第59話

「ビー、どうかした?」

 私の挙動不審に気が付いたオスカーが、不思議そうにそう言った。

「その、私達以外にも誰かいそうな気がして……」

 スカーレットさんが! 私は心の中でそう叫ぶ。今いるのは仕事場の私室で、オスカーと私以外誰もいないはずなんだけど、絶対いる、スカーレットさん!

「ああ、もしかして夕闇の魔女? 彼女に見られてる気がするの?」

 オスカーは何やら察してくれたようだった。

 彼の手が私の肩に触れ、一瞬ぴりっとした感触が走り、ふっと気配が消えたような気がした。もしかして、いなくなった? つい周囲を見回してしまう。

「スカーレットさんは、その……」

「ああ、もう大丈夫だよ。術を解除したから」

 ほっと胸をなでおろす。よかった……。もう、あの変な声、聞こえないよね?

 オスカーが手桶の水で顔を洗い、こちらへ向き直る。髪に付いた水の滴が飛んで、これも綺麗。キラキラと輝く水の精霊みたい。オスカーが無造作に髪を掻き上げる仕草で、どきっとなる。綺麗っていうより、こういうところは格好良い。

 そうか……オスカーって、こういった仕草が全部男っぽいんだ。綺麗なのに、女性のようなひ弱な感じをまったく受けないのは、多分、これのせいだろう。ちょっとした仕草が全部骨っぽい。

「ごめんなさい、急に押しかけて」

「いいよ、むしろ嬉しい」

 そう言って額にキスされる。嬉しいけど、やっぱりこういった愛情表現は、いっつもオスカーからだよ、ね。ちくりと胸が痛む。

 深く考えたことなかったけれど、こんな風にずっと一方通行だと、きっと寂しくなる。ほっぺにちゅー……これくらい、やってもいいんじゃないだろうか……。私はそんな風に考え、おずおずと近寄った。

「オスカー、あの……」

 手を伸ばし、彼の頬に手を添えた後で、頬に口が届かないことに気が付いて焦った。身長差考えてなかった! オスカーに見下ろされたまま、何? って感じで笑われてしまう。藍色の瞳が綺麗で、腰砕けに……。オスカーが座ってからの方が良かったと思っても、既に遅い。手際が悪すぎる。蚊の鳴くような声で言った。

「ちょっと、その、か、かがん、で?」

「ん? こう?」

 オスカーの顔が真横に来た時点で、ちゅっと頬にキスをするも、

『あなたの為に作ったチョコレートを、私だと思って食・べ・て?』

 彼の耳元で自分の口がそう言うのを聞き取り、私は固まった。え? あれ? 今の台詞……。自分が言ったのだと、ようよう気が付き、卒倒しそうになる。言ってない、私言ってないし! でも言った、何、今の?

 口を押さえて、真っ赤になって離れると、オスカーのぽかんとしたような顔が目に入る。照れてないし! というか、呆れてる? こっちが恥ずかしくて死にそう! スカーレットさん、一体何をやったの?

「ビー? 今の……」

「忘れて! お願いだから!」

 慌ててそう言うも、

「忘れたくはないんだけどな……」

 そんなオスカーの台詞を聞き取った。え?

「でも、今の台詞、自分で言ったんじゃないでしょ? 夕闇の魔女が何か細工したね?」

「わ、分かる、の?」

「そりゃあね? 術が発動した感触があったもの。そっか、本意じゃないのか……」

 ええ? 何かがっかりしてる? もしかして嬉しかったの? あの台詞。

「だって、さっきのあれ、愛の告白だったんでしょう? 違うの?」

 あ、ちゃんと通じてたんだ。

「そこまで鈍くないよ」

 くすくすと笑われてしまう。でもやっぱり照れてない。いつも通りのオスカーだ。ちょっと悔しい。オスカーの手からさっとケーキを取り上げる。

「ビー?」

「はい、あーん」

 殆どやけくそだった。不発で終わって、なんか悔しくて、引くに引けなくなった。恥ずかしいけど、この際だ我慢しよう。どうせならとことんやってしまえ、みたいな感じ。

「あーんって……口を開ければいいの?」

 オスカーは戸惑ったようだったけれど、私が頷けばちゃんと口を開けてくれる。素直に口を開けられて、思わずその手が止まってしまった。目にしたオスカーの口元がやけに色っぽくて……うあわ、めちゃくちゃ恥ずかしい! 何これ!

 どきどきしながらケーキを彼の口の中に入れれば、オスカーがそれを黙って咀嚼する。心臓はどきどきしっぱなしだ。スカーレットさん、このシーン、思ったより威力あります! 倒れそう……に、二度目はないかな……も、無理。

 恐る恐るケーキを口元に運び、オスカーがそれを食べる様子をじっと眺め、

「美味しい?」

 と聞けば、

「美味しいよ」

 と言って笑ってくれる。

 こっちはもの凄く恥ずかしいし、当のオスカーはまったく照れていないけれど、その笑顔だけで満足してしまった。心がふんわりと温かくなる。何だか親鳥になったような気分だ。楽しい、心に幾分余裕が出来、そう感じたからだろう、

「チョコレートじゃなくて、私を食べてってのはどう?」

 つい、冗談でそう言ってしまうと、オスカーがむせた。ごほごほと咳き込み、そのままふいっと向こうを向いてしまう。え? あれ? どうした、のかな?

 恐る恐るオスカーの顔をのぞき込めば、頬がほんのり赤い。え? もしかして、照れて、る? え? 何で? つい唖然となってしまう。

「何でって、そりゃあ、嬉しいでしょ? 愛してる女性から抱いて、なんて言われれば。しかも、可愛らしくおねだりなんて、ねえ?」

 その意味深なオスカーの返答に私は目を剥いた。

 え? えぇ? お、おねだり? 真っ赤になって口をパクパクさせ、次いで、単なる軽口が、とんでもないことを言っていたことに気が付き、さあっと顔が青ざめた。卒倒しそうになる。だって、だって、だってぇ! オスカーってば、全然照れないんだもん! 何を言っても大丈夫な気がしていたから、つい! さっきは反応しなかったのに、何で今になってこんな反応するの?

「だって、今のはビーが言った台詞でしょ?」

 そう、確かに自分が言いました! 冗談で! あ、もしかして、さっき呆れたような反応されたのは、私が言ってないって気が付いたから? それで流されたの? もし、自分が言っていたら同じように反応してくれた? ひゃあ! 嬉しいけど恥ずかしくて死にそう! とんでもないこと言っちゃった!

 思考がぐるぐる迷走していると、

「んー……今すぐ押し倒したいくらいだけど、ここ仕事場だから後でね?」

 くすくすと笑われてしまう。もう既にいつものオスカーだ。分かってます! っていうか、さっきのは冗談だから! 忘れて、お願い!

「ごめん、今の台詞は忘れられないかな?」

 嬉しかったからねと囁かれ、ふわりと抱きすくめられてしまう。香るのは、やっぱり軽やかな石鹸の香り。

 オスカーからの優しいキスは、甘い甘いチョコレートの味でした。


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