銀色髑髏

芋二式

第1話

 会社帰りだろうか、一人の青年が住宅街へ向かっている。

 年の頃は二十代半ば頃。昔は彼も夜道が怖かったかもしれないが、そんなことはとうに過ぎた過去の話。彼はごく当たり前に帰路につく。


 何の変哲もないありふれた光景、ありふれた日常。

 やけに静かで人ひとり通らない、そんな異常も気にならないくらいの、日常。

 壊れるはずがないと誰もが思い込んでいるモノ。


 青年が住宅街のそばにある森林を通りかかった時だ。突然足元から現れた網に彼の身体は絡め取られる。

 一瞬身体が宙に浮き、彼の身体は無理矢理横うつ伏せになる。顎をアスファルトに叩き付けられ、次の瞬間には凄まじい勢いで引きずられる。


 熱い。摩擦で顎の肉がそぎ落とされていくことがわかる。悲鳴をあげることもできず、闇に呑まれた彼の目の前には赤い、幾つもの玉が浮かんでいた。

 これは、瞳? 混乱する頭に浮かぶ疑問は、胸に突き刺された棒のような黒い何かがもたらす痛みにかき消される。


 痛い、いたいいたいいたいいたいいたい。だれかたすけ。

 のど元に突き刺さった二本目の棒で、彼の意識はこと切れる。

 あまりにも突然で、あっけない最期。

 日常は、かくも簡単に崩れ去った。



 草木も眠る丑三つ時。

昔の人はおもしろい言い方をしたものだが、いわゆる二時過ぎだ。

 町も寝静まり、好んでこの時間に出歩くような人間もいない。

 

そんな時間に僕は出かけていた。なにかだいそれた理由があるわけではない。

ただ、ふとアイスが食べたくなったのだ。普段だったら面倒くさがってわざわざ買いに行くようなこともなかっただろう。なにせ僕は、俗にいう引きこもりなのだから。


 ただ誤解をしないでほしい。僕は働くのがいやだったわけじゃない。大人になっても、子供のころと変わらずにずっと遊んでいたら、自然とこうなってしまっただけだ。誰が悪いわけでもないだろう。自然の流れだ。親に養われ、変わらず遊び暮らす。子どもの頃と何ら変わらない生活。これもひとつの幸せといっていいだろう。


 だがここ最近親の姿を見ていない気がする。僕にとっての幸せも、親からしたらたまったものではなかったことには想像がつく。もしかすると、とうとう僕は見捨てられて、両親は祖父のところにでも行ってしまったのかもしれない。


 考えていたら鬱々とした気分になってきた。

 とにかくそんなわけで、自分から外にでるのは結構ありえないことに近いんだけれど。

 今日はなんというか、飢えがおさえきれなくなったのだ。


「やっぱ暗いなあ」


 電灯もまばらな住宅街を歩く。幽霊なんて信じていないが、やはり暗闇には怯えてしまう。

それが子供時代からの刷り込みなのかはわからないが暗闇を全く恐れない人間などいないだろう。なにせ先が見えないのだから。


「まあコンビニまで行けば人もいるだろうし……」


 ふと、視線の隅に白いものがうつった。


「……うん?」


 気づけば住宅街の端、ちょっとした森林に面した場所だった。

 どうせ見間違いだ。

 子どもだったら大いに怯えていただろう。でも僕はもう大人になってしまった。ここで逃げ惑ったり、なにがあるか確かめることなんてしない。ビニール袋がひらひらしているだけ。そんなところだろう。


