ちゅうぐらい

解場繭砥

ちゅうぐらい

 ふよふよとわらう、みつえさんがまいごになったというので迎えにいく。たぶんまた同じお土産を持っている。


「昔地下におおきな本屋があったのよう、そこをぶらついてから、来ようと、おもったのに」

「あそこはなくなって映画館になりました」

「さいきんのひとは本を読まないの」

「さあ」


 さいきんのひと、という言い方はまるで自分が人ではないみたいだ。年をとるとそういうふうに、ちょっと俯瞰してものを見た気になろうとする。僕もみつえさんも少しずつ年をとる。


 みつえさんのお土産はやはりうどんだった。

「香川のひとはみんな讃岐うどんばかり食べているのに武蔵野の人は武蔵野うどんばかり食べたりしない」

 言っていることは批判めいているが、みつえさんはやはりふよふよとわらっていて、それで客人のくせに当然のようにうどんを茹でてくれる。

「おかげでなんでだか、あたしが武蔵野人に武蔵野うどんのお土産をもってきて……」


 不当に食べられていないうどんを、不当に他県からお土産にして不当に客人が茹でている。

 それでもこのうどんはとてつもなくモチモチしてうまいのだ。


「東京に行くって言うとさ、あっちの人はみんな、超高層ビルを想像する、ビルの谷間を、人情の欠片もない人たちが、寒々として歩いてる、みたいな、今どき摩天楼なんて言葉を使う」

「この辺もでかい建物増えたけどね」

「駅前の電気屋さん、びっくりしたけど、それでもせいぜい十階くらいでしょう」

「あすこは八階建て」

「それくらいは田舎だってあるのよう、サイカイハツとかいって、本開発があったのかどうかわからないけど、セイジカが、頑張るから」

 そんなことを言いながらうどんをすする。

 美味しいのは事実だが、僕の好物というよりはみつえさんの好物なのだと思う。


「ケンジくんはさ、どうなの、今は」

「仕事の話?」

「どっち訊いたと思う?」

「さあ」

「ケンジくんが、どっちかに人生賭けるような人になってたら、それはそれで面白いけど。でも仲間ではなくなるかな」

「じゃあ面白くない感じで」

「悪くない」みつえさんはまたふよふよとする。「面白くないのは悪くない」


 地方でも東京でも放送している、流行の、という言葉は軽薄なので、話題の、ドラマの話をする。みつえさんも僕も、流行のドラマ、のような生き方はできなくて、それでももし自分たちがドラマの登場人物であったなら、話題にはなってほしい、ぐらいには思っている。

 いや、打ち切りにならずに、予定の回数を放送しきればそれでいいのかもしれない。


 翌朝目が覚めるとああ、おはよう、と言う。僕とみつえさんの間には何度夜を過ごしても、流行のドラマ、みたいなことは起こらない。

 男と女がいたら、何か起こらなくてはならないと思う人たちと、少しずれたところにいる。


 話題のドラマ、は僕やみつえさんのような何も起こらない人のドラマではなかったが、男女が激しい恋をするドラマではない形式の恋愛ドラマで、その切り口が話題になっていた。


 最近ようやく、僕たちを表す言葉が認知され始めて、アセクシャルというらしい、まだ横文字でしっくりとは来ない。だが言葉が無いよりはいい。


「本屋に行き損ねたから公園でも行くかあ。そんでボート乗る」

「乗るとカップルが別れるあのボート?」

「その伝説まだあるの?」

「鉄壁のネタなんだろう」

「それならあたしたちは安心だ」

 何しろカップルではないのだ。今も昔もこれからも。


「このへんはいいねぇ。ちゅうぐらいで」公園を歩きながら、つまり、デート、などという言葉で表現されそうだがそうではない、散策、をしながらみつえさんは言った。「摩天楼の人たちが想像するところほどは冷たくはないけど、摩天楼の人たちがいるところほど、というわけじゃない」

 いるところほど、どうなのか、反対語ならあたたかい、だけど、あまり褒めてはいないから違う。単に口ごもっている、その口ごもることのほうがあたたかさなのか、どうか。

「いまだに、結婚しないのかって言われるんだなあ」

「摩天楼の人に」

「そう。言われてきた」

 自分が最後にそれを言われたのはいつのことだったか。もう覚えていない。


「このへんでは言われないでしょ? そういうの」

 覚えていないぐらいだから、そうなのだろう。

「だからね、ちゅうぐらいでいいなぁって。都心ほどせわしくはなくて、そこそここうやってみどりに囲まれて、田舎ほどみどりに埋もれてはいない、武蔵野らへんって、そういうところ」

「……だったらこっちに住めばいいのに」

「あい、とかなくて、住めるかね」

「……独り暮らしもしやすいところだけど」

「ごめん、勘違いした」

「なにと?」

「なんでもない」


 そこでしばらく会話が途絶えた。池の周りをなんとなく回り、カップルが別れるボートには乗らなかった。そういう伝説とか、みょうなものに、対抗したい気分でもなくなっていた。

「暮らすのには、いい場所だと思う。住みたい街ランキングは伊達じゃない」

 そう僕は言ったが、果たして誘っているのか、どうか。


 みつえさんはそのまま、オレンジいろの電車で帰ってゆき、僕はまたアパートに帰り、もう一度うどんを茹でた。いつも食べきれないほどのうどんを買ってくるから、あとは冷凍しておくことにする。

 何年かに一度ふらっとやってきて、うどんを一緒に食べるだけの関係の女性がいると、誰かに話しても信じてくれるとは思われない。だから誰にも話したことはないのだが、それを秘められた関係というのか、どうか。


 次にみつえさんはいつやってくるのだろう。そんなことをうどんをすすりながら、おもった。

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ちゅうぐらい 解場繭砥 @kaibamayuto

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