第38話

 ここは城の裏庭だ。ずっと向こうまで続くアーチ状の緑に、黄色とオレンジの花が咲き乱れている。とっても綺麗。お城の庭師さんって、ジョージを含めてみんな腕が良いよね。私のお気に入りの散歩コースだ。

「こら、ジョージ! 妃殿下を愛称呼びするとは何事だ!」

「いってぇ!」

 傍で花の手入れをしていた庭師のお父さんに殴られて、ジョージが頭を抱えてうずくまる。体格の良いお父さんだ。彼のげんこつって結構痛そう。

「えー、でも、今更、妃殿下なんて違和感ありまくりだよ。ビーでいいじゃん、こんな所じゃ誰も聞いてないよ」

 ジョージが私に向き直る。

「だったらさ、使用人全部を祝福して回るってどうだ?」

 え? 全部?

「そ、全員。きっとみんな喜ぶ。鼻が利かないと飯がまずくてしょうがないんだよ。きっと飴を食べてる連中、俺と同じように、今の状態に辟易してる」

 ジョージに連れられてあちこち回ると、確かに喜ばれた。鼻が利かないって、もの凄く嫌だったみたい。ご飯が美味しくないって、ジョージと同じ事を言う。

「ありがとう、妃殿下。助かりました」

 お城の使用人さん達がそう言って笑う。

 そんな感じで一日があっという間に過ぎてしまった。

 私は皆に喜んでもらえた事が嬉しくて、そういった事を夕食の席でオスカーに報告しようとしたけれど、残念ながらオスカーはその場には現れず、エレーヌ王女も姿を見せなかった。エレーヌ王女はどうやら体調を崩したらしい。

 今回は他国の貴人をお招きした晩餐会だったので、卓上には素晴らしい料理の数々が並んでいたけれど、オスカーがいない夕食は何だか味気ない。

 私がオスカーが座るはずだった横手の席に見入っていると、

「ごめんなさいね、トリクシー」

 そう言って謝ってくれたのは王妃様だ。

 王妃様は今では親しみを込めて私をトリクシーと呼ぶ。

「オスカーはどうやら仕事で忙しいらしいの。会えなくて寂しいわよね?」

「いいえ、そんな」

「まぁ、まぁ、本当にあなたはいじらしいこと。控えめで奥ゆかしいわ」

 王妃様は目を細めて笑い、どこか満足気に頷く。

「それに引き換え、あの妖精もどきときたら、よくもまぁ、ぬけぬけと……。図々しいにもほどがあるわね」

 そう言って王妃様は手にしたパンを優雅に千切る。

 そう、優雅だ。動きが洗練されているから、王妃様は貴婦人の名にふさわしい気品がある。そして全体的に色素が薄い。おっとりとして優しそうに見えるのに、時折酷薄な印象を受けるのはこの色合いのせいかもしれない。

「本当にまあ、礼儀知らずもいいところだわ。我が国には、もうこんなに素晴らしい王太子妃がいるというのに、ほほほ、オスカーに結婚の申し込みだなんて。おほほほほほ。離婚? あり得ないわね。うふふふふふ」

 王妃様、笑っているけど目が笑っていない?

「でも、トリクシー。安心して頂戴? あの無礼な妖精もどきには、ちゃあんとお仕置きをしておいたから」

 え? お仕置き? 王妃様がにっこりと笑う。

「綺麗なだけの頭空っぽな女ほど、腹の立つものはないわね。しかもあの甘ったるい香りの垂れ流し。花姫ですって? ほほほ、ああ、迷惑だわ。魅惑の香りなんて、人の神経を逆なでしてるだけだって、どうして気が付かないのかしら。他国に来るのなら、ああいった香りを抑えるのは、最低限の礼儀だというのに、それすら守らないなんてねぇ。あれならいっそ、悪臭にでもなった方がよっぽどお似合いよね?」

 ね? と、同意を求めるように微笑まれてしまう。王妃様もやっぱり綺麗だから、こんな風に微笑むと絵になるんだけど、もの凄く不穏な空気。

 エメット王子は固まってる? 反論……出来ないのかな? まだ若いからいろんな意味で迫力負けしているような……。

「おほほほほほ、トリクシーは今後、彼女に近づいては駄目よ? 多分、鼻が曲がるわ」

 王妃様の台詞に私は目を剥いた。

 え? それって、もしかして臭いってこと? エレーヌ王女が? ってことは呪い? 呪いだよね? 王妃様は若い頃、夕闇の魔女さんと陛下を取り合ったらしいから、王妃様もやっぱりこういった事が得意なのか。で、でも、それだと……。

「あ、あのう、その場合、エレーヌ王女の侍女さんとか、彼女の接待役の外交官さんとかが、もの凄く気の毒ではありませんか?」

 恐る恐るそう進言する。本人もそうだけど、彼女のお世話をする人達は逃げようがない。

「あら? それもそうね」

 王妃様がはたと気が付いたように言う。やる前に気付こうよ、王妃様。

「仕方が無いわね。大量のハエにたかられるくらいで勘弁して上げようかしら」

 大量のハエにたかられるエレーヌ王女様。

 ど、どうしよう。このままだと王女様がウ○コ扱いに……。

「お、王妃殿下、その、も、申し分けございませんでした! 何卒ご容赦を!」

 エメット王子が慌てたようにそう謝罪した。

 けど、王妃様の笑顔は超怖いままだ。

「あらあ? あなたに謝られるような事は何もされてないわねぇ?」

 本人が謝罪すべきと言わんばかりの圧力をかけてくる。エメット王子が恐縮して再度謝罪するも効果なし。その後、何とか悪臭も大量のハエも諦めてもらったけれど、やっぱり王妃様は怖い。見た目はおっとりとして優しそうなのにこれ。

 オスカー早く戻ってきて。そんな気持ちで自室に戻った後のこと。

「妖精隠し?」

 その夜、私はそんな言葉を聞かされ、青ざめた。

 妖精隠しとは妖精に浚われて、この世から忽然と姿を消してしまう人の事を言う。オスカーが妖精隠しにあったのだと、そう話してくれたのはモリーだ。夕食後のお茶を入れてくれながら、そんな噂が今、城内を飛び交っているのだと言う。


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