第64話

 ノエル皇子が到着した翌日は、夜会が開かれることになった。対応したのは外交官さんなので、私はまだ彼とは顔を合わせてはいない。聞いた話では一つも良いイメージが思い浮かばないので、内心ドキドキだった。

 慌ただしく夜会の準備が進められる中、私はいつものように台所に顔を出し、早々に引き上げたけれど、自室に戻る途中で有翼人を目にして驚いた。

 何せ背に翼がある。中々見られない光景だ。

 ジスラン殿下のような真っ白な翼ではなくて、鷹のような色味のある翼である。翼は白ければ白いほど尊いとされるらしい。白く輝く翼は最も神に愛された者の印なんだとか。ジスラン殿下の翼は真っ白だった。多分、あれが理想なんだろう。

 目にした茶色い翼を持った有翼人は、廊下の隅にうずくまっていて、何やら具合が悪そうに見える。

「あの、どうされましたか?」

 気になってそう声をかければ、びくっと目の前の男性は身をすくめた。目にしたのは眼鏡をかけた大人しそうな男性だった。整った顔立ちには品がある。

「いえ、その、背中が……」

 目の前の有翼人の男性がそう答えた。

「背中?」

 翼の調子でも悪いのだろうか? まさか折れている、なんてことはないよね? そう思い、私がまじまじと翼に見入っていると、

「あ、いえ、何でもありません! その、大丈夫……」

 有翼人の男の人が勢いよく立ち上がり、再びへたりとその場に膝を突く。全然大丈夫そうに見えない。やっぱりどこか具合が悪いのだろう。

「医務室へご案内します。こちらへどうぞ」

 私がそう言うと、有翼人の男性は迷ったようだけれど、大人しく付いてきた。やっぱり具合が悪そう。顔色が悪いし、足取りもふらついている。私が肩を貸そうとすれば、護衛騎士のクラウスさんに止められた。

「肩を貸しましょうか?」

 クラウスさんが代わってそう申し出る。強面の護衛騎士さんだけど、彼は親切な人だ。かの男性の腕を掴んで自分の肩に回し、彼の背に腕を回した時点で、悲鳴を上げられてしまった。クラウスさんは驚いたようだけれど、私も驚いた。

「……怪我を?」

 怪我? クラウスさんがそう問えば、かの男性が頷く。

「背中、ですね? わかりました。大丈夫、触りませんよ」

 有翼人の腕を自分の肩に回したまま、クラウスさんが一緒になって歩き出す。

「あのお名前を聞いても?」

 私が控えめにそう問うと、

「私は、その……オルノ・ディラーノと申します」

「ディラーノさん?」

「ええ、はい。お世話になります」

 ディラーノと名乗った男性は、ぺこりと頭を下げる。有翼人は皆皇族の血を引いていると聞いているけれど、彼は随分と腰が低い。

「おや、妃殿下。どうされました?」

 医務室に到着すると、白い医療衣に身を包んだハインツさんが笑顔で出迎えてくれた。穏やかな顔立ちの彼は年齢不詳で、若くも年を食っているようにも見えてしまう。

「妃殿下!?」

 ハインツさんの台詞を聞いて、ディラーノさんは仰天したようだ。私が誰だか分からなかったらしい。あ、そう言えば、名乗ってなかった。

「これは、あの、ご無礼を!」

 ディラーノさんは急ぎ畏まるも、ハインツさんが宥めてくれた。

「ああ、大丈夫ですよ。妃殿下は気さくな方ですからね。いつもこうなんです。で、どうされたんです?」

 ハインツさんの問いに、私が代わって答えた。

「背中を怪我しているようなので、診察をしてもらいたいの」

 ハインツさんはディラーノさんの様子をしげしげと眺め、

「んー、有翼人ですか……少々お待ちを」

 そう言って身を翻すと、魔具で誰かと連絡を取り、戻ってくる。

「ヨハネスが対応します」

「あなたでは駄目なの?」

 ハインツさんは優秀な治癒術士さんだったはずだけれど。小さな傷くらいあっという間に治してしまう凄腕だ。私がそう言うと彼は笑った。

「ええ。有翼人は私の術を弾いてしまいますからね」

「弾く?」

「有翼人は魔術を受け付けません。ですから神気を扱える治癒術士でないと手に負えないんですよ。ま、診察だけなら私でもできますので、こちらへどうぞ」

 そう言ってディラーノさんを椅子に座らせ、診察を始めた時点で私は息をのんだ。これ……。ディラーノさんの背中の皮膚がずるむけて酷い有様だったのだ。私が言葉なく見入っていると、状況を見取ったハインツさんが、はあっとため息をついた。