 そのまま僕は住宅街を抜け、コンビニに向かう。


「……え」


 向かうはずだった。

ただ向かえばよかったのに、僕は振り返ってしまった。

 虫の知らせとでもいうのだろうか。

ちょっと気になっただけだったのに。そこに意味なんてないはずだったのに。

 僕は“ソレ”を見てしまった。


 “ソレ”は森林を背にロングコートをはためかせていた。

 ジ――っという虫の鳴き声。

暑い夏の夜。

ソレが身にまとうロングコートはあまりに季節外れだった。

でも僕はその異常さに気づくことはできなかった。

そんなことよりも、そのコートを纏うソレ自身の方に目を奪われていたのだから。


「こんばんはお兄さん」


 そこには“ソレ”、白い髪の可愛らしい少女がいた。

 まだ幼さが残る、あどけない顔にそのセミロングの白髪は不釣り合いだったが、白磁のような彼女自身の肌の色も合わさり、そういうモノと納得できるような説得力……いや、ひとつの芸術品のような完成度があった。


 ハーフなのだろうか、日本人どころか人間離れなほどに綺麗に整っているその顔は、すべすべとしたきめ細かい肌と合わさり、彼女自身が人形や彫像のような芸術品に見えて来る。


「深夜にお散歩? なかなか味のあることをしてるね」


 うんうんと、何を思ったか嬉しそうに頷く少女。

 細められた瞳についた、長いまつげがきらきらと光る。


「いや、僕は」


突然のことに驚いてしまったが、こんな深夜に十五、六歳くらいの女の子がいるのはなにか妙じゃないだろうか。

 家出? なにかもっと大きな犯罪?


「でも」


 動揺のあまり、うまく言葉がでない僕。弁明なんかではなく、彼女の身を案じる言葉を発するべきなのに。

 僕は大人で、彼女は少女で。

 夜は危ない、そんなようなことを伝えなくちゃいけないのに。


 でもその言葉を発する前に、少女が言葉を紡ぐ。

 鈴の音のような綺麗な声。

 凛とした、よく通る声。

 彼女はその声で、僕が言わんとしている言葉を発した。


「夜は危ないよ」


 それは、僕の考えていた言葉とはまるで違う意味合いだったが。


 少女が背にした藪の中で、がさがさという大きな音と共に影が踊る。

 猪か何かにしてはあまりにも大きすぎる影が、俊敏な動作で少女まで距離を詰めた。


 むわっとした獣のような臭いが僕の鼻をよぎる。

 少女が顔を振り向けた瞬間。

 飛び出した影は棒のようななにかを幾つも振り回す。

 飛沫と共に、彼女の顔面からなにかがちぎれ飛んだ。


 嫌な臭いが間近にいた僕に、一気に流れ込む。

 死ににおいがあるかは知らないが、それはまるで死の香りのようだった。


 突然の奇襲に少女はなにもできず、その身を引き裂かれていく。

 棒の一本一本が鋭利な刃物であったり鈍器、あるいは拷問用具なのだろうか。

 突き刺し、引き裂き、すりつぶし。六本の棒は少女の身体を蹂躙する。棒が振るわれる度に、赤黒い液体が飛び散り、ぼとりと身体から落ちてはいけないものを落としていく。


 ぴしゃりと僕の顔にも液体がかかり、半狂乱になってその液体を目から拭い去る。

 その、一瞬の間。

 その一瞬の間で、影は少女の身体をズタズタに切り裂いてしまった。

 かろうじて人の形を保っている、ボロ布のようになった少女は、どさりとゴミ袋かなにかのように倒れる。

 

 影は、奇声を発しながら空に大口を開けて震える。

 幾銭もの蟲が這い、お互いの節の音で、きしきしと軋む音。あるいは壊れかけのラジオが、ぶつ切りと雑音を流す音。

 不気味な騒音はあたりに響きわたっていた。

 ……あれは喜んでいるのか?

