ちゃん、そこまで手繋ごう」

「誰かに見られたらヤバイでしょ」

「大丈夫、大丈夫! この辺普段から人、全然いないから」

 美咲さんに手を取られて、周りを竹に囲まれた細い路地を歩いてゆく。

 大きな通りに出ると自然と手を離した。

 手が空っぽになって寂しい。

 私たちは人もまばらな通りを並んで歩き、神社へ来た。

 参道の脇には出店がぽつぽつと並んでいる。

 思ったより人出は少ない。この周辺は神社仏閣が多いので、参拝客も分散されてしまうのだろうか。

「もっと混んでるかと思った」

「みんな大きな神社の方に行っちゃうから、何気に穴場なんだよ」

 二人揃って神様にお参りをする。

(今年もいい一年になりますように。美咲さんとたくさん過ごせますように)

 去年の今頃はこうして美咲さんと初詣に来ているなんて夢にも思わなかった。

 もう一生会うこともないし、彼女に戻ることもないと美咲さんのことは封印していたのに。

「紗耶夏ちゃんは何をお願いしたの?」

「秘密です」

「何で? 知りたい!」

「お願い事は口にしない方が叶うって言うでしょ」

「そっか〜。なるほど」

 適当に返しただけだったが、美咲さんは妙に納得して頷いていた。



「紗耶夏ちゃん、年の初めの運試ししよう!」

「いいですね」

 美咲さんが嬉しそうにおみくじ売り場へと向かって行く。子供みたいにはしゃいでいて可愛らしい。

「私と紗耶夏ちゃん、悪いくじを引いた方がタコ焼きを奢るのはどう?」

 無駄に自信をみなぎらせている。

「受けて立ちます」

 二人でくじ箱に硬貨を入れると、それぞれにくじを掴み上げる。

「せーので見せ合いましょうか?」

 私は引いたばかりのおみくじを開く。隣で美咲さんもくるくるとくじを広げる。

 途端に美咲さんは拗ねたように不満そうな顔つきになった。

(分かりやすいな…)

「美咲さん、準備はできてますか?」

「どうせ紗耶夏ちゃんの勝ちだからいい」

 完全に拗ねている。

 美咲さんは私にくじを突きつけた。

 そこには禍々しい「凶」の文字が記されていた。

「凶って初めて見ました」

 ここの神社はどうやら凶を排するなんて優しいことはしてくれないらしい。お正月でも関係なく。

「紗耶夏ちゃんはどうだった?」

「私ですか? 中吉ですね」

「紗耶夏ちゃんはいい結果だね。はぁ、私の負けか……」

 凶を引いてがっくり来たのか、かなり凹んでしまっている。

「縁談・そぐわない相手に注意せよ。恋愛・心の離れた相手は諦めよ……って書いてある。紗耶夏ちゃんに相応しくない上に嫌われるってことだよね!?」

「たかがおみくじじゃないですか…。ほら、私たちお見合いしたわけじゃないから縁談は関係ないですよ」

 確かに年始にいきなり凶なんて引いたらいい気はしないけど、美咲さんは私との関係を気にしている。

「美咲さん、私のくじ見てください。恋愛・絆がより一層深まるって書いてありますよ」

「うん」

「美咲さんの恋愛の項目は元旦那さんのことですよ。そう捉えると内容的に辻褄が合う」

「言われてみたら、そうなのかも」

 何とかフォローしたら、美咲さんは少し気分が晴れたようだ。

 周りに人がいなければ抱きしめてあげられるのに、と思うと少しやるせない。

(どうしようか…)

