月曜日の学校

小津 悠

第1話 始まりは決して理想的とはいえない

 「……吉野。守表吉野!」

 自分の名前を呼ばれたことに気がつくと、俺は咄嗟に返事をした。俺のクラスの新しい担任、本吉芳樹の眉を寄せた表情から察するに、何度か名前を呼ばれた後らしい。いつもであれば、例え騒がしい場であっても一回で反応するのだが、状況が状況であるため、少し混乱していた。

 本吉先生は俺の返事を確認すると、次々と名前を呼ぶ。


「よし、これで全員だな。」


 出席確認が取れたらしく、教室をひと通り眺めながらホッと安堵の息をつくと、名簿を閉じた。


「率直に言って悪いが、君たちは何かと問題があるから心配なんだよ。とりあえず、全員集まってくれていて良かった。これからどれくらいの付き合いになるか分からんが、よろしく」


 そう言い終えると、本吉先生は足早に歩いて教室から出て行った。扉がぴしゃっと閉まる音が響き渡った後、教室がざわつき始める。

それも無理はない。なぜなら高校2年生が集まるこの教室であるが、見知った顔など一つもなく、制服もばらばらだ。

 どうしてこのような事態になってしまったのか、俺は再び回想することにした。


××××


 4月8日月曜日。春休みが終わり、新たな人間関係が作れることを期待して少しワクワクしていた俺は昼夜逆転生活であったにも関わらず、この日は朝早く目が覚めた。


「……5時か」


 目覚めと共に、スマホの画面をつけるとチカチカとした光が目を細めさせる。頭は重いが、目が冴え渡っているのは良く眠れていなかったからだろう。

 この時間帯、家族はまだ寝ているので一段一段足場を確かめるように階段を降りる。

 大通りから離れたこの家は通行人も少なく、車通りもほとんどない閑静な住宅街だ。ましてや早朝、コーヒーブレイクを入れて落ち着くにはもってこいの場所と時間だ。沸かしたお湯をマグカップに注ぎ、スティックシュガー2本とミルクを入れてかき混ぜた後、ズズッと啜り一息ついた。

 数時間後に自分が友達を作り、はじめの自己紹介で笑ってくれていることを空想しているとニヤニヤが止まらない。今日、またこの日から始めるんだ。そう決心がつくと、体が急かすようにせっせと準備をし始める。

 いつもより準備を終えるのが早かったらしく、壁に掛けてある時計の長針はまだ一周も回っていない。普段であれば面倒くさがって持っていかないようなティッシュやもしもの時の折りたたみ傘などもすでに準備したため、これといって残りの時間を潰すようなことは何もない。

 そんな訳で、俺は自転車に跨り早めに自宅を出ることにした。

 住宅街から離れた大通りを抜け、線路沿いの道路を道なりに進んで30分漕ぎ続ければ、俺の通う仙石高校なのだが、それまでの道のりが意外と大変だ。家を発ってから20分が経過した頃、俺を陰鬱とさせる勾配がきつい坂が見えて来る。そう、山だ。苗字じゃないよ。山田よ。なんてくだらないことを考えて、気を紛らわそうとしても道が緩やかになるわけではなく、水平に向けている目線には徐々にアスファルトが近づいて来る。立ち漕ぎに変え、ペダルを力強く踏んで速度を上げていくが、徐々にそのスピードは落ちていき、ついに自転車から降りることにした。


「はあっ、はあっ……」


 肩を上下させながら呼吸をすると、春休み中ほとんど外出せず、引きこもっていた日々が蘇り、過去の自分に腹立たしくなってくる。

そんな感情を糧に自転車を力強く押している自分の横では、同じ制服をきた女子生徒がすいーっと登っていく。

 それを見た俺は恨みが募り、電動自転車が恨んでやるリスト9位に更新した。同時に、記憶を頼りに財布と机の引き出しの中にしまってあるお札の枚数を数える。全く足らないことに悄然とし、5位に昇り出ることになった。

