第3話

 いや、エレーヌだけじゃない、周囲を飛び交っていた小妖精フェアリー達も逃げていき、その場から姿を消した。アルベルトはその光景を目にして、あっけにとられてしまう。もしかしてこれって、妖精が嫌がる音、なのか?

「エレーヌ王女殿下?」

 慌てた侍女が、地面に寝転がっているエレーヌを抱き起こすより早く、彼女はがばっと起き上がり、

「止めてよ! この不細工!」

 そう叫んだ。うわっ! ウィスティリアの王族に向かって何て暴言を! アルベルトは慌てるも、当のオスカーは気にした風もなく、のんびりと言った。

「もう部屋に戻ったら? 君臭い。鼻曲がる」

 え? しんっと静まりかえった。先程まで泣きわめいていたエレーヌでさえ、ぽかんと口を開けている。こんな台詞は予想外だ。エレーヌは始終、花のような良い香りがしている。それが自慢だった。花姫なんて渾名が付くくらいで……。それが臭い? ありえない。

 エレーヌの綺麗なまなじりがつり上がった。

「臭いってどういうことよ!」

 エレーヌに詰め寄られても、オスカーの態度は変わらない。

「そのまんま。異臭だって気が付かないの? ああ、そうか。自分の体から臭ってるから分からないんだね? お風呂入ったら? とれないだろうけど」

 お風呂に入ってもとれないほど臭い……どうしよう。暴言なんだけど、笑っちゃ駄目かな? 何か、散々醜い醜い言われてきたせいか、ちっとも可哀想だと思えない僕って、性格悪い? エレーヌは涙目になって、ぷるぷる体を震わせ、

「ばかぁ! お父様に言いつけてやる!」

 そう言って駆け去った。言いつけても、多分、父上は何も言わないような気がする。ウィスティリアの王族だもの。エレーヌの背を見送りつつアルベルトはそう考える。

「……本当に臭いんだけどな。気が付かないんだ、あれ……」

 オスカー殿下がぼそりと止めの一言を呟いた。

 意地悪じゃなくて、本気でそう思ってたってことか?

「君は魔力持ちだよね? 臭くない?」

 オスカーにそう問われ、アルベルトは首を捻ってしまう。

「え? あー……僕は一応、その、良い匂いだと思います」

「ふうん? なら、魔力量で差がでるのかな? ほんっと鼻曲がるかと思った。僕って魅了魔法を全く受け付けないのかもね」

 魅了魔法?

「さっきの子の体臭、魅了魔法の一種でしょ? 香りで好意を植え付けるってやつ。まぁ、離れれば正気に戻るけど、やっかいだよね。飴持ってきたから配るといいよ」

 飴?

「これ舐めるとね、嗅覚が麻痺するから、彼女のような香りによる魅了魔法を遮蔽出来るんだ。はい、あげる」

 差し出された袋の中には白い飴玉がたくさん入っていた。ミルクのような甘い香りがする。じっと見入っていると、

「あ、君は食べなくても大丈夫だよ? 魔力持ちだからエレーヌ王女の魅了魔法にやられたことはないでしょ?」

 オスカーからそう説明される。

「……魅了魔法って何ですか?」

「精神に作用する魔法だよ。偽りの好意を植え付ける」

「偽りの好意? ということは、好きじゃないのに好きだって思い込まされるってことでしょうか?」

「うん、まあ、そんな感じ?」

「じゃあ、エレーヌの周りの人間が彼女に甘いのって……」

「うん、やられてるね?」

 オスカーがにこにこと言う。お願い、笑わないで!

「何とか出来ませんか!?」

 アルベルトが思わず涙目になれば、

「だから、その飴食べさせて?」

「なくなったらどうすればいいんですか?」

「うーん……ここ、魔術師いないんだよね?」

 オスカーの質問にアルベルトは頷く。

「魔術師じゃないとその飴、製造出来ないからなぁ。まぁ、どちらにせよ、この先ずっと嗅覚が麻痺しっぱなしってのはしんどいか………。後は、呪いをひっかぶせて異能ギフトそのものの効果を打ち消すって手もあるけど、おすすめはしないなぁ」

「呪い?」

「そう、呪いの力で異能ギフトの力を打ち消すの。この場合、人に嫌われるような呪いをひっかぶせるって感じ? でも、あくまで呪いだからね。綺麗に打ち消しあってくれるわけじゃなくて、力が複雑に絡み合って、妙な影響が出たりするんだよね」

 オスカーはしばし考えて、

「後は……そうだね、陛下や師匠と相談してからって事になると思うけど、魅了魔法を遮蔽出来る装身具はどう? 高価な物だから、全員に配るってわけにはいかないだろうけど、多分、国を運営する上層部になら、行き渡らせられると思う」

「侍女とかはそのまんまになるって事ですか?」

「まぁ、そこはしょうがない」

 その返答にアルベルトは目をむいた。

「エレーヌはこの先もずっと、もの凄く甘やかされちゃうって事ですよね?」

「……それ、性格だから」

「え?」

 オスカーの眉間にしわが寄る。

「あのね、魅了魔法は傀儡じゃないの。本人の意志を奪うものじゃない。何でもかんでも魅了魔法のせいにしないで欲しいな。好きになった相手を甘やかすのも、厳しくするのも本人次第でしょう? 好きだから甘やかすってのは、その人の性格だから。気になるなら、そういった人を探せば良い。きちんと分別ある人間なら、厳しくするはずだよ。好意を持った相手ならなおさらね」

 好意を持った相手を、人は必ず甘やかすわけじゃないと言う。まぁ、そうかも……。むしろ好きだからこそ、厳しくする人もいるはずだ。愛の鞭という奴だな。

「そう、ですね。分かりました」

「君、素直だね? 助かるよ」

 オスカーがあははと笑う。

 素直……なじみのない言葉だな。アルベルトはそう思う。どちらかというとひねくれていると言われる方だった。人の話の中の矛盾点を逐一指摘してしまうからか、理屈っぽいとか、ひねくれているとか言われてしまう。

 先程の場所まで戻ったところで、ふとアルベルトは気になって、弟の部屋の窓を見上げると、何と、雷のような光と音が走って度肝を抜かれた。振動したような気さえする。何だ何だ? 仰天するアルベルトの隣で、またまたのんびりとした声が割り込んだ。

「あ、強制召喚された妖精が抵抗したんだね? やめとけばいいのに。師匠が落とす雷って、まともに喰らうと黒焦げになるんだけどなぁ。抵抗すればするほど酷い目にあう。ま、いいのか。妖精だもんな」

 かなりどうでもいいらしい。いいのか?

「この不細工! 何でここにいるのよ!」

 エレーヌの暴言にアルベルトは肝を冷やされる。

 この日開かれた晩餐会での出来事だ。ウィスティリアの貴人をお招きしていると言うことで、料理人が腕によりをかけ、豪華絢爛な晩餐会が開かれたのだが、陛下と王妃が顔を見せているその場で、エレーヌがさっそくやらかしてくれた。オスカーの姿を目にするなり、彼女がそう言い放ったのである。

 そう、かの魔術大国ウィスティリアの王太子に向かってだ!


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