 不可解で、耳障りなはずの咆哮を、獲物を狩れた歓喜の声になぜだか僕には感じられてしまった。


 ふと、影がこちらを『見た』。

 赤いギョロリとした幾つもの火の玉が、一斉にこちらを向いたというのが正しいのかもしれないが。僕と影の間の認識は違う。

 そう、見たのだ。


 僕はそいつの火の玉と目を合わせることで、ぼんやりと考えていたことが事実であることを察してしまう。

それは影などではなく個とした“モノ”なのだ。


 軋みながら歩み寄る影は、月明りに照らされて段々とはっきりとその姿を現す。

 影の輪郭を形作っていたのは、ボサボサの剛毛だった。短く生えたそれらは小さく絡み合い、歪な形状をだしていた。

猫背上になった身体から突き出されるように生えた毛むくじゃらの頭には、目があり、目があり、目があり、目があり……。


 多くのギラギラと光る赤い目が煌めく影はヒトのカタチをしていなかった。

身体から伸びる長い、六本の棒のような腕。……少女を引き裂いたおぞましい腕だ。

先端は爪のように尖っていたり、内側は鋸状になってギザギザとした凶暴な突起をしている。こんなものを突きつけられたのならば、彼女の痛みはどれほどだっただろうか。


 牙の生えた口らしき部位からは、きしきしとした不気味な怪音が口内から聞こえてくる。

 蟲のように感じられた異音も、この姿を目の当たりにすると地獄からの怨嗟の声のようだ。

 ヒトとクモが混じったような異様な姿を持つ影は、まごうことなき怪物だった。


「ひっ……」


 恐怖に身体がひきつる。これが何かはわからない。

しかしこの怪物に少女は惨たらしく殺されたのだ。

 次は間違いなく自分の番だ。

 怪物は巨大な身体を窮屈そうに屈ませると低い姿勢になる。

長い脚をバネのように縮ませ、ぎちぎちという音と共に跳躍する。


 一瞬で目の前に黒い影と赤い火の玉……ギョロ目が広がる。

 死の香りが、また鼻をかすめる。

 ああ、僕はここで死ぬんだ。


「……っと。こんな感じに。夜は危ないから気を付けてねお兄さん」


 鈴のような声がし、つぶった目を恐る恐る開ける。

 目の前の影は去ってはいなかった。

 だが、殺しにくるわけでもなかった。


 怪物は苦し気にうめき声を小さく挙げている。何か、強い痛みで動きが止まってしまっているようだ。

 跳躍した怪物があまりにも動かないものだから、僕は腰を抜かす余裕がでてきた。


 へたりとその場で倒れ込む。

 目の前の影が、少し離れた。

 そのおかげで現状を理解することができた。


 影の裏で、細い身体が影の醜い背中を鷲掴みにしていた。

 握られているところが細かく震えているところをみると、万力のような力で握られているのだろう。

 一切の身動きが出来ないほどの力で握られてしまっていたのだ。


「あ、もう忠告遅かったよね。ごめん」


「あ、ああ……」


 バキリ。

 背中の一部部が砕け散ると、影は僕の方に倒れ込んでくる。


「あっぶなっ!? もうちょっとこう、うまく倒れろっての!」



 またも怪物は動きを止められている。

 今度は倒れ込む怪物の方と頭を細い手が捕えていた。

みしみしとめり込むほど食い込む銀色の指。怪物は唸り声をあげながらもがくことしかできない。


 影の頭には指が食い込んでいる。

 その指は細いなんてものではなく、ただの棒のよう。

 節々に見える凹凸、これは……。

 これは、骨だ。今まで教科書や理科室でしか見たことがないもの。

 

