第100話 記憶ー03(アルフレッド・キャリエール視点)

「まあ、そんなわけで――」と、ロンサール伯爵は「明日の朝食は目玉焼きにしよう」と言うくらいの調子で切り出した。


「昨日の人たちから、話を聞きたいな。まずは、敵を知りたいもんね」


 昨日の人たち――王宮に侵入し、アナベルやリーグ達に縄をかけられた修道士モンクの手下たちのことだ。

 夕暮れの中、騎士の手で回収され、今は、王宮の地下牢に繋がれている。


 骨が折れている者や、中には、体中の関節を外されて軟体生物みたいになっていたのもいた(オウミとかいう奴がやったらしい。見事な手際だ。機会があればぜひ、話を伺いたいものだ)ものの、国でもっとも優秀な王宮医務官らが忠実に職務をまっとうしたお陰で、今は少し元気を取り戻しているはずだった。


「悪いんだけどさ、ここに連れて来てくれない? 一番偉そうなの、一人だけでいいよ」

「はい、わかりました」

と、俺はもちろん、二つ返事で承る。だって人の子は、大天使には逆らえないのだ。




「――用があるなら、そっちが来りゃいいのにさ。こっちは昨日さんざん痛め付けられて、歩くのもやっとだってのに」


 けど案の上、修道士モンクの部下だという中年男は、人を食ったような眼を眇めた。


「それは申し訳ない。ちょっと、話を聞かせてもらいたかったものだから」


 ロンサール伯爵が穏やかに眉を下げると、男は鼻先で嗤う。

 つい昨夜まで、この男は軟体生物だったわけだから、まだ顔色は悪かったし、足は引きずっているし、ソファに腰掛けることもままならぬ様子であるのに、筋金入りの悪党らしく、威勢だけはすこぶる良い。


「お上品な政務官様と、盛り上がれそうな話題なんて持ち合わせませんけどね。残念ながら」


 実際、修道士モンクの部下で、お喋り好きな奴は、ほぼいない。


 各騎士団の意地をかけ、今度こそは口を割らせてやる――と意気込み、持てる技術と道具と労力の全てを注ぎ込んで挑んでも、これまでのところ、どの騎士団も勝率は良くて一割、ってとこだった。

 九割は、ほとんどなにも喋らない。

 しかも、上位の奴になればなるほど、肝心なところで貝のように押し黙るものだから、時間もかかるし、こっちも疲れることこの上ない。


 ――修道士モンクに殺されるより、騎士に殺される方がマシなんだよ。


 そう、口を揃えるのだ。「お上品なんだよ、てめえらは、所詮」と言った奴もいた。


 ――上品なつもり、ないんだけどなあ。


 とほほ、という気分で、思わず頭裏を搔く。

 だいたい、それを言ったらロンサール伯爵とウィリアム・ロブなんて、この国でも指折りの上品物件だろう。

「品格」と書いてランブラー・ロンサールと読めそうだし、「上品」と書いてウィリアム・ロブ、と読めそうでもある。

 品を極めた伯爵たちに、修道士の頭巾党モンクスフードの構成員の相手が務まるとは、とうてい思えない。

 

 ――やっぱり、あとで俺たち騎士が、やれるだけやってみるしかないか。

 

 時間かかるなぁ、これ。

 ややげんなりした気分で、白獅子と青竜の騎士と目配せを交わしたとき、男がこれみよがしな溜め息をついた。


「時間の無駄だ」


 意外と知性のありそうな、気取った声だ。たぶん、側近だったというのは本当なんだろう。ピーター・ポエトリーみたいな小物とは違って、その目は冷たい底無し沼のように暗く濁っている。げらげら笑いながら、他人を谷底に突き落とせる男の目。


