第39話

「殿下の姿が、城内のどこにも見当たらないそうなんです」

 モリーの言葉に、どきりと私の心臓が跳ね上がる。今日、オスカーは何をしていたんだっけ? ああ、そうだ、エレーヌ王女の行動を見張るとか言っていた。何かを企んでいるみたいだから、それを探る必要があるって……そこで何かあったんだろうか?

 モリーの言葉が続く。

「急ぎの用事があっても会えないらしくて、ますます怪しいって話になっていて……一体どうなっているんでしょう? 事実を知っている者達が、必死で事実を隠しているような気もするんですよね」

 私が立ち上がると、モリーは慌てたようだ。

「あの、妃殿下? どちらへ?」

「宮廷魔術師長さんのところに」

 どくどくと高鳴る心臓を押さえ、必死で平静を装った。

 オスカーのお師匠さんのクレバー・ライオネットさんは、警備の要だ。この城の防備を司る者達の司令塔でもある。ありとあらゆる情報が彼の所に集まるのだから、オスカーの異変はもうきっと知っているに違いない。

 城の廊下を足早に歩いていると、

「嬢ちゃん、どうした?」

「スカー……夕闇の魔女さん」

 モリーが付いてきているのを確認し、慌てて言い直す。私を呼び止めたのはスカーレットさんだ。

「オスカーがいなくなったって聞いて、それで……」

「ああ、それな。別に心配いらない」

 え?

「ピンピンしてるよ。ただ、しばらく帰れそうにないから、嬢ちゃんに知らせてくれって頼まれた……っていうか、一方的に言って通信切りやがった。まったく……あたしは使い魔じゃないって何遍言えば分かるんだよ、あいつは。いっぺんぎゃふんって言わせちゃる。あたしを怒らせると怖いんだよ?」

 随分とおかんむりだ。

「じゃあ、妖精隠しじゃない?」

「あん?」

「妖精隠しだって噂が飛び交ってるって……」

「ああ、違うね。その噂の出所、あの姫さんだから」

 え?

「エレーヌ王女が吹聴してるデマだよ。だから気にする必要なんてないね」

「でも、何でそんなこと……」

「オスカー殿下がいなくなった理由をでっち上げたんだろ? 探されたら困るってことさ。あの姫さんは真相を知ってるもんな」

 真相って……。

「オスカーは今どこにいるの?」

「多分、エレーヌ王女のところ」

 え? 私の顔がこわばったのが分かったのか、

「まぁ、本当、心配いらないよ? 今の状況はオスカー殿下がわざと作り出した状況だからね。相手の策略にのっかったふりをしているだけさ。事件解決したら直ぐ戻ってくる」

 スカーレットさんはそう言って、私の背中をポンポン叩いて慰めてくれたけど、部屋に戻ってからも心は晴れなくて、

「妃殿下、元気を出してください。夕闇の魔女様もああ言ってくれたことですし、本当、心配いりませんよ」

 モリーがそう言って慰めてくれた。

 だと、いいけれど……。

「オスカー殿下は稀代の魔術師様ですからね。例え妖精が掠いに来てもきっと返り討ちですよ。大丈夫です。直ぐに帰っていらっしゃいますよ」

 就寝の用意が済むと、モリーを含めた侍女さん達全員が退出し、しんっと部屋が静まり返る。寝台はひんやりと冷たくて、寂しさに一層拍車をかけた。

 こんな夜は結婚して以来初めてだった。だって、いっつもオスカーがいてくれたもの。仕事で遅くなってもここへ必ず帰ってきた。夜遅くまで私が起きて待っていれば、ごめんねと言って優しいキスをくれる。

 つい、気が付けばドアを見ている自分がいた。いつものようにドアを開けて、彼が姿を現すんじゃないかと期待して……。でもそんな様子は全然なくて、どれくらいそうしていただろうか、ようやっと私は諦めて寝台に潜り込む。

 寝台の冷たい感触に泣きそうになっていると、ふわりと柔らかな感触が頬に当たった。天竜さんだった。私と一緒になって寝台で丸くなる。可愛い。ぎゅっと抱きしめれば、大丈夫とそんな風に言われたような気がした。

 天竜さんの温かい感触でうとうとするも、甲高い子供の笑い声ではっと目を覚ます。

『もう帰ってこないよ』

 誰かが言う。

『そうそう帰ってこない』

『あの綺麗な人はエレーヌのものになったんだものね?』

 エレーヌ王女殿下?

 私がはっとなって目を覚ませば、空中を飛び回っていたのは、多分、妖精さん。羽を持った小妖精フェアリーだろう。でも、何だろう? こうやって見ると、不気味な気がするのは何故なのか。妖精は綺麗だ。こうして暗闇の虚空を舞っていても、ぼんやり発光していて美しい。なのに、怖気がする。

 この感覚は妖精姫の時にも感じたものだ。美しいのに怖い、そんな感じである。

『残念、残念』

『もう帰ってこないよね』

『そうそう』

『あの綺麗な人は永遠にエレーヌのもの』

 心臓がどきんと跳ね上がる。心配いらない、スカーレットさんはそう言ってくれたけど、でも不安が大きく鎌首をもたげてくる。心配いらない……本当に? だって、オスカーは一度妖精姫に浚われている。もう一度あれが起こらないなんて誰が言えるだろう?

「綺麗な人ってオスカーのこと?」

 私が恐る恐るそう問えば、一層大きな笑い声が響いた。

『そうだよ? それ以外誰がいるのさ?』

「帰ってこないって……どうして?」

『妖精隠しだよ』

『そう、妖精隠し』

『永遠にエレーヌのものなんだ』

『永遠にね』

 複数の笑い声。

「うそ……」

 そう呟いた私の声を拾ったようで、

『嘘じゃないよ』

『そう嘘じゃない』

 小馬鹿にするようなくすくすという笑い声があちこちで起こる。

『本当の事だよ』

『本当の事』

『君、嫌われたんだよ』

『そう、嫌われたんだよ』

『不釣り合いだものね?』

『そう、不釣り合い』

『エレーヌの方がお似合いだよ』

『身の程知らず』

『出しゃばりだよ』

『いなくなれば良いのに』

 うぉん!

 衝撃波のような耳をつんざくような音が響いたのはその直後のこと。きいぃ! という悲鳴は小妖精フェアリーさん? 二度と来るな! この無礼者め! そんな声を聞いたような気がした。見ると天竜さんが発光している。まさに発光だった。それも威圧するような神々しさに唖然となる。昼間見たようなふわりとした優しい輝きとは打って変わった威厳あるもの。

 気が付けば、部屋は静寂を取り戻していた。寄り集まっていた小妖精フェアリーさん達は影も形もない。追い払ってくれた、のかな?

「ありがとう」

 私がそう言うと、慰めるように天竜さんが身を寄せてくれた。ふわふわして温かい。こぼれた涙を舌で舐め取ってくれた。泣かないで、そう言われた気がして、無理矢理笑う。天竜さんを抱っこして寝たけれど、不安と緊張で何度も目が覚める。その繰り返しで、翌朝、いつものように身支度をしに現れた侍女さんにびっくりされてしまった。

「酷いお顔です、妃殿下……」

 泣きはらして腫れた目を冷たいタオルで覆ってくれた。

「あんの、くそったれ!」

 私の顔を見て、そう叫んだのはスカーレットさん。オスカーに負けないくらい彼女の言葉遣いは荒っぽい。スカーレットさんは、元辺境伯爵令嬢だって聞いたけど……うーん、一体どこでこういった言葉を覚えたんだろう?


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