第58話

「あ、妃殿下、そこはもっと攪拌してください」

 私の手元を見て、ジャスミンがそうアドバイスしてくれる。お城の台所で本格的なお菓子作りを始めて、もう三日目。大分慣れてきたかな。

「これくらい堅くなるまでがんばってくださいね?」

 ジャスミンがそう言って励ましてくれる。美味しく出来るといいけれど……。

 今日作るのは一口サイズのチョコレートケーキだ。聖ヴァレンティノの日には、愛する人にチョコレートを贈るものらしい。そんなの初めて知った。

「他国の風習ですからね。恋人にあげるといいそうですよ? 片思いは両思いに、両思いのカップルは、より熱々になるとのジンクスがあります。料理人達の間で流行っていたんですが、今は貴婦人達の間で流行っているみたいですね? 妃殿下もそれを耳にされたんでしょう?」

 そう。お茶会の場で、これこれこういったチョコレートをあげようと思っていますの、なんて楽しそうに言われ、ちょっと憧れてしまった。オスカーが喜ぶ顔を見てみたい、なんて思ってしまって、こうして作っている。

 チョコレートケーキが焼けるのを、かまどの前で待っていると、

「甘い匂い……菓子を焼いているのか?」

 色気漂う声に振り返れば、思った通りそこにいたのはスカーレットさんだ。さらりと揺れた赤い髪が炎のように輝く。相変わらず綺麗だなぁ。老婆とのギャップがまた凄い。

 調理服に身を包んだジャスミンが愛想良く笑った。

「ええ、今日はチョコレートケーキに挑戦です」

 スカーレットさんは最近台所に入り浸っているので、ジャスミンとも顔見知りだ。当初こそ、ジャスミンはスカーレットさんの姿を見るたびにビックリ仰天し、何かと畏まっていたが、今ではこうして姿を見せても慣れっこである。

「あ、これ、完成品か?」

「そうです。よかったらお一つどうぞ」

 スカーレットさんが、差し出されたチョコレートケーキを一つ口に放り込む。食べやすいようにと工夫したハート型の一口サイズだ。

「うん、うまい。相変わらず良い腕してるな」

「お褒めにあずかり光栄です」

 ジャスミンがにっこりと笑う。

「んで、そうだ。嬢ちゃんはもう、あーんはやったのか?」

「あ、あーん?」

 声がひっくり返ってしまう。

「ほら、小説にも書いたろ? ケーキを食べさせ合うっていう、あのシーンだよ。もう真似したかと思ったけど、まだやってない? なら、これからやってみようか?」

「いえ、あの、あれは、ちょっと……」

 どうしても顔に朱が上る。恥ずかしくて仕方が無い。

「ほら、逃げない、逃げない。オスカー殿下がどういった反応をするのか、あたしも一度見てみたいんだよ。少しは照れるかね? あの万年笑顔の麗人は」

 照れる……照れるオスカー……可愛いかも。でもなぁ……。

「照れない、気がする」

 めいっぱいそんな気がする。照れたところ見たことないもの。

「うーん、やり方、かもなぁ……」

 やり方?

「普段やらない行動をするとか、ね。愛してる、は言ってるよなぁ?」

 はい、すみません、言っています。

「ほっぺにちゅー」

 やりませんよ? こっちが恥ずかしい。

「口でもいいよ?」

 駄目、無理。首を横にぶんぶん振る。

「嬢ちゃんからは普段やらないよね?」

 うん。大抵はオスカーからだね。

「だから効果あると思うんだけどなぁ……嬢ちゃんからのアプローチ。いや、照れないかな? 単純に喜ばれて、砂糖を吐く男に大変身するだけとか……何それ、むっちゃ見てみたい!」

 スカーレットさんが、がばっと身を乗り出した。

 ちょ、待ってぇ! そのいたずら心満載の笑顔、超怖い!

「ほっぺにちゅーして、あなたの為に作ったチョコレートを、私だと思って食べてって言う! これでどうだぁ! 少しは照れるんじゃないか?」

 いやあああ! こっちが悶え死んじゃう!

「練習しよう、そうしよう! ほら、今の台詞をもう一回!」

「あの、夕闇の魔女様? 勘弁して上げて下さい。妃殿下死にそうです」

 真っ赤になって、ぐったりとなった私をジャスミンがかばってくれた。ありがとう……。むうっとスカーレットさんが頬をふくらませて(これもまた色気ダダ漏れ状態)、

「オスカー殿下の照れた顔、見たくないのか?」

 そんな事を口にする。私がぴくりと反応すると、

「とろけそうな笑顔になると思うんだけどなぁ。嬢ちゃんの行動一つでそうなる、のに、やらないのか? ああ、残念だなぁ……」

 そうスカーレットさんがたたみかけた。

 とろけそうな笑顔……。オスカーの照れた顔……。かわいい、かも……。

 その後、なんだかんだで押し切られ、本番前の練習と称して、完成したチョコレートケーキを手に、オスカーのいる研究室へと行く羽目に。何か違わない? これ……。

 ――あなたの為に作ったチョコレートを、私だと思って食・べ・て?

 スカーレットさん、色っぽい声で耳元で囁かないでぇ! 振り向いても誰もいないし! スカーレットさん、いないけどいるよね? いるよね? どうしよう……。二人のちょっとした甘い時間を過ごそうかなって、思っただけなのに、何か奇妙なイベントに変わってる。城の中にある研究室の中にそうっと入ると、私の姿に気が付いた研究員さんが立ち上がり、びしっと畏まった。

「これは、妃殿下! どうされました?」

「その、オスカー、いる?」

「あ、はい、殿下ですね? 少々お待ちください!」

 あたふたと研究員さんが階段を駆け上り、どんっという爆発音。え? なんかあった?

「立ち入り禁止! この札見えてない? 入るなって言ったでしょう!?」

 オスカーの声だ。

「も、申し分けございません! 妃殿下がいらっしゃっていまして!」

「え? ビーが?」

 階段を降りてきたオスカーの顔がすすで汚れていて、もの凄く申し訳ない気分になった。やっぱり仕事場に押しかけたの、まずかった、よね?

「ビー、どうしたの? 何かあった?」

「えっと、そうじゃなくて、その……」

 チョコレートケーキを沢山作ったので配りに来たのだと、そう伝えると、研究員さん達は喜んでくれた。

「もしかして妃殿下の手作りですか? どうもありがとうございます!」

 うん、沢山作って良かった。スカーレットさんに強要されたイベントがちょっと怖いけど。無かったことにしようかな? そう思うも……。

 ――あなたの為に作ったチョコレートを、私だと思って食・べ・て?

 耳元でそんな声が聞こえ、戦慄した。やっぱりいるうぅううう! どうやって隠れてるの? どうやって付いてきてるの? ちょっと怖いよ、スカーレットさん。


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