第6話
アルベルトは眉間にしわを寄せ頷く。
相変わらずどころかエレーヌの素行は年々酷くなっている。
醜い者は生きる価値がない、こういって憚らない。エレーヌに厳しく接してくれる人格者を周囲に配置しても、彼らの言葉を聞く様子はない。それどころか、我が儘が通らなければ首にしてしまう。
一番の原因は、そんな彼女のやりたい放題を許してしまう陛下のような気がするが、魅惑の香りの影響を受けていないはずなのに、陛下は彼女にとことん甘い。将来自分の寵姫にでもするつもりなのか? と言いたくなるほどの溺愛ぶりだ。
「彼女、今、八才だよね?」
オスカーがそう尋ねた。アルベルトが頷くと、
「そう、じゃ、やっぱりそろそろ気をつけた方が良いよ。子供から大人に変化するあたりが危ないの。十二、三才くらいかな? 早いと十才くらいで変化する」
変化?
「魅惑の香りの効果が変わるんだ。もっと強力になって、単なる好意が、恋する感覚に変化するの。本当はこれ、本人の意思で効果を抑制できる筈なんだけど、エレーヌ王女にやらせるのは、ちょっと無理みたいだね? 師匠がぼやいてたよ。あのぼんくらどもって……。いっそ呪ってもらって
そう、オスカーの言う通り、許可しないだろう。魅惑の香りは
アルベルトが頷くと、
「なら、これをあげるよ」
オスカーから手渡されたのは十個ほどの青い指輪だ。
「これは?」
「魅了防止の装身具。エレーヌ王女を世話する人達に身につけさせたら?」
「いいんですか!?」
アルベルトが驚けば、
「いいよ。僕が作った物だから遠慮しないで?」
オスカーが笑う。
しかし、魅了防止の装身具を作るのは、相当力のある熟練の魔術師じゃないと無理だって聞くけど、彼は確かまだ若干十五才……凄いな。もう自分で作れるのか。
「代金は?」
「そうだね。出世払いでお願い」
オスカーがにこにこと笑う。
アルベルトは彼の顔をじっと見つめた。出世払いって……もしかして、次期国王の僕の働きに期待してくれてるとか? まさか、ね。でも、今回はありがたく受け取っておこう。魅了防止の装身具は非常に高価だ。今の僕ではとても払えそうにない。
「ありがとう、オスカー殿下」
「オスカーでいいよ」
アルベルトが首を傾げると、
「君っていつまでたっても堅苦しいね。まぁ、貴族なんてみんなこんなもんだと思うけど、君の場合はほら、同じ王族なんだからさ、もっとざっくばらんに。もうちょっと肩の力ぬいたら?」
「いえ、ですが……」
思わず口ごもると、オスカーが苦笑した。
「本当、君は真面目なんだね? 僕とは大違いだ」
「この不細工、また来たの?」
甲高い少女の声に振り返れば、侍女を連れたエレーヌがそこにいる。わざわざオスカーといる庭園までやってきて何の用だ? アルベルトの眉間に皺が寄った。
「いい加減にしないか、エレーヌ、彼はウィスティリアの王太子で……」
「ああ、もう。分かってるわよ、そんなこと。お兄様の小言は聞き飽きたわ。けど、ま、お兄様にはお似合いのお相手だものね? 邪魔するつもりはないわよ。似たもの同士よろしくやって頂戴」
ふふんと小馬鹿にしたように笑う。
「……エレーヌ、殿下に謝罪するんだ」
「嫌よ、なんでそんな真似しなくちゃいけないのよ?」
エレーヌがぷいっとそっぽを向く。
「王女としての自覚をもう少し持てと、いつも言っているだろう。いくら陛下でもかばいきれないぞ?」
アルベルトの怒気に気圧されるようにしてエレーヌが数歩下がった。
「な、何よ、何よ、鞭打ちでもするって言いたいの? お兄様にそんなことできっこないわ! お父様はいつだってわたくしの味方なんだもの!」