 その手は骨だった。

 手だけではない、ズタズタにされた身体の端々から見えるモノ。

 金属のような銀色の光沢があるが、見えるそれは間違いなく骨。


 僕の目の前に立っているのはところどころに肉片と服が残るだけの銀色の骸骨だった。


「う、うわああああああああああああああああ」


 ついに恐怖が堰を切り、絶叫となってあらわれる。

 僕の目の前には怪物が二体いる。


「わっ!びっくりするなぁ、急に叫ばないでよ」


 骸骨がカタカタと骨を鳴らしながら驚きの声を上げる。

いや、顔は骸骨ではない。

ところどころ皮膚が破れ、頭蓋骨が見えているがその顔は間違いなくさっきの少女を呈していた。


 と、少女の手が緩くなったのか怪物が動く。

 六本ある怪物の腕らしきもののひとつが骸骨の肩を打つ。


 闇夜に金属と金属を思い切りぶつけ合ったような音が鳴りわたる。


「あっ」


 怪物は少女の拘束から逃れると小さく後ろに跳び、間合いを取る。

丁度拳が届くか届かないかの微妙な距離。

 距離をとった怪物は不気味な音をたて、唸ると、禍々しい牙が見える口と思しき場所から白いなにかを吹きだした。


 それはたちまち網状になり骸骨に絡みつく。ミシミシと音が立つ程に食い込むそれは、人間だったら数秒でサイコロステーキに変わるほどの圧力であることを容易に想像させた。


 怪物はさらに後ろに跳び夜の闇に消える。その後を追うように網状のものに苦しむ骸骨が不自然に動く。

 あれは糸だ。とんでもなく強靭な網状の糸が骸骨を闇へと引きずりこんでいるのだ。まるで地蜘蛛のように……。


「あー、うっとおしい」


 と、急にぶちぶちと音を立て網が千切れる。

 何が起こったのかと暗闇に眼をこらすと、骸骨はその異様な姿をさらに歪にさせていた。胸が、肋骨が大きく開いている。これが怪物の網を千切ったのだ。


 怪物はふしゅふしゅと不気味な音を立てている。動揺しているようだ。

 一際大きく身を震わせたかと思うと、その三対の腕を地面につけ足と合わせた計八本の脚で高く跳躍した。


 このまま森林地帯を抜けて逃げ出すつもりらしい。

 その表情の全く読み取れない異形からはなにか動物の怯えのようなものが感じ取れた。


「逃がさない」


 いつの間にか肋骨がもとの位置に戻っていた骸骨は身体を屈ませさながらクラウチングスタートのような構えをとっている。

 瞬きをした次の瞬間には、怪物とはくらべものにならない速さで飛び出していた。さながら弾丸のような速さで跳躍した骸骨は空中で一回転。弧を描く大鎌のような骸骨の足が怪物をとらえると、怪物の首を、あっさりと刎ねた。


 遠くでぼとりという音がする。続けてガシャンという音を立てて着地した骸骨は、こちらに向けてゆっくりと歩いてくる。


「はい、おしまい。ね? お兄さん。夜は危ないでしょ…………あれ?」



 僕は半狂乱になって来た道を走った。うちにたどり着けば助かる。骸骨は追ってこれない。根拠のない希望を糧にただ、ただ走った。

 だが


「お兄さん何に逃げてるのさ。もうクモなら倒したよ?」


 目の前に骸骨が立ちふさがる。


「うわあああああああああああああああああああ」


 もう逃げることはできない。ガクッとその場に膝をつく。


「うーん……ああ、私から逃げてたんだね」


 納得したかのようにぽんっと手をたたく。でも、響くのは金属がぶつかるガキンという音で……。

 その音に呼応するかのように決意を固める。

 抵抗、してやる。


 僕はまだ生きていたいんだ。死にたくないんだ。

 闘争本能とでもいうべきものが顕れる。

 僕は、本能のおもむくまま、触覚を出し、副腕をだし、ヒトのカタチから脱する。 

 脱する? あれ、なんで僕こんな


「はあ、まさかお兄さんも“そう”だったなんてね。こんな世の中じゃ人助けもままならないよ」


 骸骨は即座に僕の首を掴み、握りつぶす。

 あまりにあっけなかったが、それが僕の死だった。


「もしもし? 言われた通り殺してきたよ。うん、クモとキリギリス。キリギリスは自分が既に人間じゃなかったって気づいてなかったのかも。ヒトのカタチのまま逃げてた。変態しなきゃ気づけなかったよ。


それにしてもクモのやつ、キリギリスを食べようとしてた。あの二匹、同族を初めて見たのかな。え? クモの方は元々通り魔だった?

……いやあいつらの生前なんてどうでもいいよ。それじゃあね」


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