第10話
夜会には精一杯着飾って出席した。
侍女のニーナも張り切ってくれ、昼の装いよりも数段、素晴らしい出来だったように思う。光沢のあるレモン色のドレスは、光が当たるとパール色に輝いて美しい。
「ようございました。クラリス様が元気になられて」
ニーナが装飾品で飾り立ててくれながら、そう言った。
「元気に……なっているように見える?」
おずおずとそう問えば、ニーナが破顔する。
「そりゃあ、もう。嬉しそうに、先程から口元が緩んでいますもの。お綺麗ですよ、クラリス様。がんばって、ビンセント殿下の心を射止めて下さいませ。私はどんな時でもクラリス様の味方ですからね。応援しております」
「ありがとう……」
ニーナはいつもこうして自分を励ましてくれる。優しく気立てのいい侍女に恵まれて自分は幸せだと、クラリスは心底そう思った。
夜会服に身を包んだビンセント殿下が姿を現すと、支度を手伝ってくれていた侍女達がざわめいた。クラリスにはその気持ちがよく分かった。本当に素敵だったから。
「綺麗だよ。よく似合っている」
ビンセント殿下が、目を細めてそう言った。彼の賞賛がくすぐったい。クラリスは差しだされた彼の腕に、そっと手を添えた。エスコートされて歩きつつ、今この一時だけでも、アニエスのように華やかで美しく見えますようにと、そう願ってしまう。
ビンセント殿下にエスコートされて会場に赴けば、やはり周囲の視線を一身に集めてしまう。彼と一緒にいると、目立たないでいることは無理なようだ。
素敵ねぇ……そんな声が漏れ聞こえた。お相手はアニエス王女殿下、かしら? そう問う不思議そうな声の後に、違う、眼鏡をかけているから、クラリス王女殿下だよ、えええ!? などと言う囁きも聞こえてしまう。
揃って父王に挨拶に行けば、喜んでくれた。
「娘をよろしく頼む」
「喜んでと言いたいところですが、まだ返事を頂いていません」
ビンセント殿下の言葉を聞いて、お父様が驚いたように言う。
「なんだ、クラリス。気に入らないのか?」
「いえ、決してそんなことは……」
父王がたたみかけた。
「好青年じゃないか。それどころか城の女達が騒いでしょうがなかったぞ? お前が羨ましいと皆が口をそろえて言う。良い縁談だと思うがな」
ビンセント殿下がやんわりと割って入ってくれた。
「陛下、私は彼女の意志を尊重したいと思います。気持ちの整理がつくまで、もう少し待ってあげてください」
その場を揃って離れながら、クラリスは礼を言った。
「ありがとうございます」
「君には笑っていて欲しいからね。それより、私と踊ってもらえるかな?」
ビンセント殿下のファーストダンスの相手に選ばれたのは嬉しかったが、クラリスは何とも言えない気持ちになってしまう。アニエスと違って自分はダンスが苦手だった。彼に恥をかかせるのではと危惧したのだ。
「大変光栄ですけれども、わたくし、ダンスはあまり得意ではありませんの」
淑女の嗜みと言われているダンスも刺繍も、クラリスは不得手だった。アニエスはどちらも得意だったが……。女らしくないと言われる所以でもある。
「大丈夫、私がリードするよ」
笑って、ホールの中央に連れて行かれてしまう。確かに彼のリードはとても上手くて踊りやすかった。下手な自分の踊り方に合わせてくれているのだと分かる。
「お上手ですのね」
そう言えば、
「まぁ、回数だけはこなしてきたからね」
ビンセント殿下が苦笑する。
「兄上は夜会に参加しても、挨拶回りが終わると、さっさと引っ込んでしまうんだよ。だもんだから、ご婦人方のお相手は、必然的に私って事になってしまう。文句を言いに行っても、君は体力が有り余ってるから構わないでしょって言われて、それで終わり。そういう問題じゃないのにな。兄上のおかげで、私はダンスがやたらと上手くなってしまった」
ぼやく彼の様子がおかしくて、ついくすくすと笑ってしまった。
