結局、ミムが足を止めたのはニ十分間ほど山道を歩いた先の、森中に開けた広場みたいなところだった。足場はすべて砂利で埋め尽くされ、広場の奥側に小さな石の祠のようなものが設置されている。

 そして、突然に告げ知らされる。


「百円夜行は、ここまでだ」


「え?」


 もう終わり?

 てっきり一晩ずっと徘徊するもんだと思っていたから、少し拍子抜けだった。

 しかし、ミムの伝えんとしていることは、俺の思慮とは多少違ったようだ。一凪が広場を駆け抜けていったかと思うと、イナミの姿を一瞬砂煙が覆い隠す。

 そして、次の瞬間には霧散しており、その場に残っているのは黒い毛のようなものと、やっぱり確かに何かがいるような存在感だけ。化けの施術と解除のやり方は、ほぼ同じなようで、イナミの姿が眼前に現れた時も、やっぱり砂煙が舞っていた。

 このままお開きか。ちゃんと家に帰れるかなぁ、なんて思っていたが、何かが手に触れたような気がした。


「……何をしている、こっちにきたまえ」


「あ? えっと、っておいおい! 引っ張んな引っ張んな!」


 いや、手には何も触れたりしちゃいやしないんだけど、ただ温もりのようなものが感じられるだけなんだけど、俺はずずずと引きずられいつのまにか祠の前に鎮座していた。


「おいおい、百円夜行は終わりなんだろ?」


「そうだ、終わりだ。だから、ここからは僕と君のプライバシーだ」


「は?」


「つまりは、個人的なやり取りだ。ビジネスじゃない」


「はぁ」


 なんだその、妙に規律に律義なしきたりは。別に仕事中でもここに俺を呼んで、イナミの姿で一緒に話すりゃいいだけのことじゃねえのかよ。ミムは、無駄に仕事に関して、熱心なところがあるよな。


「君と少し、話をしたいんだ」


「いや、それさっきしてくれたらよかったくね?」


「仕事で個人的な情報を訊ねるのは、業務違反だ」


「はぁ」


「昔、ご先祖様が、お客様の好きなお方に化けて、好き勝手お金を巻き上げた挙句に、個人情報をばらまいたからな。お客様がカンカンに怒られて、大変なことになって以来、仕事でプライバシーを訊ねるのは禁止になった」


 ああ、なるほど。そう考えると案外、理にかなっているかもしれん。

 俺だって、普通なら入らないような山奥に、イナミの姿につられてホイホイ足を踏み入れてしまった身だ。その上、もしも、ミムが完全にイナミのようなそぶりを見せたならば、俺のアレコレを聞き出すのも容易だろう。


「ちなみに大変なことって、どういう?」


「一族、皆殺しだ。その墓が、これ」


「あぁッ!?」


 俺は祠の方を見る。どう考えても、一族の霊が静かに収まってくれそうにないくらいに小さいってこれ。一族皆殺しって、おま。

 いや、なんか急に重い。

 ……んまあ、でも。気持ちが分からないわけじゃないから、こういうときは悲観的にならない方が本人のためだとは知っている。

 につけたって、そんなカミングアウトを喰らうことになるとは。そうか、一族皆殺し……。

 ……ん? 一族皆殺し?

 いや、おいんじゃ、ちょっと待て。もしかして、ミムは―――


「……。いや、僕は死んではいない。僕たちは、化け猫の一族だからね、僕がどこにいるのか分からないようにしているだけだ」


「そんじゃあ、本体はここら辺のどっかに?」


「君自身を化かしているから、僕を見つけることは不可能だけどね」


「身体あるの?」


「……君は何を考えているんだ?」


「あ、いや別に」


 ミムの蔑むような視線に我を思い返し、手ぶり素振りでなんでもないことを伝える。ミムはすぅっと溜息を吐いたらしく、生暖かい風が首筋を伝い、妙な微熱が空気中に四散していく。


「それで、なんの話なんだ? なんでもいいぞ」


 場の流れを断ち切るために、俺は話題をすっと切り替える。さすがにあからさまな誤魔化しに、ミムの表情がムッとするが、あえて言及する必要もないと感じたのか、あっけらかんとした答えを返した。


「いや、なに。僕は、君に興味があるんだ」


「はぁ」


 あらなに、興味があると来ましたか。

 そのセリフはいい歳の青少年をからかうために存在してるもんだとてっきり思い込んでいたもんだが、何の恥じらいもなく真正面と向かって言われると本来の含意の方がしっくりしてくる。なにより、目にもみえない存在に好意を持たれても困るわけだが。

 につけたって、この一連でミムに興味を持たれるような要素ってあったか?

 確かに初対面であっさりミムの正体を信じたとはいえ、どっちにしろ大概の連中は『百円夜行』で存在を認識を改めるはずだ。道中じゃ俺はセクハラしかしてない。特段、何か徳を重ねるような行為もしてないんだから、ここからファンタジー小説的にミムが仲間になるとも考えづらい。

 んともなると?


「え、なに一目ぼれっすか」


「うぬぼれの間違いだ、バカ。君のようなオタクに好意を向ける存在などこの世界にいるはずがない」


「いやねぇ、それがねぇ、いたんすよぉ」


 嘘だろ、ミムの眉間にしわを寄せるような顔が目に浮かぶようだ。俺の若干ドヤったような口角になにかぺちぺちと固い石粒のようなものがぶつかり、鋭い痛みに手で覆い隠す。こ、コイツ普通に石投げてきやがった……。


「な、なにしやがんだ!」


「ふむ、その反応からすると本当のようだね。嘘だったら、冗談だと君ならほざくはずだ」


「いや普通に訊いてくれよ……なんで、その妙な心理学に訴えて暴力ぶつけてくんだよ」


「痛みは人間を正直にするからね、心の痛みも同様だが。……しかしまぁ、これで少し納得がいった」


 しかもなんか勝手に自己完結しちゃってるし。

 ミムは「ふむふむ」としばらく黙り込んだかと思うと、数回逡巡したのちに俺に真剣なまなざしをぶつけてくる。そこに帯びているのは、単なる興味とかいうソレではなく、なにかしらのミムらしかぬ不安で、まるで俺が熱を引いたときに、おでこに手を当てる姉貴のような雰囲気だった。

 ……なんだ、なんだ。

 しばらく戸惑いののちに、俺は、それこそオタクのようにこっそり訊いてみる。


「あ………え、と。なんすか……?」


「君は呪われている」


 一番の容疑者であろうミムの眼差しは、オタク特有の吹き出しをかき消すくらいに、真剣だった。

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