第5話
チェス盤を挟んで、オスカーとアルベルトの二人が向かい合って座る。
結果はアルベルトの連戦連敗だった。本当に強いんだな……。
チェスは割と自信があっただけに悔しくて、アルベルトはもう一局、もう一局と食い下がってしまった。後から考えれば、よく付き合ってくれたものだと、ひやりとしたが、この時はそんな考えについぞ思い至らなかった。どうしても勝ちたい、そんな思いに突き動かされていたように思う。
乳母に休むように言われ、オスカーと一緒に自室へと移動し、そこで何度対戦しただろう。食い下がって何度も対局していたら、いつの間にか夜が明けていて、
「君、いい顔してる」
ある時、ふっとアルベルトは、そんなオスカーの言葉を耳にする。
思わずチェス盤から顔を上げれば、笑う彼の顔と目が合った。落ちくぼんだ不気味なはずの目が、この時ばかりは何故か生き生きと輝いているように見えた。
「人間が一番美しいって感じる瞬間ってどこだと思う?」
オスカーにそう問われても分からない。口ごもれば、
「必死で何かを掴もうと手を伸ばしている時だよ。あがいてあがいてあがく時。何かを求めて、懸命に泥の中を這いずり回るような時かな」
あがく時? 逆にみっともないような気がして、アルベルトは首を捻ってしまう。優雅にスマートに、それが美しい人間の姿だったはずだけれど、そういった理念からはほど遠い。アルベルトが駒を動かせば、オスカーの手が動く。
「なのに妖精ってそういうの嫌うんだよね」
アルベルトは目にした駒の配置で自分が負けたことを知る。チェックメイトだった。アルベルトはがっかりしたが、オスカーの口調は変わらない。
「つんってすました顔で、そういった人間の姿を馬鹿にする。僕にしてみれば、どこがいけないんだってそう言いたいよ。まぁ、僕の方も妖精は好きじゃない。まったく面白みがないもの。生きてるって感じが全くないの。そもそもあいつらって不老不死だから、たった一つの生を懸命に生きるってしないんだよね。何だか夢の中の住人みたい。綺麗なだけのお人形さん。本当、あんなののどこがいいんだろうね?」
意味は理解出来なかった。理解出来なかったけれど、引きつけられて、その言葉は胸の奥深くに残ったように思う。
――人間が一番美しいって感じる瞬間ってどこだと思う?
幾度となくこの言葉を思い出し、ある時ふっと思った。君は美しいよ、あの時そう言われたんじゃないかと、そんな気がしたのだ。泣けて泣けてどうしようもなくて、エレーヌの醜いという言葉が、ほんの少しだけ気にならなくなった。
「変なお兄様」
ある時、アルベルトはエレーヌのそんな言葉を耳にする。エレーヌの暴言に対し、「不細工のどこがいけないんだ」と、そう言い返したのが奇妙だったらしい。単なる強がりだったけれど、エレーヌの虚を突かれた顔を目にして、幾分胸がすっとした。
アルベルトの日課は乗馬だった。
その日もアルベルトは、愛馬のアレキサンダーに乗って訓練場を駆け回り、そこから望める城下町を眺めた。町には市民の居住地区だけでなく、畑も存在している。
アルベルトは遠くに見えるたわわな実を付けた畑の様子に目を細めた。
益と損害どちらが大きいだろうな?