「お兄様が? やはりダンスが苦手なんですの?」
「いや、そんな事はない。練習で何度か見たことあるけど、綺麗な踊り方だったよ。どうしてああなんだか本当、分からないな。人見知りってわけでも、社交が苦手ってわけでもないのに。まぁ、あと少しで婚約者も社交デビューするから、その時は踊らないわけにはいかないだろうけど」
「お兄様のお相手はどんな方ですの?」
興味が湧いてそう尋ねると、
「そうだな……可愛い子だよ。貴族にしては珍しいくらい純粋で素直だ。勉強熱心だから、君とも話が合うかもね」
そう答えてくれた。
「まぁ、それは是非お会いしたいですわ」
「なら、一度遊びに来ると良い。招待するから」
話に夢中になっていて、思わず転びそうになるも、彼がそれを支えてくれた。いや、そのままふわりと回転させられてしまう。ドレープをたっぷり含んだドレスが花のように翻り、背中に羽でも生え、空を舞ったかのようだった。ダンスを楽しいと感じたのは、この時が初めてかもしれない。
「やはり君は笑っている方が良い」
そう言ったビンセント殿下の微笑みが眩しくて、まるでそこだけ時が止まったかのようだった。引きつけられて目が離せない。いつまでもこのままでいたい、そんな気にさせられてしまう。
踊り終えれば、待ち構えていたように貴婦人達に取り囲まれてしまった。やはり凄い人気だ。ここぞとばかりに、たくさんの女性が自分を売り込んでくる。
「ビンセント殿下、次はわたくしと踊って下さいませ」
「わたくしとも是非!」
そこへ割って入ったのがアニエスだ。
「ビンセント殿下。わたくしともお願いしますわ」
優雅な仕草で手を差し出した。流石に王女の登場では、他の貴婦人達は引かざるを得ない。ビンセントに手を引かれて、ダンスフロアへ入っていく二人の背をクラリスが見送ると、ディオン・ダーナが横手に並んだ。
「気にならないのですか? 彼はあなたの婚約者なのでしょう?」
「まだそうと決まったわけでは……」
どうして接近を許すのかと、ディオン様に責められているような気がして、俯いてしまう。ディオン様はいつになく苛ついているようで、
「私はあなたとよりを戻すつもりはありません」
はっきり言い切られてしまう。何と言えば良いのか分からない。
ディオン様はこんなに意地悪な方だったろうか? 振られたのは、裏切られたのは自分の方なのに、どうしてと思わずにはいられない。
そんなことは言われなくても分かっていますと、クラリスは小さな声でそう呟く。婚約の申し込みを無かったことにされて、妹の身代わりにされ続けたのだと、嫌というほど思い知ったのだから。
いや、本当なら、ディオン様からの贈り物が、妹の好みの物ばかりだったという時点で、気が付くべきだったのだ。鈍すぎる自分にも腹が立つ。
「アニエスは初恋の人なんです」
彼は唐突に言った。
「一度は諦めたけれど、今では彼女のいない人生など考えられません。アニエスは素晴らしい女性だ。彼女といると心が安らぐんです。彼女の微笑みを目にするだけで、気持ちが明るくなる。あの時もそうでした。十一才の夏、母を亡くしたばかりの私は、酷く落ち込んでいて……ビルト領の別荘地で、初めて彼女に会った時の事は、今でも鮮明に覚えています。母を亡くして落ち込んでいた私を、アニエスは一生懸命慰めてくれたんです」
ディオンのその言葉で、クラリスはふと思い出す。
ビルト領の別荘地で、ディオン・ダーナと初めて出会った時の事を。
「そう言えば……あの時のディオン様は、泣きたいのをずっと我慢なさっていたんですわね? 家訓で泣けなかったとかで、幼いながら必死で耐えていらした」
クラリスがそう言うと、ディオンはびっくりしたようだった。驚いたような彼の眼差しがクラリスに向く。
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