第36話 夫と妻の擬似体験(?)
お姉ちゃん
勉強会は、そんな調子で、夜まで続いた。
茜の教え方は、飴と鞭の使い分けがうまかった。
菓子やらテレビの時間やらを挟んでいたら、あっという間。
あれ、実は俺って勉強できるんじゃね? できるけどやってないだけじゃね?
なんて危うく勘違いしそうになるほどだったが…………
「そろそろご飯にしよっかー、幸太も疲れ気味みたいだし」
「よし。善は急ごう、まじで急ごう」
「うわぁ、がっつきすぎ。嫌われるよー、そういうの」
目の前に、休憩という餌を垂らされれば、食いつかないわけにはいかない。
目の前に肉をちらつかせられた犬に成り下がってしまう。仕方ないね、うん。
「ま、テレビでも見て待ってなー。ちょっと準備するから」
「俺もなにか手伝おうか?」
「えー、いらなーい」
「これでも俺だって一応それなりにできるんだぞ? 一応、一人養ってるようなもんだし」
従兄弟だけど、年上のお姉様だけど。
「作ってあげる、って展開の方が美味しいでしょー? ……なんというか、さ。これは、あたしの理想なんだけど」
「ほう?」
「自分の作ったご飯を旦那が食べて美味しい〜ってなる、あの典型的な家庭あるじゃん? あれ、理想でさぁ」
…………これまた、ギャルらしからぬことを言うものだ。
だが、彼女自身はそんなキャラ崩壊には気付いていない。饒舌になって、理想の過程を語った挙句に、俺を部屋へ置いて、キッチンへ向かう。
鼻歌なんか歌ったりして。
なんにも、中学の頃と変わらぬままの彼女だ。
「全く何があったんだか……」
締まった扉と睨めっこ。
俺がこう一息ついていると、マナーモードにして封印していたスマホが震える。
休憩中だし、触ってもいいだろうと取り出してみれば、
「……早姫姉、なにかあったのか」
まさかの着信だった。
とりあえず、出ることはできる。目の前で出ようものなら、絶対に茜に怒られるが、今彼女はキッチンへ向かったばかりだ。
カップ麺でもない限り、時間はかかる。
実際、一人で残してきたことに不安なのもあった。
俺は迷った末、
「こうくん! 出てくれた〜」
出ることにした。幼馴染の家で、初恋だった従姉の電話に。
なに、この状況。
「……大丈夫か? もう酒飲んでないよな?」
「うん、一回危なくなったから、そこでやめた。ウコン、ありがとうね。おかげで、ギリっギリなんとか」
小さい「っ」が入るあたり、本当にギリギリだったんだろうなぁ。
「それはいいんだけどさ、なんかお風呂のシャワーから水しか出なくやっちゃってね」
「あー、給湯器の調子悪いのかも……? ボロだしなぁ、文句言えないけど」
「そうなの、もうずーっと。足元から徐々に鳴らしていこうとしてるんだけど、本当に冷たくてね」
なにやってんだよ、水のまま浴びようとすんなよ! その前にお湯を出す努力をしてほしい。
というか………
「もしかして、今裸だったりする……?」
「うん。だって一回脱いだ服着たくないじゃん。ね、そんなことよりさ、ビデオ通話にしてシャワー見てくれない?」
「とりあえず服を着てからにしよう!? そういう話は!」
つい、シャウトしてしまってから、やってしまったと思った。
そうだ、つい早姫姉のペースに持っていかれて、茜の家にいることを忘れかけていた。
「い、い、いいよ。私、こうくんになら見られても!」
俺の意志は!? しかし、問答無用、ビデオ通話が始まってしまう。
そして悪事は重なるのだ。
「幸太、どしたー? なんか叫んでるけど」
茜が声をかけてくる。廊下をひた歩く音が聞こえてくる。
くる、きてしまう。そして俺のスマホは、もう肌色の何かが映っているかもしれない。
とっさに正座し、股の下に、スマホを伏せる。
部屋へ入ってきた茜はフライ返しを持ったまま、なぜか同じく正座をする。
「スマホ、なに見てたのー?」
おいおい、ばれてるのか、これ。冷や汗ながら、もう出すしかない。
バツが悪いったらないので、控えめにスマホを差し出す。
頼む、頼む、裸だけは映っていないでくれ!!
その願いは、果たして届いたらしい。
机の上に置かれたスマホでは、風呂場のカランから脈々と水が吐き出されるだけの映像が流れていた。
早姫姉の声もなく、ただ水が流れる。
そうそれはまるで、癒しのヒールメロディかのように。
「変わった動画見てんねー。なんだ、エッチなやつでも見てんのかと思った。
あたしの部屋で緊張して、こんなの見て落ち着こうって?」
「……まぁ、そんなところ。というかエッチなものなんか、女子の部屋で見るかよ」
「変態ならやりそうじゃん?」
「勝手に不名誉な認定するんじゃありません。俺はギャルゲーを愛する紳士です」
うわぁ……って目で訴えるのやめて?
なんにしても、ギリギリセーフ……(?)らしかった。
浮気している旦那ってこんな感じなのか? 全く、嫌な擬似体験だ。生きた心地がしなさすぎる。
絶対にそんな不義理はしないようにしよう。俺は、心に誓ったのであった。
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