 恨めしくじっとりした目線で追い抜いていく自転車を見ていると、後輪部分に学校指定のステッカーが貼ってあることに気がついた。

 俺の通う仙石高校は学年ごとにステッカーの色が異なるため、すぐに同じ学年の子だと認識できた。1年生は緑で、3年生は青。そして、2年生が赤である。

 普段であれば、例え同じクラスの人であっても無暗に声をかけるということはしないが、今日から新学期。心新たに踏み出そうと、感情が昂ぶる俺は黒歴史の1ページを新たに綴ることにした。なっちゃうこと前提かよ。

 しかし、そんなことが頭の中をよぎってる間に前方との距離はあっという間に離れていき、俺が校門前に着いた頃には駐輪場に先ほど見かけた自転車が端にぽつんと一台停めてあるだけだった。


(何をここまでやってるんだ…)


 冷静になった俺は、先ほどの感情と決心が波のように引いていき忸怩たる思いだけが残されていた。

 そんな気恥ずかしさを抑え付け、既に停めてあった自転車とは反対側に置き、鍵を閉めた。

 新学期になると高鳴るこの感情。小学生の夏休み明け、長らく会ってないクラスの子に自分が大人びたことをアピールしたいときの高揚感にとても似ている。高2になってもつくづく成長してないな、俺。と、ちょっと傷心の気持ちになりながらも足は勝手に校舎の中へと引っ張られる。

 俺の高校は北側にある旧校舎と南にある新校舎に分かれ、その2つが渡り廊下で繋がっている。新校舎の方は2、3年生の教室があり、吹き抜けの構造になっているので階段を上る音や会話の声が他の階まで聞こえる。ましてや、他の生徒がまだ集まっていないこの時間帯では話の内容がしっかりと聞き取れたりするものだ。

 だが、妙なことにこの校舎で響くのは自分の足音だけ。俺はそのことに訝しみながら、教室を見て回ることにした。

 一通り見て回ったが、どの教室も空っぽで人がいた形跡などどこにもなく、自分の教室に戻ろうとした頃タンッ、タンッと一定のリズム刻みながら階段を登る音が聞こえてくる。

 振り返り、階段のほうをじっくり見やると、一瞬顔をしかめた男子生徒が驚いたような表情でゆったりと近づいて来る。


「吉野じゃん!早いね。久しぶり」


「おう、おはよう。」


「学校だるいよなー。まじ、休みが恋しいわ」


 そんな言葉を投げかけながらも彼の視線は手元のスマートフォンばかりで、こちらの顔を見たのは数回程度。

 俺はこいつを知っている。野田圭。1学年の時のクラスメイトだ。そう、クラスメイト。ここポイントな。


「あ、あー、だよな…」


 そのくせ、なんでこいつは来るの早いんだ。と、疑問に思いつつも、そんなことは口に出さずに俺は苦笑いで返した。そして、もう一つの疑問を投げかける。


「そういえばさ、俺の他に生徒見かけた?」


「いや、見てねえな」


「そっか、じゃあ、置きっぱの自転車か」


「ん、自転車?俺とお前の2台だけだったぞ」


 その言葉に思わず、目を見開く。


「何か見間違えたんじゃない?それよりさ…」


 クラスメイトである野田の話題は俺の興味がそそらない当たり障りのない内容だろう。その後に続く言葉を聞くより先に俺の足は少し駆け足気味に駐輪場へと向かう。

 駐輪場には2台の自転車があった。俺のと、それとは反対の端に停めてある自転車。先ほど見たものとは違って電動アシストが付いていないママチャリだ。


(まあ、今日はよく眠れてなかったからな)


 俺は説明ができないこの事態に強引に理由づけをして納得させ、その場を後にする。

 頭の隅でもやもやしながら、校舎の中へ入ろうとすると突然目眩がした。


 ――あぁ、二度寝するべきだった。そんな後悔が頭を過ぎると同時に胸騒ぎがする。何かと対峙しなければならない、そんな予感。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月曜日の学校 小津 悠 @ozuy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