第11話

「お父様に促されてご挨拶されても、ずっと不機嫌そうで……。どうしてなのか気になって様子を見に行ったら、ぽつぽつと事情を話されて……。お母様を亡くされたんですもの。泣いても可笑しくはないと、そんな言葉しか、かけてさしあげられませんでしたけれど……」

 訥々とクラリスはそう語った。

 アニエスもその様子に気が付いて、慰めに行ったのだろう。あの時から、既に妹に負けていたという事に気が付き、クラリスは何とも言えない気持ちになった。今までの自分を馬鹿だと笑えば良いのか、それとも滑稽だと泣けば良いのか分からない。

 目の前のフロアでは、ビンセントとアニエスが踊っている。

 美しいと掛け値なしにそう思う。お似合いの二人だと。

 自分と違ってアニエスはダンスが得意で、人目を引く華やかさがある。その相手がビンセント殿下だと、さらにその美しさが花開き、周囲からはため息と、羨望の眼差しが注がれている。素敵ねぇ、そんな言葉が漏れ聞こえてた。

 ビンセント殿下は華やかなアニエスにお似合いの人だ。

 でもと、クラリスは思う。ビンセント殿下はアニエスではなく、自分を選んでくれたのだ。他の誰でもない今のこの自分を。わたくしの話を楽しいと言って下さり、アニエスに微笑みかけられても心を動かさなかった方。

 クラリスは大きく息を吸い込んだ。

 もう、吹っ切ろう。そう決意する。

 このままぐずぐずと吹っ切れるのを待つのではなく、今のこの気持ちごと、新しい一歩を踏み出して、ビンセント殿下にたくさん、たくさん話を聞いて頂こう。王立図書館で出会ったあの時のように、楽しい一時を過ごせたら、何かが変わるのではないかと、クラリスはそう考え、前方を真っ直ぐ見据えた。

 と、唐突に、横手にいたディオンに腕を引かれて、クラリスは驚いた。

 真剣な眼差しの彼と目が合う。

「……それ、湖の所で?」

 かすれたようなディオンの声に、クラリスは首を傾げてしまう。

「さっき、私の事が気になって様子を見に行ったと、そう言いましたね? クラリス王女殿下は、別荘近くにあった湖まで、この私を追いかけてきたんですか?」

 そう言ったディオンの目に浮かんでいたのは、戸惑いと焦燥の色。

「ええ、そうですけど?」

 クラリスはそう答えた。何故か身を引きたくても引かせてもらえない。ディオンに腕をがっちり掴まれているからだ。一体どうしたというのだろう?

「その時、ハンカチを私にくれましたか? イチゴの刺繍の入った奴です」

 クラリスは視線をそらした。

「あれは、その……イチゴ、ではなくて薔薇、だったんですけど……刺繍は昔から苦手で……」

 どうしても尻つぼみの口調になってしまう。恥ずかしかった。下手くそな刺繍だったにもかかわらず、子供だった自分は、そんな事実に気が付くことなく、堂々とあれを差し出したのだ。出来れば忘れて欲しい出来事である。

「いや……けど、あれはアニエスが自分の物だって……」

「え?」

「いや、それよりも確かにあの時、私は胸のつかえが取れて……心が洗われたようでした。あれはどうしてですか? 微笑みの姫君でないあなたがどうやって、私の心を軽くして下さったんですか?」

 クラリスは不思議に思った。自分の事なのにどうしてわからないのだろうかと、そう思ったのだ。

「それは、多分、大泣きなさったからではありませんか? 泣くと心が軽くなりますもの。悲しい時はおもいっきり泣く方がいいんです」

 クラリスがそう言うと、ディオンは慌てたようだった。

「な、なら、あの時、湖の畔で出会った少女はアニエスではなくて、クラリス王女殿下、あなただったんですか?」

 今更な質問にやはり首を傾げてしまう。

「え? はい、多分……」

「クラリス王女殿下、少々お話がございます。お時間よろしいですか?」

 話し途中で声をかけてきたのは、宮廷魔術師のノリス・グリークだった。一見大人しそうに見えるが、どことなく冷たい印象を受ける男でもある。眼鏡の奥から覗く眼光はやはり鋭く冷たい。

「お話?」

 クラリスが問うと、ノリスが頷く。

「ええ、ここでは何ですので、場所を変えましょう。ああ、それと、ダーナ様もご一緒にお願いします」

 ノリスの台詞にディオンは目を丸くした。魔術師が自分に何の用があるというのか。訝しげな顔をするディオンに向かって、ノリスが再度言う。

「お手間は取らせませんよ。直ぐにすみますから」

 有無をも言わせぬ口調だ。

 ディオンは思わず顔をしかめてしまう。彼はどうもこの男が苦手だった。礼儀正しいが、無愛想で何を考えているのか分からず、とっつきにくい。しぶしぶ二人揃ってノリスについて行けば、夜会会場にほど近い場所にある客間に案内される。

「グリーク殿? こんな場所で一体何を?」

 ディオンが不審そうにそう問うと、ノリスが杖を手に振り返る。

「単刀直入に言いましょう。あなた方お二人に結婚して頂きたいのです」

「はあ?」

 ディオンがあんぐりと口を開けた。クラリスもまた仰天する。一体何を言い出すのか……。ノリスが口にした内容は、とんでもないものだったが、彼はそれをまったく意に介していないようだった。自分に与えられた仕事を淡々とこなしているだけ、といった風である。ノリスが先を続けた。

「そんなに難しい事ではないでしょう? 元々お二人は結婚する予定だったとお聞きしました。それが元の鞘に戻るだけですので、さほど問題にならないかと……」

「問題大ありです!」

 クラリスが顔を真っ赤にして叫ぶ。

「ディオン様は妹の、アニエスの婚約者ですわ!」

「ええ、知っています。ですが、アニエス王女殿下があなた様から奪ったと、そう聞きましたが、違いますか?」

「だ、誰がそんなことを……」

 かなりの醜聞だ。吹聴されたらたまらない。

「ですから、元の鞘に収まるよう、私がこうしてお手伝い……」

「余計なお世話です! ディオン様、もう行きましょう! こんな所にいるだけ無駄ですわ!」

 ディオンの腕を引いてクラリスは歩き出そうとするも、彼は動こうとしない。

「クラリス、私はその……」

 何とも言いようのない顔で見つめられてしまう。

 何を迷っているのだろう? クラリスは彼の煮え切らない態度が理解出来なかった。ここは激怒するところでは? そう思わずにはいられない。好きでもない女と無理矢理結婚させられそうになっているのだから。

 ノリスが言った。

「ああ、申し訳ありません。あなた方に拒否は出来ませんのであしからず。ここで明日の朝まで、お二人でお過ごし下さい。いえ、多分、夜会が終わる頃には大騒ぎになって、強制的に婚約、結婚させられることになると思いますが」

「な!」

「若い男女が密室に二人っきりでいれば、そうなりますよね?」

 ノリスの杖が淡く輝き、急激な眠気に襲われる。

「良い夢を。王女殿下」

 そんなノリスの言葉を最後にクラリスは意識を失った。


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