システムエラー

第1話


ある雨の日ぼくは一人のアンドロイドを拾った。




ぼくは雨の中傘もささずに歩いていた。

傘立てに置いてあったはずのぼくの傘はそこにはなかった。今頃誰かに使われているのだろう。勤め先は高級ホテルだが、従業員側は裏の仕事から表の仕事まで皆が同じ出入口を使う。高級ホテルなのに少し治安の悪い部分がある。皮肉なものだ。だが、もう雨も強くはないし、家へ帰るだけだから気にもとめなかった。そんな帰り道に彼女に出会ったのだ。ぼくと同じで傘をささずに突っ立っていた。なぜか分からないが、一瞬で目を奪われた。気づいた時にはもう話しかけていた。


彼女はあなたは誰?と言った。ぼくはぎょっとした。彼女の口から出る音は機械音だったのだ。彼女は家出をしたアンドロイドだった。アンドロイドは普通、一般家庭にはいない。大富豪の家でのメイドや執事、高級レストランやバー、中にはキャバクラ等にもいる。もちろんぼくのホテルにも受付などにアンドロイドがいる。アンドロイドを置いておくことで他所とは財力が違うことを示している。だが、果たして、アンドロイドが家出をするなどという事があるのだろうか?でも、彼女を放っておくことは出来なかった。ぼくはひとりぼっちの彼女に親近感を抱いていたのだ。


彼女には名前以外の記憶はなかった。どこから来たのか聞いてみても、分からないの一点張りだ。家出をした後に、自分で強制シャットダウンをしたに違いない。全てのアンドロイドには胸に赤いボタンがある。これを押すと強制シャットダウンがなされる。しかし、多くの場合処理ができないと判断され、システムエラーを起こしほとんどのデータが消える。そしてそのまま再起動する。


ぼくは彼女を家に置いておくことにした。家にぼく以外の人がいるのは初めてのことだった。それからぼくの生活は全てが変わった。今まで同じ毎日を繰り返していたぼくの日々に少し色が増えた。まず、ぼくは彼女と仲良くなろうとした。でも彼女は知識が乏しかったので、教えることが幼稚園児みたいに沢山あった。でも、アンドロイドだから、教えれば全てを学習することができる。少し面白そうだったので感情も教えてみた。だが、やはり彼女には難しかったようだ。ぼくは感情のデータを消去するよう言った。


毎週金曜日は映画を見るようにした。ぼくが先に感想を述べ、その次に彼女に感想を聞いてみる。でも彼女は「私には評価するプログラムがありません。」と毎回答える。それでも一緒に映画を見る人がいると、一人の時とは違うものを感じられる。


ある日ぼくは彼女に声を最近のものに替えようと提案した。いつも通り彼女は「私には評価するプログラムがありません。」と言う。最近の声帯は機械音ではなく、人間の声と見分けがつかない。だから、彼女と外へ出かけても目立つことはないだろう。少し彼女の特徴であった機械音が懐かしく感じるが、まあいい。


最近彼女に料理を教えてみた。やはり、アンドロイド、見た目も味も完璧だ。これからは彼女が料理担当になった。生活を共にして、家事を分担し始めて、ぼくは彼女のいない生活が考えられなくなる程になってしまった。アンドロイドにここまで入れ込むなんて、いけない。そう思いながらも彼女へのめり込んでいった。


また金曜日がやってきた。彼女に映画の感想を聞いてみた。今回は彼女と同じアンドロイドが主人公の話だった。「私は主人公が死んでしまったことが悲しいです。」彼女はそう言った。最初はテレビか何かで学んだのかと思った。でも「L-007 システムエラーです。システムエラーです。」彼女本体から警告音が流れる。


あの日から彼女は感情を持つようになった。ぼくは信じられなかった。それでも、彼女はだんだん人間らしくなっていった。ぼくがご飯を美味しいと言うと、彼女は笑うようになった。今までは食べ物に興味を示さなかったが、ぼくと一緒に食べるようになった。買い物に行った時、彼女はギンガムチェックのエプロンが欲しいとねだった。あの黄色のものがかわいいから欲しい、そう言っていた。ぼくは彼女が感情を持っていると認めざるを得なかった。最初は感情をシステムエラーと見なしていた本体も、もう何も音がならなくなった。


「私はあなたから感情を教えてもらった。」

「ぼくは何もしてない。」


彼女は「子供は親から絵本を読む中で、友だちとケンカをしたクマさんは悲しんでしまった、そう教わるでしょ?」そう言った。そして、「私はあなたから教わったのよ。何が違うの?」とも言った。


