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「それにしても、君はあっさり僕のいうことを信じるんだね。オタクはもう少し疑い深い生き物だと聞いていたが」
「オタクが疑い深くなるときはいつだって決まってんだ。第一に親が関係するとき、第二にエロ広告をクリックするとき、第三に金がかかるときだ」
「ともすれば君は疑うべきだ。なんせ金がかかる」
「ワンコインは金がかかるとは言わねえんだよ。んで、どこに置けばいいんだ」
「そこの縁側に適当に置いておいてくれたらいい。そのうち回収する」
すっかり日は西側の山の傾斜に沈みかけていた。
十九時と指示されたスマホの時刻をみると、脳裏に姉貴の泣き顔がちらついてくるが、そうもいっていられない事情が眼前に迫っているわけだ、犠牲になってもらう他ない。まぁ、二日三日ほっておいても、道草を文字通り食って生き延びるようなゲテモノなので、今晩放置くらい放置しても問題ないだろう。
薄気味悪い廃神社の縁側で、虚空に向かって言葉を並べる俺の姿。誰かに見られるだけで一発アウトの通報案件すぎて、内心戦々恐々なわけだ、見つかった日には夏休み明けの学校でどんな罵倒を浴びせられるかわかったもんじゃない。
が、俺も道化を演じる目的でこんなことをしてはいないのだ。
「最後にもう一回確認させてくれ。その『百円夜行』とやらで、お前に百円を支払えば、一夜だけ俺の好きな子が、俺と一緒に過ごしてくれる―――ってこと?」
「お前、ではない。みむ、という名前がある」
「あーはいはい、わかった、ミムな」
「軽々しく僕の名前を呼ぶな」
「んじゃなんて呼べばいいんだよ……」
別のあだ名をエロゲ百科図鑑の脳内から選りすぐっていると、隣にいるような気がする存在―――自称『ミム』は説明口調で語り始めた。
「『百円夜行』は、厳密にいうと、君の妄想を具現化するということだ。もっとも、できることは限られているが」
無論、俺は、この目に見えない存在『ミム』に惹かれて、この場にいるのではない。後者の、彼か、もしくは彼女がもちかけてきた商談、通称『百円夜行』なるものに興味を持ったからだ。出来と内容によれば、今の俺に降り注いでいる弊害や、苦悩をすべて取り除いてくれるかもしれない。
「そして君はどういう妄想を僕に臨むんだい」
「嫁とえっちがしたい」
「—————……、もう一度いいたまえ」
「嫁とえっちがしたい」
「……僕は君の嫁じゃない」
「いや当たり前だろバカ。誰がそんな話をしたんだ」
ミムは目には見えないが、はっきりとした侮蔑と諦観の意を込めた嘆息を吐く仕草をしている。うっすら神社の物陰に入った縁側に、なんとなくミムのシルエットのような滲みが視界に映り始めていて、欠伸をするさまを確認することくらいはできるようになっていた。
「君は人の話を聞いていたのか。君の好きな子とやらに化けるのは、僕なんだぞ。見た目は君の好きな子に違いないだろうが、中身、そして性格までは変えられないのだよ」
「なにそれ、欠陥じゃん」
「……、だから、安めの価格に設定してあるんだ。前の客にも、同じことを言われたよ」
「なんというか、こう企業努力みたいなのはできないの? 頑張って、そのキャラクターの性格に寄せるとか、抱き着くとか」
「努力は僕の一番苦手とすることだ。あと、『百円夜行』なんだから、できることは一緒に夜を出歩くことだけだ」
「できること限られすぎだろ……」
商売する気あんのか。
明らかにサービス業をなめているような節はあるが、百円ならば仕方がないと言いきってしまえば終わりだった。なにより、何もしてこないし、ただ隣を歩くだけとはいえ、自分の理想の女の子と一緒に散歩できるだけでもオタクにとってはありがたい。
そして、俺の抱える苦悩を打破しえる一撃でもある。
【俺は、三次元には興味がない】
三次元に、欲情してはならない。しかし、二次元に恋をしようとも、彼女らと共に会話を交えることも、ともに歩むことも、食卓を囲むこともできやしない。こんな縛りに縛られた生活じゃあ、いつしか三次元に浮気してしまうのも時間の問題だ。
だけれども、この唯一の希望。二次元の俺の嫁と、一緒に歩けるというのであれば。
「俺の『三次元への未練を絶つ』計画も、安定性がでてくるな」
「……僕はいま、なんとなくで君の手伝いをしてしまったことに、後悔を感じ始めているよ」
「気に入ったら、今後も定期利用させてもらうから覚悟しとけよ、ミム」
「……非情に不平はあるが、それなら定期利用パックがあるから、そっちを買うと良い。少しだけ、安くなるぞ。一か月で二千九百五十円」
「なんでそういうとこは商売熱心なんだよ……」
いまいちミムの素性が知れないわけだが、こういう商売律義な姿をみると、悪いやつではないのは確かだった。ただこのパック購入しても、五十円分しか得にならないところをみると、やっぱり商売下手っぴだコイツ。
ミムはすっと縁側から降り立った。物音ひとつせずに着地するさまは、体操選手のマットに降り立つ光景に重なるほど丁寧で、こちらを振り向きざまに靡いた黒髪の艶さえ目に映りそうなほど自然な動作だった。
男の子なのか、女の子なのか、どちらなのかよくわからない中性の声色で俺に話しかけてくるミムの感情は、刀剣の前に座りこんだ鍛冶屋の抱えるソレに似ていて。
「さぁ、君の望む姿を僕に見せたまえ」
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