「鞭打ちですか……しかも随分とずさんな治療ですね」

「鞭打ち……」

 診察したハインツさんは苦い顔だ。

「ルドラスでは神気を使える神官が治癒にあたるはずですが……薬を塗って終わり、そんな感じです。これでは歩くだけでも大変だったでしょう。なんとまぁ、酷い扱いをされましたね。一体何をやったんですか、あなたは?」

 ディラーノさんは押し黙ったままだ。

 その手が微かに震えていて、ハインツさんは再びため息をつく。

「まぁ、言いたくないのでしたら言う必要はありませんがね。さ、こちらをどうぞ」

 ハインツさんが差し出したのは、乳白色の液体の入ったコップだ。

 差し出された飲み物を、ディラーノさんは訝しげに見つめる。

「……これは?」

 恐る恐るディラーノさんが問うと、ハインツさんが淡々と答えた。

「痛み止めです。今のあなたに必要でしょう?」

「あ、ありがとうございます」

 ディラーノさんは震える手でそれを飲み干し、それが利いたのか、顔色が大分良くなった。

「……魔法でも服薬なら利くんですね?」

 ディラーノさんがそんな事を言い出して、ハインツさんが事務的に頷く。

「ええ。物によりますがね。遅効性のものは効果を消されます。ですが……」

「即効性のものは利く」

「ええ、その通りです。おやおや、あなた方有翼人は魔術に興味が無いかと思えば、ちゃんと調べる方もいるんですね?」

「単なる聞きかじりです」

「ふうん? あ、来ましたね。ヨハネス、この方の治癒をお願いします」

「有翼人?」

 ぬうんっとドアの向こうから現れたのは、ごっつい体格の強面の中年男性だった。何やら不機嫌そう? ちょっと引いてしまった。迫力ある体格だから、治癒術士さんと言うよりは山賊……じゃなくて、兵隊さんっぽいかな? ひげぼうぼうだから、つい……。

「そう言わずに。あなたでないと対処できませんよ」

 ハインツさんがそう取りなした。

「ちっ、分かったよ」

 ちょっと柄も悪そう?

「妃殿下がいらっしゃっています」

「ああ、へいへい、お上品にするよ」

 ヨハネスさんはそう言ってディラーノさんの背後に回り、同じように顔をしかめた。

「ん? 何やったこいつ? 鞭打ちなんて犯罪者にやる処罰だろ?」

「訳ありらしいです。何も聞かずに治癒してあげて下さい」

「へーえ? 神徒の末裔だなんて言って、ふんぞり返っている奴らがねぇ?」

 ブツブツ言いながら、手をかざす。口から出たのは神聖語だ。神官さん達が口にするあれである。あ……普通の治癒術士さんのそれと光り方が違う。白色じゃなくて、白金色? うわあ、凄い。みるみるうちに傷が塞がっていく。

 途中でヨハネスさんが顔をしかめた。

「ん? 結構、力を持ってかれるな……。こいつはちょっと……。患者がまだ後三人残っているんだが……」

「そっちは我らが手分けして対処します。最後までやっちゃって下さい」

「妃殿下優先か? ま、しゃーないか」

 あ、私を優先してくれたのか。

「ありがとう」

 私がそう言うと、

「いえいえ、飛んでもございません。妃殿下のお役に立てて光栄です」

 ハインツさんがそう言って畏まる。

 治療が済むと、ディラーノさんは泣き出した。傷跡は既に跡形もない。皮膚はつるんとして綺麗な色だ。もしかしてヨハネスさんって、ハインツさんより凄い?

「あ、ありがとうございます……」

 よほど嬉しかったのだろう、ディラーノさんがそう言ってむせび泣いた。


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