姉貴との会話から二時間後、俺は必死に三次元との恋を回避する術を探していた。


「三次元に興味を持てなくなる催眠術―――いや、胡散臭え。過去の記憶をすべて二次元化する催眠術―――人間卒業しちまうよソレ。この世界を二次元化する催眠術―――できたらとっくに誰かがやってるよ」


 というか、全部催眠術じゃねえかよ。

 結局、インターネットの海に漂っているのはゴミばっかりで、気分転換の足しにすらならない。帰り途中の神社の屋根の下、日陰に涼みながら遠く蒼く揺らめく太平洋は、入道雲との境界線がくっきり見えた。そういや、姉貴のパンツもあんな感じだったな。


「ついに熱で脳が溶けたか。誰が縞パンと日常風景の類似を示せつったんだよ」


 姉貴と過ごし始めるようになってから、一人ツッコミも増えたこの頃なのであった。

 ようやく気も滅入り始めた頃合いで、スマホの時刻を覗き見る。すっかり十六時を回っており、海辺を細目で覗けば、ちらほら浮き輪をもった人影がまばらになりつつあった。未だに残っている若いカップルらしき連中は、おそらく宿泊勢だろう。近辺に乱立された民泊が息を吹き返すように活気を取り戻し、電灯が煌々と夜中に灯っているさまはもはや様式美だ。セットで、次の日、大量のシーツが洗濯される光景もついてくる。

 特に、村の風上に位置するこの名も知れないようなボロボロの廃神社からは、眼下に浜辺を一望できる。この日も、青い円弧に沿って立ち並ぶ家々に白い群がはためいている。明日もどうやら盛況のようだ。

 一日の終わりを告げるのはヒグラシ。背後の小高い裏山からは、ミンミンゼミの最中に儚い夢を語り掛けてくるような彼らの合唱が混じり始めていた。


「……帰るか」


 そろそろ、晩ご飯の準備もせにゃならん。帰り道にパン粉と豚を買わないとである。

 別に、姉貴の言う通りにしなくとも問題はないが、たまには喜ばせてやらないと拗ねられても困る。

 うっし―――と、俺は腰掛けていた縁側から飛び降りた。ぼすんと砂煙が舞い、夏風に吹かれ海側へと吹き飛んでいった。

 結局、何もせずに、何も得ずに帰る羽目になってしまったわけだ。

 これなら―――


「攻略済みのエロゲーのヒロインで打線組んでる方がまだ有意義だったね」


 なにその全員内野安打されまくりそうな打線は。

 俺は苦笑しつつも、境内の外に停めていた自転車の方へ立ち上がった。


「でも君は打ち込んだ玉は全弾アウトのようだね。いいかい、君と遊んでいる相手は人間じゃなくて、ただの平面の壁にしかすぎないのだよ。それじゃあ、ヒットになるはずがない」


 俺はすっと振り返る。

 ヒグラシの鳴き声の合間に、切り裂いたみたいにぽっかり空いた静寂が現れ、吹き付けた涼風がもう一段と砂埃を立てる。目を細め、声の持ち主を辿り彼の方を眺め見るが、視界が開けても人影ひとつ現れやしなかった。


「……気のせい、だよな?」


 ———そんなはずがない、口に出すまでもなく、脳内では警報がガンガンと鳴り響いていた。

 知っているんだ、この光景。というか、デジャブ。


「あぁ、全部気のせいだ―――といえば君は素直に帰るのかい」


 第一印象は、『うわ、なんか来た』だった。

 ただ正確にいえば、なんか来た―――という感覚がした、だ。実際に、眼前にエロゲの妹キャラクターみたいな美少女が現れたわけでも、お化けがドロンと表に出したわけでもない。

 いかんせんそこに広がっているのは、なんの隔たりもなく広がっている境内の砂地。

 しかし、確かに感じる誰かの存在感。

 俺の視線の、ちょうど二メートルほど先……そう俺がさっきまで座っていた縁側の、ちょうど右となり側に、何かがいるような気がする。


「君があまりにも一人で漫才を繰り広げているものだから、つい気になって表に出てきてしまったよ」


 でも、目には見えていないわけで。普通の人ならどうするだろうか、突然、感覚でしか語れないような存在が、声に出してるわけでもないのに話しかけてきたら。

 間違いなく、俺は疲れているんだろう、で事なきを得るだろう。

 俺だってそうしたかった。

 だが、ソイツの次に語る言葉で、完全に俺の足は止まってしまった。


「ついでだから、君の願いの手伝いをしてあげようか?」


 それが、ミムとの初めての邂逅。

 そしてこの日が、今後幾度となく利用することになる『百円夜行』の、記念にしていいのかわからないが、その一日目となった。

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