第6話

「少し休憩にしない?」

 そう言って、淑女教育の合間を縫って顔を出したのは、ビンセントだった。彼も最近はこうしてよく顔を出してくれる。兄弟そろって親切なんだなとそう思う。性格はオスカーの方が明るくて大らかだ。ビンセントは真面目で堅い感じがする。

「美味しい?」

 持ってきてくれたお菓子を口にすると、ビンセントがそう言って笑う。

 笑った顔は、絵に描いたような王子様だ。見惚れる女の人も多いように思う。もしかして、オスカーも本当はこんな感じ、なのかな? そう思ったら、何だかものすごく迷惑をかけているような気がして、自然と下を向いてしまった。

 オスカーは性格美人だ。

 これでビンセントみたいな顔立ちだったら、絶対もててただろうし、自分なんか歯牙にも引っかけていないような気がする。しかも、自分が婚約者という立場に収まっている以上、彼は別の相手を選べない。

 オスカーは私に好きな人が出来たら婚約解消すると言っているけれど、私に好きな人が出来なかった場合、どうするんだろう?

 でも、このまま婚約者という立場でいるわけにもいかないし、何よりオスカーが気の毒だ。彼の方が先に好きな人が出来た場合、どうみても自分はお邪魔虫にしかならない。その時は、適当に好きな人が出来たと言って、婚約解消かなぁ……そんな考えにどんよりしていると、

「美味しくなかった?」

 ビンセントの声ではっと我に返った。

「いいえ、とっても美味しいです。どうもありがとうございます」

「あはは、そんなに緊張しなくてもいいよ。普段通り話してくれていい」

 丁寧な言葉でお礼を言えば、それは必要ないという。

 でも、淑女教育の中では、ビンセントのような身分の人には、無作法な真似は絶対してはいけないと教え込まれた気がする。

 しかも……ちらりと見ると、ビンセントと必ず目が合う。こっちを見てるってことだよね? もの凄く恥ずかしい。

「どこが気に入ったのかなぁ……」

 そんな言葉を耳にして、思わず顔を上げてしまう。

「いや、君がいい子だってのは分かるよ? 貴族社会でこれだけ裏表のない子って本当に珍しい。それに地位的に釣り合っていないわけじゃない。でも、リンデル侯爵家より、隣国の姫と婚姻した方が利があるんだ。なら、婚約したのは、君を気に入ったからってことになるだろ? だから、正直言って戸惑ってる。どうしてこんな子供をってね。兄上はロリコンじゃなかった筈なんだけどなぁ……」

 私を気に入ったからじゃなくて、気の毒な状況を見かねて、なんて言ったら、やっぱりビンセントは怒るのかな?

「兄上って、女性に興味を示さないんだよね。舞い込んでくる縁談片っ端から断るし、言い寄ってくる女性に見向きもしない。まぁ、下心丸見えの女性なんて、相手にしたかないのかもしれないけど、それにしたって関心なさ過ぎだよ。一時は男色の気も疑ったけど、それも違うみたいだし……」

 男色? 私が首を傾げると、

「あ、今のなし。君に変なこと教えると、僕が兄上から説教食らうからね?」

 ビンセントは笑ってごまかした。聞いちゃいけないことだったらしい。

「ビンセント殿下はお兄様の事がお好きなのですね?」

 私がそう聞くと、ビンセントは頷いてくれた。

「ビンセントでいいよ。兄上の事もオスカーって呼んでるんだろ? うん、兄上の事はもちろん好きだし、尊敬してる。これであっちこっちふらふらせず、王座を継ぐ意志をみせてくれればいいんだけどな。ま、でも婚約したんだから、一歩前進かな。跡継ぎだって自覚が少しは出たのかもね」

 駄目だ、目を合わせられない。偽の婚約だなんて言ったら、やっぱり怒られそう。オスカーも小言食らうって予想して、ビンセントには言わなかったのかな? 確か王様と王妃様は知ってるんだよね? でも、オスカーの呪いの事もあの二人は知っているから、特には反対しなかったのかも。

「楽しそうだね?」

 見るとオスカーが立っていて、

「オスカー!」

 私は勢いよく立ち上がるも、はっとなる。大声を上げるのも、こんな風に勢いよく立ち上がるのも良くないって教わった。慌てて姿勢を正す。

「オスカー殿下、ご機嫌麗しゅう。せっかくですからお茶をご一緒に如何ですか?」

 そう言って、淑女の礼をすると、

「あはは、よく出来ました。ビーは本当に物覚えが早いね。でも僕と二人っきりの時はそんなに肩肘張らなくてもいいんだよ? いつもの君でいてくれていい」

「ビンセント殿下がいらっしゃいますが……」

 私がそう言うと、

「君も目をつぶってくれるよね?」

「仰せのままに……」

 ビンセントが優雅な礼をしてみせる。次いで、くすくすと笑った。どうやら了承してくれたらしい。本当にいいのかな? 二人の顔を交互に見た後、椅子をずりずり引きずって、オスカーの隣に持って行って座ると、ビンセントに笑われた。

「あはは、君は本当に兄上が好きなんだね?」

 ここが一番落ち着くからと、そうもそもそ口にする。実際ここが一番落ち着く。オスカーの隣って何か安心できるんだもん。

「兄上、十年後に期待ですね?」

 ビンセントが意味ありげに笑う。

「そうだね。それまで大切に愛を育むよ」

「じゃあ、本腰を入れて例の治療……」

 オスカーが明後日の方を見る。

「ああ、いい天気だねぇ。僕に恥をかかせようとする意地悪な弟は、どこかへ行ってくれる?」

「兄上、またそんな……」

「ビーのいる前でそういった話はしない」

「分かりましたよ、もう」

 不承不承引き下がる。口うるさくても、基本、ビンセントはオスカーに頭が上がらないらしい。ビンセントが身を乗り出した。

「そうだ、兄上、愛しの婚約者に例の幻術を見せてあげたらどうですか? ご婦人方には人気だ。きっと喜ぶんじゃないかな?」

「ああ、あれね。確かに幻術は僕の得意技だけど、ビーに見せてもねぇ……。ちょっと意味ないかな。だから、こっちにしようか?」

 オスカーの骨の指が、ティーカップの縁に触れると、紅茶の水が跳ね上がって、シャボン玉のようないくつもの球体になり、ふわふわと宙を舞った。日の光が当たると虹色に輝いてとても綺麗である。私が喜んで手を叩くと、

「そう言えば、君はどんな魔法を使えるんだ?」

 ビンセントにそう問われて、背筋が凍った。


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