 逡巡した後、私は美咲さんの耳元で囁いた。

「帰ったら嫌なこと全部忘れるくらい美咲さんのこと可愛がってあげますから、そんなに落ち込まないでください」

「さ、紗耶夏ちゃんっ……」

 耳も顔も真っ赤になった美咲さんの手を引いて私は出店の並ぶ方へと足を向ける。

「美咲さん、美味しいものでも買って帰りましょう」




 テレビからは去年も一昨年も見たような番組が流れている。

 取り敢えず流しておけばお正月っぽい雰囲気にはなるものだ。

 画面の向こうでは先程の私たちのように、芸能人たちがおみくじで運試しをしている。

「紗耶夏ちゃん、さっきはおみくじなんかで落ち込んでごめんね。大人げなかったよね」

「しょうがないですよ。凶なんて引いたら私だって凹むし」

「さっきのおみくじは去年の私の運勢だったと思って忘れる!! 紗耶夏ちゃん何か飲む? ミルクティだっけ。コーヒー飲めないもんね」

 言いながら美咲さんがクスクスと笑う。

「どうせコーヒー飲めませんよ」

「昔、我慢して私に合わせてくれてたなんて。もっと早く言ってくれたら良かったのに」 

 美咲さんはまだ笑いながら台所の方に行ってしまった。

 まだ私が高校生だった頃、よく美咲さんの家でコーヒーを飲んだ。砂糖もミルクもないブラックのコーヒー。

 美咲さんも甘いものが好きなのに、何故かコーヒーだけはブラックで飲むという拘りがあった。

 カフェオレすら苦手だった私は、大人ぶって美咲さんに合わせてブラックコーヒーを飲んでいた。

 そうすれば大人の美咲さんに少しでも近づけるんじゃないかと一生懸命背伸びしていた。

 よりを戻してから、実は苦手だったことを打ち明けたら、美咲さんはいつも私にミルクティーを作ってくれるようになった。

「はい、どうぞ」

「ありがとう、美咲さん」

 ミルクティーを渡され、私はシュガーポットから砂糖を四つ取って放り込む。

「紗耶夏ちゃん、糖分取りすぎだよ」

「甘い方が好きなんです」

「ブタさんになっても知らないんだから」

「ブタさんになったらもう愛してくれなくなります?」

「……紗耶夏ちゃんならどんな姿でもいいけど」

「美咲さんは夏に比べると太りましたね」

 私は美咲さんの腰に腕を回して抱きよせる。

「バレてた……?」

「気にしてたんですか? でも夏の時は細すぎて心配だったから今ぐらいが丁度いいですよ。昔もこんくらいだったし」

「本当に?」

「本当です。今の方が柔らかくて抱きごこちいいですし」

 美咲さんは恥ずかしかったのか頬を紅潮させ、私から目を逸らす。

「いちいち反応が初ですね。昔の美咲さんはどこに消えたんですか?」

 自分から教え子にキスさせた人の反応ではない。

「だって、紗耶夏ちゃんすごく大人っぽくなったし、前よりずっと可愛くて綺麗になったよ……」

「そ、そんなに変わってないと思うけどな」

 いきなり褒められて照れくさい。話を逸らそう。

「そう言えば前から聞こうと思って忘れてたけど、告白した時に何であんなこと言い出したんですか? 下手すると捕まってますよ」

「別にそれならそれでいいかなって。あの時、付き合ってた彼女に振られて、あげくに学年主任だった寺沢先生覚えてる? 私嫌われてて、嫌味ばかり言われたし。保護者にもキツイ人が多くて、自暴自棄になってたと思う」

「だからってあれはないでしょ。私が拒絶してたらどうしたんですか?」

「でもあの時の紗耶夏ちゃん、すごく真剣だった。私みたいな出来損ないの先生でも本気で好きなってくれて嬉しかったんだよ。紗耶夏ちゃんなら、この後どう

なっても後悔しないって思ったの」

「はぁ、もう。バカなんだから」

「そうだね」

 私が本気で美咲さんのことを好きでよかった。

 いきなりキスすることになっても、嫌などころか私はときめいていた。

 要するに私たちはどっちもバカなのだ。

「紗耶夏ちゃん、キスしてもいい?」

「また、突然ですね」

「昔のこと思い出したらしたくなっちゃった。あとさっき、可愛がってくれるって言ったよね?」

 誘うように凝視されて無視するのは野暮だ。

「言いましたね。有言実行しましょうか」

 私たちは確かめ合うようにキスをした。

 少し触れるだけでは物足りなくなり、濃密になってゆく。夢中になっているうちに、絨毯の上へとくずおれる。

 美咲さんの両手を押さえつけて、更に深く口づける。 

「何か思い出しますね、去年の夏のこと」

 まだ結婚していた美咲さんに好きだと告げられて、けしかけて、煽って、私は手を出してしまった。

「あの頃、けっこう美咲さんに酷いことを言ったのに、よく私を指名し続けましたね。……傷つけましたよね」

「そう? 紗耶夏ちゃん口では意地悪でも触れる時はすごく優しかったから。あんな風に大好きな人に触れるみたいにされたら期待しちゃうよ。最後の日なんて紗耶夏ちゃんがいっぱい好きって言ってくれたから、またやり直すために頑張ろうって決意できた」

「あれは、美咲さんが彼女のつもりで抱いて欲しいって言うからで……。まぁ、好きなのは本音でしたけど」

「うん。紗耶夏ちゃんもまだ私のことを想ってくれてるって伝わったから」

 お正月なのも忘れて私たちは飽くまで抱き合っていた。



 

 一月も三日となり、私の休みも終わりへと近づいてきた。また明日から仕事だ。

 年末から美咲さんの家に泊まり込んでいたので、二人で過ごす時間が終わってしまうのは寂しい。

 私は美咲さんが運転する車に揺られながら最寄り駅に向う。

「紗耶夏ちゃん、やっぱり私、一緒に住みたい。毎日紗耶夏ちゃんといたい。ねぇ、一緒に暮らそう?」

「私もそうしたいけど、美咲さんの家、移動に不便なんですよね」

 家事代行業の私は基本的に電車で仕事する家まで向う。美咲さんの家は駅から離れているので、仕事のことを考えると難しかった。

「私、毎日ちゃんと車で送り迎えするよ」

「美咲さんだって仕事あるでしょう」

 かつて高校の音楽教師だった美咲さんは旦那さんと別れてから、ピアノ講師として働いている。

「遠距離恋愛は嫌だな」

「いや、遠距離って。本当に遠恋してる人に怒られますよ」

 私と美咲さんの家は電車で四十分ほどの距離だ。

 そんな話をしているうちに駅に着いてしまった。

「休みの日はまた泊まりに来ますから」

「うん……」

「そんな泣きそうな顔しなくても…。帰ったら電話します。美咲さんとお正月過ごせて幸せでした」

「私も、紗耶夏ちゃんが側にいてくれてすごくすごく楽しかった」

 何だかこれでは長い間別れて過ごすカップルみたいではないか。

 車を降りた私は一度手を振ると、後は振り返らずに駅の階段を上った。振り返ったら美咲さんの元に帰りたくなってしまう。

(もう少し仕事を頑張って何とかするか)

 あんなにも私を大好きでいてくれる美咲さんともっと近くにいたい。

(うん。いつか一緒に暮らせるように頑張ろう)

 叶うまでは長いかもしれないけれど、美咲さんと会えなかった期間を考えたら何でもない。

 駅に貼られていたコンサートのポスターが目に留まる。

(この人、美咲さんが好きなピアニストだ)

 次のデートは決まった。早速スマホで調べてチケットが取れるか確認する。

 すぐ側にいられなくても、これから二人の時間を幾らでも重ねていけばいい。

 美咲さんの喜ぶ姿を思い浮かべながら、私は電車に乗った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

歪な関係 砂鳥はと子 @sunadori_hatoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