第65話

「んー……」

 ハインツさんが渋い顔で腕を組む。

「あなた、虐待されていますね?」

 そんな言葉を耳にして、私はびくりとなった。虐待?

 ディラーノさんもまた、びくっとしたように見えた。

「日常的に暴力を振るわれていますよ、この方。あちこち古傷があって、気になってはいたんですが……有翼人は皇族でなくても、それに準ずる地位にいます。普通なら、真っ先に神官に手当てをされるでしょう? 傷跡は残らないはずです。それがこうして傷跡が残っているのなら、怪我をしても放置されていたと考えるのが自然ですね」

「虐待……」

 自分も幼い頃、虐待を受けていたけれど、傷跡が残るほどの暴力を振るわれたことはない。叩かれたり蹴られたりしたけれど、これほど酷くはなかったはず。

「あ、あの、どうもありがとうございました!」

 慌てたようにディラーノさんが立ち上がる。

「私はこの辺で失礼させていただきます!」

「で、でも……」

「いえ、本当、いいんです。あの、お世話になりました、ベアトリス妃殿下。あなた様のご厚意、深く感謝しております。このご恩は決して忘れません」

 ぺこぺこと頭を下げ、逃げるように行ってしまった。大丈夫、なわけないと思う。どうしたら……。

「放っておくしかないでしょうね」

 ハインツさんがそう口にする。えぇ? 私が目を剥くと、

「彼はルドラス帝国の人間ですからね。ああいった場合、あくまであちら側の問題ですし、我らの法で虐待の事実を咎めることは出来ません。下手に口を出すと、多分、かえってあの方が困ったことになると思いますよ?」

「私に出来る事ってないの?」

 つい、そう言ってしまうと、

「んー……我らとしては、妃殿下に関わって欲しくないんですけど、ね」

 ハインツさんが困ったように言う。

「妃殿下をお守りする立場にいる者としては、みんなそう言うと思いますよ? あんな風に暴力を振るう者と関わって欲しくないんです。妃殿下が危険にさらされますからね。ですから、そうですね……この国にいる間は、我ら治癒術士が力になってあげましょう。彼が怪我をしてもきちんと対処してあげます。これで如何ですか?」

「ありがとう」

 私がそう言うと、ハインツさんはほっとしたように笑った。

 とは言え、やはり彼の今後が気になって仕方が無い。もんもんとして気は晴れず、自室に戻ってから、オスカーにディラーノさんの事を相談してみると、

「……それは難しい問題だね」

 そう言われてしまう。

「手は出せないって事?」

「というか……彼はルドラス帝国の人間でしょう? オルノ・ディラーノ……多分、ディラーノ公爵家の人間だよ。ノエル皇子の側近だね。彼が置かれている状況はちょっと分からないけれど、こっちの法律では彼を守れないし、暴力を振るった人間を裁く事も出来ない。もしこちら側に助けを求めるのなら、ウィスティリアに亡命するってことになっちゃうけど、それ、やりたい? 国を、家族を捨てるって事になるよ?」

 あ……。オスカーが薄く笑う。

「そういうこと。下手に手は出せないかな。オルノ・ディラーノって人の希望が最優先じゃない?」

 そう、だよね。やっぱり私って考えなし……。

 私が落ち込むと、オスカーが言う。

「……ジスラン殿下に話を通しておくよ」

 そう言われて、はっとなる。

「彼の権力もちょっと怪しいところあるけれど、僕よりは彼の方が手を出しやすいでしょ? 何とかするように言っておくよ。これでいい?」

「ありがとう!」

 私がそう言って抱きつくと、オスカーが笑う。

「いいよ。本音を言えば、僕も助けてやりたいとは思ったもの」

 そう言えば……オスカーは弱者に対する暴力に敏感だったな。

 私の虐待に真っ先に気が付いたのも彼だったし、街中の孤児院には、やっぱり虐待されていた子供達が保護されている。

 今では職員さん達が積極的に動いているから、めっきりその数は減ったんだとか。こうした仕組みを作るのが、オスカーは本当に上手いと思う。その上、自分がこうして率先して動くから、他の人達も張り切って動く。

「お会いできて嬉しいです、オスカー殿下」

 夜会で目にしたノエル皇子は、輝く皇子という渾名の通り、素晴らしい容姿の持ち主だった。二十才はとうに過ぎているはずなのに、線が細いせいだろうか、どことなく少年ぽさが残っていて、それが返って神秘的に見える。背にある真っ白な翼と相まって、まさしく天使様だ。

 けど、もの凄く薄ら寒い……。どうしても笑顔が引きつってしまう。眼差しが凍てつくよう。これだと、やっぱりジスラン殿下の方がずっと温かい。抜け目ない感じがして、少し落ち着かないけれど、あの人の方がずっと人間らしいとそう思う。

 私はノエル皇子の後方にちらりと視線を向けた。

 ノエル皇子の側近達に交じって姿を見せているのは、例のアロイス・フォレストという魔術師だ。黒一色の衣装で、まるで影のよう。自分を狙っているという台詞を聞かされているから、どうにも気になって仕方が無い。

 あ……。会場に遅れて現れた人物に私の目が釘付けになる。

 オルノ・ディラーノさん? 慌てた様子で会場に姿を見せたのは、確かにディラーノさんだった。彼は私と目が合うと、はにかむような笑みを浮かべて会釈し、そのまま急ぎノエル皇子の側近達の横に並んだ。

