物理的証拠
女は笑顔を絶やさない。
まるで愛しいものに接するように、優しく甘美な声音で囁くのだ。
「夏様。私です。私が、死に損ないのあなたに命を分け与えたのです。だから、貴方は今ものうのうと息をしていられる」
──"命を分け与えた"。
その明らかに意味不明で非現実的な言葉など、普段ならば鼻で笑ってしまう。だが、今回ばかりはそれが出来ないくらいに条件が揃いすぎていた。
信じられないのが本音だ。大体、命を分け与えるなんてこと、できる筈がないのだ。
確かに彼女の言う通り、自分は虚弱児で出生してからずっと入院し延命処置を受けていた。
生まれつき心臓に穴が開いていたらしく、正直いつ死んでもおかしくない……未来のない子供として生まれてきたそうだ。
───だが、丁度一歳を迎える頃。両親曰く、非常に奇妙なことが起こったという。
突然の発作により心肺停止の状態になり、もう助からないと医者も匙を投げたその時、唐突にも息を吹き返したらしい。
慌てて検査をして、両親は愕然とした。心臓の穴は塞がり、バイタルも正常値に戻り、嘘の様に回復した。
それ以降体が衰弱することはなく、異様なほどに健康体で成長していったらしい。
両親ともに『奇跡だ』といって笑っていたけれど、正直、非現実すぎると思ったのも確かで、ましてやそれが自分のこととなると実感もなかった。
もし………、もし、女の言うことが本当ならば、この違和感も、これまでのことにも、総ての辻褄が……合わなくもない。
(……ダメだ!そんなわけない、絆されるな、認めるなっ!違う、違う、こいつは、ただ適当な嘘をついて脅そうとしてるだけだ…目的はなんだ?金か?でもなんで俺に? っいやそんなのどうだっていい、それで解決するなら、今すぐにでも…)
「信じられませんか?」
「!」
混乱していく頭から疑念を振り払おうとしたその時、女の冷たい声が夏の耳に問いかける。
先程まで、愛しいものに接するように優しく慈愛の籠ったような声音で話していたそれの、突然の変貌に夏の心臓は鼓動を立てる。誰のか、わからない心臓が。
「…そうであっても致し方ありません。突然そのようなことを言われて、すぐに受け入れられた人間は、歴代の"
歴代の…"神憑"…?
「それでは、参りましょう、夏様。神である私には不釣り合いですが、貴方様のお好きな“物理的”証明をして差し上げましょう」
姿勢良く立ち上がった女によって腕を捕まれ、立ち上がらせられる。
その細い腕に男一人を易々と立たせる力がどこにあるのか、とまたもや不自然さを感じるが、夏が口を挟むことはなかった。それ以上に、非現実的なことが起こりすぎて脳内はパンク寸前なのだ。
されるがままに、女の手に引かれて廊下を歩く。
古い造りの家の為に、歩く度に廊下が軋んだ。しかし、何よりも奇妙なのが、自分が歩く度ミシミシと軋む音が、女からは一切聞こえてこないのだ。良く見たら、少し浮遊しているような気がする。
(なにが神だよ…。生かしてるって、命を分け与えるってなんだ。そもそも、"神憑"ってなんなんだ…)
続けて起こる怪奇現象。更に、女から与えられた七面倒臭い付加情報に頭を悩ます夏に、女は楽しそうに目を細めた。
「…さあ、夏様。こちらにございます」
女の声に顔を上げた夏だが、途端に目を丸くした。
見覚えのある、自分の部屋とは正反対の場所に位置する部屋。渡り廊下からも見えるこの部屋の障子には、可愛らしいてるてる坊主が引っかかっていた。瞬間、夏はサッと顔を青くする。
「おまえ…ここ、」
「ええ、貴方様の妹君のお部屋でございます。風邪を拗らせてしまって、本日はお休みなのですよね?」
「やめろよ!凄い人見知りなんだ、怖がらせたら…」
「──お兄ちゃん?」
「!」
妹の声が、静かに廊下に響く。風邪を引いているせいか、幾分か声が低い気がした。布が摩擦する音が聞こえて、身体を起き上がらせたのが分かった。
「いるの?」
「あ、ああ」
「さあ、夏様。入室してください」
「っ!」
「答えが知りたいのでしょう?なれば、早く」
「おまえ…」
女は夏の肩に手を掛ける。妹を巻き込まれた事に対する純粋な怒りで女を睨めば、女はニッコリと微笑むばかりで。
どんなことをしても、女には通用しない。怒りも、拒絶も、この女には不可能だ。
それを悟った夏は、拳を強く握り締める。こうなったら、この胸のモヤを取り除くしかない。結果的にどうするかなど、女の言う、"物理的証拠"とやらを見てからでも遅くはないだろう。結局は答えが欲しいのだ。
夏は意を決して障子に手を掛ける。
「入るぞ」
その一挙一動を女は目を細めて楽しそうに見つめていた。
現し世の鑑 葵日野 @aoihino
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