第12話
――お姉様とディオンの二人は思い合っているの。そんなこと知らずに、わたくしったら、ディオンと婚約してしまって……。ね、ノリス、協力してちょうだい。あの二人をどうしても結婚させてあげたいのよ。
アニエス王女殿下は、しおらしい態度でああ言ってはいたけど、本当の所はどうなんだか……。ま、嘘でも本当でも、私はどちらでもかまいませんがね。
ノリスは馬鹿馬鹿しいというように息を吐き出し、グラスにワインを注ぐ。
夜会はまだ続いていたが、出る気にはならない。貴族同士の腹の化かし合いなど、好きなだけすればいい。自分は研究さえ出来ればそれでいいのだから。
「目的は何?」
唐突に声をかけられて、ノリスは手にしたワイングラスを取り落とす。振り返れば見知らぬ男がそこにいて、こっちをじっと見下ろしていた。ここにいるのは自分一人だったはず……どうやって侵入した? ここは城の中の自室だ。当然警備も厳しい。
ノリスは男の様子を観察する。
簡素な衣服を身にまとった中肉中背の凡庸な顔立ちの男だ。町中を歩いていれば、他の人間に溶け込んで印象に残らない、そんな風情である。
「どうしてクラリス王女殿下と元恋人を一緒に閉じ込めたの?」
誰だ、お前……不法侵入者が、まるっとその不可解さは無視か? そう思うも、ノリスは途中で気を変え、肩をすくめた。自分は魔術師だという自負から、目の前の男を驚異だと見なさなかったのである。いつでも排除できる、そんな余裕があった。
「ああ、それなら、頼まれたから、ですよ。両思いのあの二人を是非結婚させてあげたいと、奇特な方が申し出まして」
落として駄目にしてしまったグラスの代わりを取り出し、新たなワインを注ぐ。
「ふーん? 両思い、ねぇ。クラリス王女殿下は嫌がっていたようだけど?」
グラスを口元へ持って行ったノリスの動きが止まる。
「……見ていたんですか?」
「見張っていたからね」
「魔術で?」
「そう」
ノリスは男の様子を観察し、次いで、ふんっと鼻を鳴らす。男は杖を持っていない。ざっと見たところ杖代わりの装身具もないようだ。杖がなければ魔術が使えないというわけではないが、その利便性から、杖を持たない魔術師はいない。
「杖なし風情が……」
ノリスがそう吐き捨てる。
魔術師と呼ばれる存在は、魔力持ちの中でも「地水火風空」の五大元素全てを扱える無属性の魔力持ちの事を指し、それ以外の魔力持ちは、火術士、風術士、水術士、土術士、治癒術士、結界士、付加士、あるいはビンセントのように魔法剣士など、持っている魔力の特性に従って、細かく分類されていく。
そして魔術師が杖を所持するのに対し、「杖なし」とは杖が意味を成さない特化型魔力持ちを侮蔑する、魔術師の特権意識から生まれた差別用語だ。
凡庸な顔立ちの男に扮したオスカーが笑った。
「随分と傲慢だなぁ。器用貧乏って言葉知ってる? 魔術師ってだけで、いい気になってると、足をすくわれるよ? まぁ、いいや。さっきの質問に戻るけど、あの二人をくっつけて君に何の得があるの?」
オスカーがそう問うと、ノリスは肩をすくめた。
「別に? 頼まれたからと言ったでしょう? あの二人がくっつこうが別れようが、私には何の関係もありません。強いて言えば、金、ですね。礼金を随分と弾んでくれました」
「お金? 魔術師なんだから君、破格の給金もらってるでしょ?」
「金はいくらあってもいいものですよ」
ワイングラスを掲げ、ノリスは笑う。
「お金のためなら、陛下の不興を買ってもいいってこと?」
ノリスはオスカーの言葉を一蹴する。
「依頼者はアニエス王女殿下だ。陛下も何も言わないでしょうね」
「ふうん? アニエス王女殿下、ね……。あの王女様は本当、一体何を考えているのやら……。姉の恋人を寝取ったかと思えば、今度はこの行動……。ビンセントに気があるようだったから、乗り換えようって事かな?」
「さあね。それこそ、どうでもいいことです」
オスカーが不愉快そうに眉をひそめた。
「どうでもいいって……それも何か腹立つね。君のせいで僕の弟が不幸になるところだったっていうのに……」
「弟?」
ノリスが聞き返す。
「そう、僕の弟。クラリス王女殿下に懸想してるからね。無理矢理さっきの男と結婚なんてさせられるのは困るんだ」
ノリスが意地悪く笑った。
「困る、ね。で、どうするんですか? あの部屋は私の魔術で施錠しました。アニエス王女殿下でなければ開けられませんよ?」
「ああ、そういや誰かに反応するような仕組みだったね?」
オスカーが笑う。ノリスは眉をひそめた。自分が施した魔術の仕組みを理解した? 魔術師でもないのに? まさか、ね……。
オスカーが先を続けた。
「ってことは、アニエス王女殿下が、あの二人を発見する予定なの? 誰かを連れて行けばいいってことか……その役目、ビンセントかな? 浮気現場をみせつけて破談にもってこうって腹か。よくやるよ、まったく……」
「ところで、あなた、ここからどうやって出て行くつもりですか?」
ノリスがそう問えば、オスカーがあっけらかんと答えた。
「ん? ドアから普通に出て行くかな」
「私が不法侵入者を逃がすとでも?」
「入ってきたのにも気が付かなかったのに?」
僕を止められるの? オスカーにそう揶揄されて、ノリスは口ごもる。そう言えば、こいつはどうやって侵入した?
オスカーが言う。
「ああ、そうそう、今回は見逃すけど、次はないからね? この先またクラリス王女殿下にちょっかいをかけたら、僕が報復に来るって忘れないで?」
ノリスはふんっと鼻を鳴らした。
「はは、杖なし風情が、魔術師をどうこうできるとでも?」
「その考え方、本当、どうにかした方がいいと思うけどね? 今、身をもって知りたい?」
ノリスはオスカーの目を見返し、
「……この私とやり合うと?」
「必要ならね」
「この、杖なし風情が!」
ノリスは腹を立てた。馬鹿にされるのは気に食わない。ノリスは魔術師として優秀だという自負があり、それ故、冷静なようでいて激高しやすい性格でもあった。
杖をどんっと床に打ち付け、捕縛の魔法を発動する。
床から蜘蛛の巣状に魔力の糸が伸び、男に絡みつく、筈だった。それが綺麗な円形を描いて、オスカーを避けて通ったのだから驚きだ。ノリスはあんぐりと口を開ける。不発? いや……もう一度やっても結果は同じで、ノリスは目をむいた。やはりオスカーを避けるように周囲に魔術が広がる。
焦ったノリスは、別の魔術を発動させようと杖を振り上げた。
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