「そうだね、なら、君が好きなソラリアのガトーショコラね、あれ、ウィスティリアからの輸入品だよね? 差し止めようか?」
そんな声が割り込み、エレーヌが固まった。見るとオスカーがにこにこと笑っている。エレーヌの頬が引きつった。
「ピンポイントで君が好きなものだけ差し止めるって事でどう? 好きなおやつ、口に出来なくなるね?」
「あんたにそんな真似……」
オスカーが苦笑した。
「出来るんだけどなぁ。僕の権限強いよ? ま、こういったことってさ、横暴だからあんまりやりたくないんだけどね? さ、どうする?」
むくれてそっぽを向いたエレーヌに対し、オスカーが身をかがめた。困った子供を宥める時のそれだ。
「ほら、ごめんなさいは? 言いたい放題も大概にしないと、この先困るのは僕じゃなくて君だよ? アルが言ったように、陛下だって君をかばいきれなくなる。他国と軋轢を起こせば、クリムト王国自体が危なくなるんだからね?」
そこへエレーヌ付きの侍女が割り込んだ。
「あ、あのあの、申し分けございません! 私がエレーヌ王女殿下に代わって謝罪致しますので、どうかお許し願えませんか?」
「お願いします、どうかご容赦下さい!」
もう一人の侍女までもがそう言って頭を下げる。見ると、エレーヌに付いてきていた侍女二人が深々と頭を下げ、謝罪しているという有様だ。
「……もしかしていつもこんな感じなの?」
オスカーが呆れたように言うと、アルベルトが「そうです」と肯定する。あちゃーというようにオスカーが額を押さえた。
「装身具、身につけさせた方が良いよ、今すぐに」
アルベルトが頷き、侍女二人に青い指輪を手渡した。彼女達が指輪を指にはめると、不思議な事に大きかった指輪が縮小し、持ち主のサイズに合うように変化する。流石魔法の指輪といったところか。と、夢から覚めたような顔つきで、二人の侍女は顔を見合わせ、彼女達の顔が一気に青ざめた。
「さ、差し出がましいことを申しました!」
「申し分けございません! どうかお許し下さい!」
出過ぎた真似をした事に気が付いたのだろう、侍女二人が別の意味で平謝りだ。単なる侍女が貴人の会話に割り込むなど言語道断である。
「いいよ、気にしないで?」
あははとオスカーが空笑い。しょうがないなぁと言いたげだ。
「……ね、誰かもう一人いなかった?」
エレーヌがそんなことを口にする。そっぽを向いた顔が何やら赤い。
「もう一人?」
「そう。その……もの凄く綺麗な声の人がいたでしょう? 夜空に瞬く星を歌った人が。多分だけど、吟遊詩人がここにいたんじゃない? 紹介してよ」
アルベルトはオスカーと顔を見合わせる。
「夜空に瞬く星なら僕が歌ったけど?」
オスカーの返答にエレーヌが目を剥いた。
「この不細工が!?」
「エレーヌ!」
アルベルトが声を荒げ、オスカーが笑った。
「ああ、いいよ、アル。もしかして僕の歌が気に入ったの? 子供に人気だから、アルにも聞かせたんだ。もう一度歌おうか?」
エレーヌは言葉に詰まり、ぷいっとそっぽを向く。
「……いらない」
「本当にいらない?」
「いらないったら、いらない! よしてよ! あんたみたいな不細工の歌なんか聴きたくないわ! 耳が変になるわよ! 近寄られるのも嫌! あんたの存在自体が迷惑だわ! さっさと消えて頂戴! 目障りよ! 大体、何であんたみたいな不細工があんなに綺麗な声……ああ、もう、いいわ!」
侍女を連れ、その場を離れていくエレーヌの背を見送り、
「本当に申し訳ありません」
アルベルトが代わって謝罪する。もう既におなじみの光景だ。何度となくエレーヌを叱責し、そして何度こうしてオスカーに謝ったか分からない。