 よかった、元気そう。わたしはほっと胸をなで下ろす。

「こちらには兄上も来ているようですが、本当ですか?」

 ノエル皇子がオスカーにそう問えば、

「ええ、本当です。一足先に到着していますよ」

 オスカーがそう答えて頷く。

「おやまあ、これはこれは、聞きしに勝る寛大さですねぇ、あんな白豚皇子を迎え入れるなんて、素晴らしい人格者だ!」

 大げさな身振り手振りを加え、ノエル皇子がそう言い放つと、後方にいた彼の側近達がどっと笑った。まるで示し合わせたかのように。

「あいつは品性の欠片もない真性の豚なんですよ。皇族だと名乗るのもおこがましい。ぶくぶくと太った醜い白豚です。頭の回転は鈍いし、口を開けば食べもののことばかり。何を言われてもへらへら笑っているだけで、こちらの嫌みを理解する知能もない。本当、どうしようもありません。そんな者をよく客として迎えたものです。実に感心しますよ」

 それを意に介さずオスカーが言った。

「彼はルドラス帝国の皇太子です。当然かと」

「一応、形だけはそうですね。第一皇子なので仕方なく、でしょうね。ご心配いりませんよ、オスカー殿下。この僕が直ぐに取って代わって見せますとも。どうか、ご安心ください。次期皇帝はこの僕で決まりだ」

 芝居がかった口調と仕草で、ノエル皇子がそう口にする。

 オスカーの表情は全く変わらない。柔らかな微笑みを浮かべたままだ。でも……不愉快そう? そんな気がする。ジスラン殿下とは懇意にしているみたいだったから、やっぱり気分は良くないのだろう。

「時に……殿下は随分と姿形が変わられましたね?」

 ノエル皇子が話題を変えた。

 そう言った彼のその視線が何とも不躾である。オスカーの全身をなめ回すようにとっくりと眺め、それでいて、不快さを隠そうともしない。気に入らない、眼差しが既にそう言っている。だったらわざわざ来なくても……ついそう思ってしまう。

「そう?」

 オスカーの反応はどこ吹く風だ。まったくいつも通りである。

 ノエル皇子が笑う。優美だけれど、やっぱりその笑顔は薄ら寒い。

「ええ、見違えました。まさに醜いアヒルが白鳥に……いえいえ、墓から蘇ったような幽鬼が、美の女神の寵愛を受けたかのような変身ぶり! 驚きましたよ!」

 褒めてるんだけど、何かけなしてる?

 ノエル皇子の笑い方が嘲笑、そんな風に見えてしまう。

「……墓から蘇ったような幽鬼の方が良かったんだけどね」

 オスカーがぼそりとそう漏らした。これは多分オスカーの本心だ。ちょっと他の人には分からないかもだけど。

「は?」

 案の定、ノエル皇子が首を捻る。

「あ、いえいえ、こちらの話です。見た目なんて本当、自分では選べないからね。もう、どうしようもないっていうか……」

 ため息交じりにオスカーがそう言った。

「ええ、持って生まれたものは、どうしようもありませんね」

 ノエル皇子がそう言って、得意気にふわさと髪を掻き上げる。そう、得意げだ。

「大変だね、お互いに」

「ええ、お互いに」

 ここでまた得意げにノエル皇子が頷く。鼻高々?

「気を落とさずに」

「ええ、はい?」

 流石に意味が分からなかったのだろう、ノエル皇子が首を傾げた。

 気の毒そうなオスカーの言葉が続く。

「前向きに生きるのが一番だから」

「ええ、それはそうですね?」

「筋力トレーニングをするといいかもね?」

「はあ……」

 ノエル皇子の体が細すぎると言いたいんだろうな、オスカー……。オスカーは、こういう体型、苦手なんだよね。均整がとれているから、中性的で素敵と言えば、そうなんだろうけど……。女性を連想させる顔と体型を彼は全く受け付けない。

「そうすればその容姿も気にならなくなるかも。君さ、気持ち悪……いや、前より細さに磨きがかかっててるよ。何でそうなるかな?」

 もしかして、気持ち悪さに磨きがかかってるって、そう言いたかった?

「仕方ありませんよ。こうなるのは必然だったんです」

 ノエル皇子がそう返す。

 んー……美しくなるのは必然だったってことかな?

「必然……諦めるのは良くないよ? 暗くなるからね?」

「影があるのもいいって言われますよ?」

 ノエル皇子がそう口にする。愁いを帯びた美少年ってこと? 確かにそういったのが良いって言う人もいそう。

 オスカーがほっとしたように笑う。

「あ、そうなんだ。そう考えればいいのかな? 君、意外と前向きだね。じゃ、ま、がんばって? これからも前向きに明るくね?」

 オスカーがそう言って話を締めくくった。

 私は笑顔で全部の会話を聞き流す。

 多分、なんだけど……会話噛み合ってないよね? これ……。

 オスカーはノエル皇子の容姿が気持ち悪いって思ってて……。ノエル皇子は自分の容姿がこの上もなく素晴らしいって思ってる……。えーっと……まぁ、いっか。このままでも問題なさそうだし。下手につつくと喧嘩になりそう。いや、オスカーの事だから、上手くかわすかもだけど。

 空気がざわりと揺れ、人垣を割るようにしてジスラン殿下が現れた。


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