「まあそう言わないで。修道士モンクの側近なんだってね? すごいじゃない」


 ロンサール伯爵に褒められた男は、うっすらと冷笑を浮かべた。


「あんたが、ロンサール伯爵か。なるほどねえ、女と見紛う、美形の政務官さんですねぇ。すごいじゃない」


「おい、ふざけるな」と白獅子の騎士が尖った声を上げる。「いいよ」と伯爵が手を上げて、鷹揚に制す。「頼むよ、少し話を聞かせてもらいたいんだ」


「昨日のやつ、あれでぜんぶだ。これ以上はもう、何も出ませんよ」


「だけど、修道士モンクについては、何も教えてくれなかったって?」


 ああそりゃね、と男はしらけた様子で、肩を竦めた。


「だってほら、ないんだもん。からっからに乾いた雑巾を絞っても、一滴も出ない。当然でしょう? きれいな政務官様は、そんなことも知らないんですか」


「あ、そうか」と伯爵は残念そうに息を吐いた。「なら、しょうがないね」


 そして、大天使ミカエルの顔になって、麗しく微笑む。


「今日中には家に帰れるよう、手配するよ」

「は?」


 空耳かな。男も、そう思ったらしい。


「なんですって?」


 ロンサール伯爵が、穏やかに目を細めてゆっくりと発音する。


「釈放だよ。司法室と騎士団に、話を通しておく。君は今日のうちに、家に帰れる」


 ははは、と男は乾いた笑い声を上げた。


「…………くだらない冗談だな。あんた、気は確かですか? 俺は、昨日、王宮に侵入――」


「スペースの問題なんだ」と、伯爵は秀麗な眉をこれ見よがしに下げて、盛大な溜め息を落とした。


「いっぱいいっぱいでね。戦中戦後の治安悪化でしょ? 春の粛清もあった。ほら、ついこの前も、第三騎士団が悪者を大量に捕まえてきて……いや、それはいいんですよ。王都の治安が良くなって、喜ばしいんですけどね。ところがこれが、お恥ずかしい話、監獄が、どこもいっぱいなんですよ。飽和状態」


 伯爵が、お手上げ、みたいなポーズをした。


「……はい?」


 それがねえ、とロブ卿が沈痛な面持ちで溜め息をつく。


「シャトー・グリフからね、『あと六人しか無理』って言ってきたんですよ。困りますよね。昨日捕まえた、貴方方の仲間は十三人もいるのに、あと六人しか無理です、って。半分以下じゃないですか。だけどね、しょうがありません。スペースが、ないんじゃね」

「物理的にね」

「無理なものは、無理だから」


 うん、と美しい政務官たちは、上品に頷き合う。


 落ち着き払っていた修道士モンクの部下も、さすがにたじろぐ。


「え……っ。いや、でも……」


 ロンサール伯爵が、物憂げに目を伏せて首を横に振る。


「言いたいことは、わかりますよ。ならば監獄を拡張しろ、新設しろ、刑務官を増やせ、さらには監獄の衛生状態を改善しろ、とか言うんでしょう? そりゃ魔法でも使えたら、僕らだって、ぱぱっとやりますよ。だけどね、国庫金には限りがあり、刑務所の拡張や新設には、住環境の悪化を憂う近隣住民との気の遠くなるような話し合いが必要であり、刑務官の仕事はきついんです。成り手がね、どうも、いないんです」


「は……はあ」


「それにね」とウィリアム・ロブが声をひそめる。

「情報の件ですけど、六人しか無理なら、先着順にしよう、ってことになったんです。修道士モンクを追い詰めるには、六人いれば、まあ、なんとかなるでしょう。六人程度なら、護衛もね、なんとかなりそうですしね」


「え……?」修道士モンクの側近の顔に、不安の影が過る。

 さっきまでの余裕の冷笑は、きれいさっぱり口元から消えていた。


「……六人……その話、本当なのか?」


 ロンサール伯爵が、心とろかすような甘い微笑を浮かべて頷いた。


「――ああ、だから、君は、もういらない」


 後光が差すほど美しい微笑に、背筋がうすら寒くなった。「キャリエール卿、悪いんだけどさ」


 急にふられて、俺は慌てて居ずまいを正す。

「はい」


「このあと、この人をご自宅まで送って差し上げてくれる? 政務室の、ほら、大きい紋章付きの馬車を使うといい。一番目立つやつ。丁重にお送りしたあとは、家の前で握手をして、こう言ってくれるかな? 『ありがとう、君のお陰で助かった』って」