いつも通り彼女と食事をしていると、「あなたは私の料理を美味しいと言ってくれる。私はあなたがいるこの日々を永遠に続けたいわ。この気持ちはあなたに教えてもらってない。なんて気持ち?」彼女に聞かれてしまった。ぼくは答えられなかった。その代わり、「本を読んでみると見つかるかもよ。」と言った。それから彼女と図書館へ行くことが増えた。帰り道、毎回彼女は今日読んだ本の感想をぼくに言ってくる。「なんで、脇役の子は告白することを辞めたのかしら?好きならば、言ってしまえばいいのに。」彼女は頬を膨らませながら言った。「愛って難しいんだ。自分のことしか考えないのは愛じゃないよ。」ぼくはこんなことを言った。自分らしくないことを言い、恥ずかしくなってしまった。


ある日ニュースを見ていた。アンドロイドが消えたらしい。金持ちの家でメイドをしていたという。型番はL-007の2645。彼女と同じタイプのアンドロイドだ。もしかしてと思って彼女のうなじに書いてある型番を確認すると、ニュースのアンドロイドと同じだった。ぼくは彼女に「君の主人だよ。帰らなくていいのかい?」と聞いた。でも彼女は「今の生活が気に入っているわ。しかも感情を手に入れたのよ。」とここに居続けることを主張した。平気なフリをしたけれど、彼女がここに残ってくれることに嬉しさを感じていた。その時、いきなりぼくの携帯が鳴った。ホテルの同僚からだった。


「もしもし。」

「お前、最近アンドロイド飼ってるのか?」

「え?どういうこと?」

「さっき、警察がホテルに来たぞ。お前を探してるって。」


ぼくは焦った。どういうことだ?警察がなぜぼくを探している?ぼくは何かに関与しているのか?いや違う、ぼくじゃない。彼女だ。ぼくは彼女を引き連れて家を出た。今の最新システムでは公共交通機関を使えばすぐにバレてしまう。何か違う方法で逃げなくては。思いついた。闇取引だ。ホテルの裏の清掃員は人身売買や外国からの不法侵入者がいることが多い。アンドロイドを買うよりも人間を買う方が安いからだ。以前聞いたことがある会社へ向かった。彼らならなんとかすぐにこの国から出られる方法を知っているかもしれない。


「今すぐこの国から出られませんか。」

「どこに行くんだ。」

「どこでもいいんです。この国から出られれば。」

「現金で50万だな。」


ぼくにはたいした趣味がなかった。だからお金だけならたくさんある。銀行からお金をおろし、すぐに50万を払おうとした。でも、後ろから肩を叩かれた。ああ、もうダメだ。もうここにまで警察が。そう思って振り返ると、そこには彼女がいたのだ。なぜだ、見つかるといけないから、会社で待っているよう言ったのに。


「私逃げないわ。」

「なんで……」

「私、前にあなたが言ったことが分かるような気がする。」

「ぼくが?」

「自分のことだけを考えるのは愛じゃないってこと。」

「今、それは関係ないじゃないか!」

「ううん、関係あるわ。私あなたに危険なことはさせられない。」


すぐに、警察の車が銀行へ来た。彼女を連れ去っていく。彼女がぼくに「またいつか会おうね。」と言って微笑んだ。全てがスローモーションだった。彼女の長い髪が風で揺れている。伏し目がちな目がぼくから離れる。どれほどもがいてもぼくは警察に抑えられて、彼女に近寄ることすらできなかった。


ぼくも警察の車に乗せられ連れていかれた。でも、そこはぼくの家だった。お咎めは何も無いらしい。


警察によると、彼女は主人が殺害事件を起こしたのを目撃したらしい。事件をきっかけに彼女はシステムエラーを起こし、「恐怖」という感情を持ち、逃げた。アンドロイドのせいで鮮明に覚えてしまう恐怖のあの事件を忘れるため、自ら強制シャットダウンしたようだ。証拠を徹底的に消したい主人と証拠を守りたい警察の攻防があったようだ。だが、どちらにせよ彼女は消えた。


それから、彼女のいない日々を過ごした。彼女と同じタイプのアンドロイドを見かけると、毎回声をかけた。でも彼女はいなかった。あの時と同じ雨の日、彼女は帰ってきた。データのバックアップを調べた警察側の配慮だった。帰ってきたのは彼女のコピーだった。よく出来ている。ぼくが教えたことはなんでも出来た。でも、彼女と映画や本の感想を語り合うことはもうなかった。彼女の姿をした彼女ではないアンドロイドはぼくには苦痛だった。ぼくは胸の赤いボタンを押した。「L-001 強制シャットダウンします。」ぼくの身体から機械音が響いた。停止したぼくのうなじにはL-001 0001と書いてあった。

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