檜木 ひなた

 今日、俺が就職した会社が潰れた。


 俺は山崎敏隆。37歳である。



 俺には家族がいる。妻とは結婚9年目で、息子は小学2年生になる。

 だが、遠いところに住んでいる。離婚した訳では無い。ただ俺が単身赴任しただけだ。

 息子は当たり前だが俺に懐いている。土日には家族の元へ帰るのだが、難しい問題の解き方を教えたり、クラスでは流行っているテレビゲームを一緒にやったりする。

 妻は3歳年下で、出会った時から一目惚れだった。結婚する前は小学校の教員だったのだが、怒ると恐ろしいことで有名だった。然し、そんな噂とは裏腹に、彼女はいつも優しい笑顔をくれる。かけがえのない笑顔だ。

 家に帰ると二人から春の陽気の様なものを感じる。それが心地良くて仕方がないのである。


 だが俺らの生活はずっと綱渡りである。

 会社は所謂ブラック企業というもので、俺を家族から引き離した上、給料が雀の涙程度しかなかったからだ。あんな会社、潰れてしまって清々するが、金が入らなくなるのは危機だ。何とか職を見つけなければ。


 今日起きたことを受け入れられないまま、居酒屋やキャバクラの多く立ち並ぶ汚い歩道を歩く。

 まだ妻には打ち明けていない。きっと後で散々叱られるというのはわかっているのだが、彼女には心配かけさせたくないのである。

 

 酔っ払い達がよく現れる時間帯で結構な立場だろうか、貴金属で丸々肥えた体を飾り付けた風態の男が道端で眠っている。

 これは二度とないチャンスだ。奴の懐から財布を盗めば、当分の間は家族を養えるだろう。

 俺は迷う。もし盗ってしまったら俺の警察行きは確実だろう。だが甘い蜜の味に惑わされ、男の懐に手を伸ばす。


 その時、男の仲間だろうか。同じような風態の奴らが此方へ歩いて来た。

 俺は慌てて懐から手に触れた物を抜き取る。

 そして俺は夜道を駆け、家族のいない、古びたアパートの一室にある俺の居場所へと帰っていった。



 一体、此れは何なのだろうか。

 英国紳士が持ち歩いていそうなステッキのような物が俺の手の中にある。だが大きさはリカちゃん人形に持たせられるような大きさで、金目のものではない。

 

 然し此れは良い結果なのだろう。

 何故なら此れは男が持っていた物ではなく、以前から道に落ちていた物だと察しがつく。

 だから俺は物を盗んでなどはいない。

 手に職をつけさえすれば家族の泣き顔を見なくて良いのだ。

 俺は安心して浅い眠り着いた。


 翌日、早くに目が覚める。

 昨晩、男から盗んだ“杖”を眺めた。

 今日、拾った所にまた置いていけばいい。

 

 俺は上機嫌になってマジシャンが奇術を使うかのように安物のローテーブルを例の“杖”でコツンと叩く。

 

 すると、俺の眼に今まで映らなかった光景が、今起こったのである。


 其処に在ったローテーブルは無くなっていたのだ。

 其れの代わりに、千円札が五枚と百円玉が四枚落

ちていた。


 俺は疲れているのだろうか。

 眼を擦る。

 然しまだ其れは其処にある。


 試しに同僚から貰ったインド出張の土産物を同じように叩く。

 今度は千円札二枚程が現れる。

 やはり同じ現象が起こる。


 俺は考える。此れは俺にとって良い事ではないのだろうか。

 物を叩けば金が手に入るのだ。

 俺は要らなくなった独身の時使っていた

2003年製で50v型のテレビを叩く。金が手に入る。

 実家から送られてきた食器、カトラリー。

 結婚する前に妻から貰った誕生日プレゼント。

 眼につくものは何でも金に変えた。


 目の前の物が消えていく。

 思い出が消えていく。


 まだ足りない。もっと金が欲しい。

 此れは息子の学費。此れは妻へのプレゼント代。

 そして此れは俺が欲しかった車を買う金。


 買うものが頭の中で滑っていく。

 幸せな家族の光景が眼に映る。

 

 すると。裸足になった足に“杖”が落ちる。

 だんだん体が金になる。

 

 “俺”が消えていく。

 意識がなくなる。

 

 妻と息子に会いたい。

 幸せな家族の笑顔が見たい。

 息子にはいい学校や会社に行って欲しい。

 妻に綺麗な服飾品を買ってあげたい。

 

 家族に会いたい。


 俺が金に眼が眩んだせいだ。

 もう取り返しがつかない。

 

 さようなら。

 途切れていく意識でそう云った。









 今朝、私はとあるニュースを観た。



 私は山崎香織。34歳。




 私には家族がいる。夫とは結婚9年目で、息子は小学2年生になる。



 私は、何十枚の一万円札と乳幼児一人大の肉塊が散らばったアパートの一室に住んでいる、37歳の男性が行方不明になったというニュースが流れる、テレビの前で立ちすくんでいる。


 

 

 

 

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檜木 ひなた @hyouka_

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