夏雲の短編集

宇佐美真里

夏雲の短編集

日は久々に長い時間、電車に揺られる羽目になった。

片道二時間。往復四時間は…ちょっとした旅行だ。


改札を入る前に、

僕は駅のすぐ隣にある書店へと寄った。

四時間も電車に揺られるのだ。

ちょっとした小説なら、読み終えて仕舞う時間だ。

僕は文庫の並ぶ棚から一冊の短編集を手に取った。


短編集ならば、途中で中断せざるを得なくなっても区切りをつけられる。

手に取った短編集の表紙には、ちょうど今の様に夏を感じさせる真っ青な空に…

此れまた夏をイメージさせる大きな入道雲が写っていた。


此の短編集、実はもう十年以上前に一度読んだことのある物だった。

夏をイメージした其の入道雲の表紙は、

僕の本棚の中にあるはずの其れとは写真が変わってしまっていたけれど、

十年以上も前の夏に、

こうして同じ様に何の気なしに手に取った短編集だった。

確か僕の部屋の本棚の中の其の表紙には

後ろ姿で、髪に手をやる女性が写っていたはずだった。


書店のカバーを纏った『夏雲の短編集』を片手に僕は、

昼過ぎの乗客の少ない電車に乗り込んだ。

車両隅の席に腰を下ろし、夏のショート・ストーリーのページを捲っていく。



ガタンゴトン…ガタンゴトン…。

窓ガラスから差し込んでくる突き刺す様な夏の太陽を浴びながら、

一定のリズムで聞こえてくる車輪の音…。

一定のリズムで揺れる座席の上で、

僕も一定のスピードでページを捲っていく。

気付かぬうちに、時々違うリズムが加わっていたりもする。


こくり…こくり…と。


夏の強過ぎる日差しの中で、

僕は首筋にうっすらと汗を滲ませながらも、

いつの間にか何度も、夢の中に足を踏み入れていた…。



 とんとん…。

 「落ちましたよ…」

 いつの間にか真昼の夢へと僕は揺られていた様だ。

 白く細い女性の手の中にある短編集が、目の前に在った。

 寝ぼけていたのと、

 差し出された其の手のあまりの白さに

 僕は少しだけ気後れして、口籠った…。

 「す、すみません…。ありがとうございます」

 お礼を言いながら、差し出された文庫を受け取る。


 「お好きなんですか?その作家さん…」

 其の女性は言った。

 「私も好きなんですよ…。以前はよく読みました」

 差し出された短編集は、落とした時にそうなったのであろう…

 書店のカバーが外れ掛けていた。

 其の下から、あの真っ青な空が顔を見せている。


 「えぇ…。僕も久し振りに手にしてみたんです…」

 外れかけたカバーを元へと戻しながら僕は答えた。

 隣に座る薄紫色のワンピースを着た其の女性は

 短い髪を耳の後ろにやりながら言った。

 「夏にぴったりのお話ですよね?どれも…」

 微笑む其の表情は、

 車窓から差し込んでくる強い日差しなどとは程遠い

 涼しげで爽やかな笑顔だった。

 どこかで見かけた様な…そんな思いがしたが、

 明らかに気のせいだろう…。

 「僕もそう思って、久し振りに読んでみたくなったんです」

 そう言いながら、改めて頭を軽く下げた。



バサッ…。

軽く足に何かを感じて、僕は短編集から目を外した。

いや…正しくは「目を開いた」だ。

再び僕は夢の世界に走り出していた様だった。


足下に落ちている一冊の文庫本。

隣に座る人が落としたのだろう…。

拾い上げて僕は驚いた…。

「?!」

其の本の表紙には、

後ろ姿に、髪へと手をやる女性が写っている。

薄い紫色のワンピースを着て、短い髪を耳の後ろに掛けている後姿…。

部屋の本棚に並んでいるはずの『夏雲の短編集』の表紙を飾る後姿…。


「どうりで見たことがあるはずだ…」


僕は落ちている短編集を拾い上げ、

隣の席で微睡みに堕ちている持ち主の肩をそっと叩いた…。

「落ちましたよ…」

小さく首を傾げ、目を閉じている其の女性も…

不思議なことに、薄い紫色のワンピースを身に纏っていた。



バサッ…。

再び足に、何かが当たるのを感じる…。


「?!」

足元に落ちた文庫本。

外れ掛けたカバーの隙間には、真っ青な空に大きな入道雲。

いつ降りたのだろうか、隣で微睡んでいたはずの

薄紫色のワンピースの女性の姿はとうに消えていた…。



-了-

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