「まぁ、あれだと確かに問題だね」
オスカーがぽつりとそう言った。
「僕の前でだけなら良いけれど、彼女の場合、どんな時でもあれでしょう? あれじゃあ、外交の場になんか連れて行けないじゃない。もうちょっと何とかしないと、軋轢の元になるよ。本当、フェリク国王の妖精びいきも考えものだね。若い頃、妖精に恋したってのもあながち間違っていないのかな? だからああやって彼女を甘やかす」
そんな話は初めて聞いた。
「そりゃ、王妃の手前、ここでは言わないでしょ? その時の恋は実らずに、ずっとその妖精に囚われているって話だよ。真偽は定かじゃないけど、ね」
オスカーが言う。
「ね、ソラリアのガトーショコラ差し止める? 反省を促す意味でどう? まだ子供だから少しは効果あると思うけど」
「それをやると、多分、他の人間にとばっちりがいきます。当たり散らして、手が付けられなくなる」
その返答にオスカーはため息を漏らした。
「……先にフェリク国王をどうにかしないと駄目なのか。君も本当、大変だね。じゃあね、アル。僕、今日はもう帰るよ」
「え? もう?」
「そう、こっそり城を抜け出してきたからね? 仕事がまだ山積みなの。あれ、見つかる前に戻らないとまずいんだ。今回のはね、正式な訪問じゃない。きっと陛下も僕がここにいるって知ったら驚くよ」
え? あれ? じゃあ、もしかして……。
「だってねぇ、正式な使いを出すとさ、いろいろと大げさになるじゃない? 毎度毎度あれはちょっとね。だから今回は単なる使者って扱いで入れてもらったんだ。ここにいる僕は、ウィスティリアからの使者ってことになってる」
いや、でも……どうやって門番や陛下の目を誤魔化したんだろう? アルベルトはそう思わずにはいられない。オスカーの容姿はかなり特徴がある。美しいとはまた違った意味で、だが。要するに目立つのだ。印象に残りやすい。使者だと偽ったって、周囲の目は誤魔化せないような気がするのだが……。
そう思っていると、彼の姿が目の前ですうっと変化した。目にしたのは凡庸な顔立ちの若者だ。一般市民に紛れれば、うっかりそのまま見過ごしてしまいそうなほど特徴が無い。
「オ、オスカー?」
つい驚きの声が漏れてしまう。
「何? アル?」
笑う顔は別人だが、声は彼のままだ。エレーヌでさえ聞き惚れるほどの美声。オスカーって本当、いろんなところがちぐはぐだ。暗そうに見えるのに明るいし。外見の印象からしゃがれ声かと思えば、うっとりするほどの美声って……。
「もしかして魔術ですか?」
「そう。いつもこうやって姿を誤魔化すの。これだと誰も僕だって気が付かない」
そりゃそうだろう。この姿ですれ違われたら、この僕だって分からなかったに違いない。
「じゃあね、アル。また来るよ」
「あ、オスカー殿下! 城門までお見送りします!」
見送りもなしに送り出すわけには行かない。使者に扮しているとは言え、彼はれっきとしたウィスティリアの王太子なのだから。そう申し出ると、オスカーの扮した凡庸な男が足を止め、苦笑した。
「いいよ、今の僕は単なる使者だって言ったでしょう? 君が来たら大げさになっちゃうもの。けど、オスカー殿下って……さっきはオスカーって呼んでくれたのに。もう戻っちゃうの?」
「え? あ……」
そうだ、さっきは驚きすぎて、つい呼び捨てに……。
立ち去る彼の背を眺め、再び声を張り上げた。
「オスカー、道中気をつけて!」
そう言うと、彼が振り向き、笑ったような気がした。
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