「はっ?」


 男が、引き攣った息を吐いた。上擦った声で訊く。

「ほ、他の奴とは? もう話したのか? お、俺は……何人目だ?」


 ウィリアム・ロブが、羽虫も殺さないだろう優しい微笑を男に向けてから、そっとテーブルに視線を落とす。


「さあ? どうでしたかね」


 テーブルの上には、さっきサイモン司法官とピーター・ポエトリーが使ったティーカップが、片付けられぬまま脇によけて置かれていた。


「……ああ!」と男が弱々しい悲鳴を上げた。

 マンドラゴラの叫びを誤って聞いてしまったみたいに、男の顔から血の気が引いてゆく。


「誰か、誰かが……喋ったんだな!? 誰だ!? そんな、それじゃ……修道士モンクは誤解する! この俺が、情報を漏らした、って」


「そうですか」とロブ卿はいたって穏やかに頷いた。「でも、乾いた雑巾からは、もう一滴も出ないんでしょう? ならもう、我々は貴方に用がありません」


 だん! と空気が揺れた。苛立った男が、渾身の力で床を蹴りつけたらしい。


「あんたらは!」男は叫んだ。じゃらん、と男の手首で、鎖が重く鳴る。

「知らないんだ! 修道士モンクの恐ろしさを! 修道士モンクの気分を害したら、どんな目に遭うか知らないから――」


「知りようがありませんね」と、ウィリアム・ロブが神妙に首を傾げる。「あなた方は、裏切り者を三分の一くらいにしちゃうでしょう? だから、話も聞けなくて」


「比喩じゃなく、本当に三分の一なんだよ」と、伯爵が眉をひそめる。

「やりきれないよね。なんで、こんなことができるのか――君も資料見る?」と言ってから、伯爵ははっと口元を押さえた。「ああ、失礼。君の方が、詳しいんだったか」


「ふざけてる場合か」男が怒鳴った。そして、「こっちは、真面目な話をしているんだ!」と、まっとうに生きてきた善良な市民です、みたいな台詞を吐く。


「いや、悪いけど」と伯爵が困ったように眉尻を下げた。


「実際のとこさぁ、僕ら忙しいんだ。机の上なんかもう、書類がアルディ山脈みたいになってんだよ。その上、大事な妹の一人には懸賞金が掛けられるし、昨日だって、劇薬かけられそうになるし。だから、今日は早く切り上げて帰りたいのに、君らのせいでできない。この状況で――」


 端然と、男に微笑みかける。


「――君が三分の一にならないよう配慮してあげる必要、僕にある?」


 ないよね、と目を細めて、ティーカップを優雅に持ち上げた。


修道士モンクにはさ、自分で言いなよ。釈放されて王宮の馬車で家まで送ってもらって王宮騎士と握手して礼を言われたけれど、『私は何も喋ってません』ってさ。修道士モンクがお人好しなら、信じてくれるんじゃない?」

 

 優雅に足を組みかえ、ウィリアム・ロブもティーカップに手を伸ばした。これ以上ないくらい品のある手つきで、持ち上げる。


「乾いているのじゃね。どうしようもないですから」


 俺は思わず、壁の時計に目を遣った。

 俺が男を連れて来てから、まだ五分も経っていない。


「というわけで、ご自宅まで――」


 ロブ卿が言い終わる前に、男はソファーからしずしずと降りた。


「すみませんでした――」


 流れるように、手をつく。伯爵とロブ卿の足元に、さっきのピーター・ポエトリーとそっくり同じ格好で、男はひれ伏した。

 体勢は同じだけれど、男はポエトリーと真逆の台詞を口にする。


「――さっき、からっからって言ったのは、う、嘘なんです。実を言うと、私は湿っ……いえ、びしょびしょです。びしょびしょの、雑巾です」


「ふぅん」と伯爵が、紅茶を飲みながら気のない相槌を打つ。


「絞ったら、ざぶざぶ出ます。それはもう……一番、誰よりも、ざぶざぶと。だ……だから、シャトー・グリフには、私を入れてください。シャトー・グリフに、私を行かせてください……!」


「――あ、紅茶のお代わり、お願いできる?」とロンサール伯爵が、軽やかに微笑んで、遠い壁際に控える侍女を呼ぶ。


 あの侍女、遠目にも、早くティーカップを片付けたくてウズウズしているのがわかる。そう言えば、さっきカップを下げに来たとき、伯爵から「もう少しの間、このまま置いておいて」と頼まれて、不思議そうな顔して下がっていたっけ。


 どうかお願いします――と涙声で懇願する男の後頭部を見下ろしながら、俺は小さく唸った。ある一つの、重大な真理に気付いたからだ。


 このことだけは一生、何があっても忘れないよう、記憶に刻んでおくことにする。



 ――王宮政務官にだけは、喧嘩を売るもんじゃあない。



 

 

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屋根裏の魔女、恋を忍ぶ 如月 安 @KF1860

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