ふと、アルベルトはそんな事を考えるが、いまでは作物は
薬草園にはエティエンヌがいて、薬草から薬液を抽出していた。
彼が手にした枝葉からしたたり落ちる液体が、そのまま薬となる。これは水妖精から得た力で行っていると聞く。こんな風に自分に無い力を使える事を考えると、妖精と契約して力を得た方がいいようにも思えるが、オスカー曰く、魔術師の素質を持った者が、妖精と契約することはまずもってないと言う。
何故なら、契約した妖精が、自分の苦手とする力を阻害してしまうからだとか。
エティエンヌの場合のように、契約した相手が水妖精なら、火の力を阻害してしまう。全ての力を扱える魔術師にしてみれば、妖精から得られる益よりも、デメリットの方が大きいというわけだ。
ただ、どちらにせよ、容姿に優れていなければ妖精と契約は出来ないので、望めば誰でも妖術師になれるというわけではないのだが。妖術師になれる者は、容姿に優れている魔力持ちということになる。
そして生涯独身でなければならない。何故なら、契約した妖精が焼き餅を焼き、契約者の恋人になった人を攻撃してしまうからだとか。
と言ってもこの部分は、女の扱いの上手いたらしだと、上手く言いくるめられることも出来るらしいので、確実ではないと聞く。本当に愛しているのは君だけ、とかいう例の台詞だ。妖精って結構馬鹿なんだな、とアルベルトが思った瞬間だ。
「アルベルト殿下はもう少し、その……身なりに気を配った方がよろしいかと」
ある日の事、エティエンヌが咳払いし、遠慮がちにそう言った。
城内の廊下で呼び止められ、何事かと思えばこの台詞……。
アルベルトは苦々しい思いで、彼を見つめ返してしまう。エティエンヌの瞳の奥に見え隠れするのは、やはりエレーヌと同じ類いのものだ。醜さに対する侮蔑。
三年の月日でこうして背は伸び、剣を扱うので力も強くなったが、顔の造形などそうそう変わるわけもない。身だしなみは当然のようにきちんとしている。これ以上どうしろというのか。
「化粧をするという手もありますよ?」
エティエンヌがにっこり笑ってそう言った。
頭痛がしてきた。本気で言っているというのが分かるだけにやっかいだ。一応オスカーに手紙で相談してみたが、阿呆の一言で一蹴された。そうだよな、これが普通の反応だ。男が化粧ってどうかしている。
クリムト王家は過去何度も半妖精の血をいれてきたから、美男美女が多い。父上も母上もそして僕の弟のエメットも当然のように美しい容姿をしている。
そういった中にいるから、この僕の醜い容姿が余計に目立つんだろうけど、エティエンヌは王家に雇われている妖術師だ。その王家の一員であるこの僕をこき下ろすとは一体どういう了見か。本当に止めて欲しい。
「うざったいなら、夕闇の魔女がやって来るよって言ってみたら?」
翌年、城に遊びに来ていたオスカーが、にこにこと笑いながらそう言った。
オスカーは本当に美醜に頓着しないんだな。エティエンヌの侮蔑の眼差しすらどこ吹く風だ。もちろん立場上、エティエンヌが表立ってオスカーをこき下ろすなんて真似はしないけれど、態度や表情のそこここに侮蔑が現れている。エティエンヌの容姿が優れているだけに、こういった眼差しはことさら堪えるはずなのに、オスカーは羨ましいくらい堂々としている。自分もこうなれたらと、何度思っただろう。
でも、夕闇の魔女がやって来るよと言えば良い?
意味がよく分からないまま、アルベルトがエティエンヌに向かってそう告げると、彼の顔色がさあっと変わって、そそくさとその場から立ち去った。その後、化粧しろとは言われなくなったので効果あったのだとは思うけれど、
「何で大人しくなったんだろう?」
アルベルトがそう、ぽろっと漏らすと、
「呪われてヒキガエルにされたら敵わないって思ったんじゃない?」
オスカーがにこにこと言う。
「夕闇の魔女の通り名は呪いの代名詞だからね。あの台詞は、お前を呪うぞっていう脅し文句なんだよねぇ、あはは」
オスカーがそう言った。いや、あはは、って……僕、エティエンヌを呪うって脅したことになるのか。しかし、あのエティエンヌを一発で黙らせる魔女って、一体どんな魔女なんだ? そう問うと、オスカーの眉間にしわが寄った。ここだけは本当に不快そう。
「……呪いでは僕の師匠の腕を凌ぐほどだから、怒らせない方が良いよ?」
アルベルトは仰天した。あのクレバー・ライオネットより上? びびるわけだ。
「ところでエレーヌ王女は相変わらずなの?」
一緒に庭園を歩きながら、オスカーがそう口にした。
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