第11話 違和感。
「聞いたよ、ザイル。面白い啖呵切ったらしいねー」
いつものようにノイレスの後に続いて執務室へと入って来たゼイラルの、本日の第一声がそれだった。一直線に仮眠室へと向かうノイレスを執務机についたまま半眼で見送ったザイルは、「何のことだ」とゼイラルに問いかける。少なくともここ一年以上の間、こちらから喧嘩を売った覚えなどない。
ゼイラルはそんなザイルの様子をくすくすと笑った後、「言い方が悪かったかな」と呟いた。
「威嚇した、っていう方が正しい? ラティ嬢に意地悪しようとしてた令嬢たちを。茶会に出席していた令嬢たちは青い顔してたらしいけど、付き添ってた使用人の女の子たちは羨ましがってたよ。『あんな風に言われてみたーい』って」
妙に高い声を出して言うゼイラルに、どうやら彼が話を聞いた相手は、令嬢たちが連れて来た使用人らしいと理解する。それも、たち、と言っている以上、一人二人の話ではないだろう。話題になるほどのことを言ったつもりもなかったが、第二皇子である自分の言動は、思った以上に注目されているため、仕方がないと言われればそれまでである。
「噂に流れるくらいなら、もっと気取ったことでも言えば良かったな」
頬杖をつき、くつりと片頬を上げて言えば、ゼイラルはもちろんジェイルも少し苦い笑みを浮かべていて。「いや、十分すぎるから」と、ゼイラルは小さく呟いていた。
「まあ、それは良いとして。はい、これ。報告書。細かく調べたら、結構な人数出てきたよ。まあ、大した役職の人たちじゃないしねー。全員処分しちゃってもまあ、国が回らなくなる、なんてことはないだろうけど……」
「面倒くさいことにはなるだろうねぇ」と言いながら渡された書類の束は、紙だというのにしっかりとした重みを感じるほどの量だった。
うんざりとした気分になりながら、すぐさまそれを捲りはじめる。場合によっては自分一人で処分まで終わらせようと考えていたのだが。
……男爵位、子爵位がほとんどだが、伯爵位の家の名前まである。さすがにこうなると、俺だけの判断じゃまずいな。それに、これ以上、俺の功績を増やすのも都合が悪いからな。
兄が皇太子となった今でも、自分を持ち上げようという人間が全くいないというわけではない。兄の母、側妃ネルティアが、皇帝派貴族の出身であり、ザイルの亡き母、正妃ルミネアが貴族派貴族の出身であることもその大きな要因であるといえる。貴族派の貴族たちにとっては自分は、皇族派の後ろ盾がないという時点で、少なくとも兄よりは都合が良い存在だからだ。そのため、自分を持ち上げようとする貴族派の貴族たちを調子づかせないためにも、これ以上、ザイルが大それた功績を上げるのは考えものなのである。
だから一度、兄、エリルに報告をしたいと思っているのだが。
「……あと一週間は帰って来ねぇからな。兄上は」
ぼそりと呟けば、傍らのジェイルが困ったような表情で、「そうですね」と言って頷いていた。
現在エリルは、ザイルと共に調べているキルナリス公爵の件とは別の件の調査のために、視察という名目で皇宮を出ていた。先週の始め、ザイルがラテルティアの主催する茶会に初めて顔を出したあの日よりも更に一週間ほど前には、すでに皇宮を後にしていたのだ。皇太子としての仕事の関係だとかで詳しい話は教えてもらえなかったが、エリル本人が動くほどなので、余程のことなのだろうとザイルは勝手に推察していた。
そのエリルが、皇宮を出る時にザイルに告げた視察の期間が、三週間。現在、やっと二週間が過ぎた辺りであった。
「こう、爵位持ちの連中ばっかが相手だと、さすがに処分は父上や叔父上に任せることになるだろうな。調査結果は兄上の功績として処理してぇんだが……」
かといって、先延ばしにするわけにもいかないのが現状である。先に宰相である叔父、ダリスに、エリルの名代として報告だけしておく方が良いだろう。ただでさえエリルは皇太子として忙しいだろうから、出来る限り手を貸さなければ。
吐き出すように言いながら、読んでいた報告書をまた一つにまとめる。ノイレスが眠っているため、執務室を空にするわけにもいかず。ザイルはジェイルに待機しているよう伝えて、控えていた従者と護衛と共に部屋を出た。ゼイラルたちを信用してはいるが、あの部屋には国家機密ともいえる情報が山積している。後に何事かがあった場合、彼らに疑いをかけられないためにも、必要な措置だった。
まあ、ジェイルが動けねぇと、こうして何人も引き連れて歩く必要があるのだけは面倒だがな。
ジェイルはザイルの側近でありながら、帝国でも有数の剣の遣い手だったりする。そのため、従者と護衛を兼ねることが出来ると見做されており、ジェイルがいる時は彼だけを傍に置いておけば良いのだ。
俺もあいつ程じゃねぇが、結構遣えるんだがな、と心の中では思うが、守られるのもまた皇族の務めだと、ザイル自身も理解していた。
皇宮の長い廊下を進み、見慣れた扉の前に立つ。待機していた従者に声をかけ、中にいるダリスに面会を願い出た。皇弟であり、宰相を務めるダリスが多忙なのは今に始まったことではない。急な訪問を申し訳なく思ったが、こちらもまた仕事なので仕方がないと思ってもらう他なかった。
入室の許可を得て、ザイルは控えていた従者と護衛に待機しているように言い、執務室の中へと入る。執務机についていたダリスは、ザイルの顔を見るとすぐに、その顔を柔らかく緩めた。
「珍しいな。君が私を訪ねてくるのは。どうかしたのかい?」
青い目を柔らかく細め、穏やかな声音で訊ねてくるダリスの方に歩み寄りながら、ザイルは小さく笑う。相変わらず、あの父と兄弟とは思えない程、優しい人である。まあ、それはあくまでも見た目に限るというのは、ザイルもまたいやというほど理解していたが。
「以前、兄上と共に任せて頂いた件の最終報告をと。本来ならば兄上が戻ってからと考えていたのですが、思ったよりも多くの貴族が関わっておりましたので、勝手ながら早めに手を打たねばと思いまして」
言いながら、執務机の前に立ったザイルは、手にしていた報告書をダリスの方へと差し出した。ダリスは「ふむ」と小さく呟き、書類を受け取ると、それに目を通していく。一枚を読んで次の書類へ、しばらくの間、紙を捲る音だけが宰相に与えられた執務室の中に響いていた。
「資料にあるように、関わっている者たちはそれほど重要な役職にいるわけではありませんが、数が数なので、全く影響がない、ということは有り得ないでしょう」
報告書に書かれた貴族たちのほとんどが、当たり前だがそれぞれ治める領地を持っている。どの程度の処分を行うかにより、彼らが治める領地にも支障が出る可能性があるのは間違いないだろう。
今年は例年よりも作物の出来が良く、潤っている土地が多いというのが現状ではあるが、今回の件に関わっている者たちの領地は、その限りではない。元々が作物が育ちにくい土地柄であり、領主がそれに代わる何かを考えることなく、自らの利益を優先させた結果が、今回の状況を招いたと考えらる。
それとも、今回の件こそが作物に代わる事業だったというのだろうか。いずれにしろ、追及してみなければ分からない話である。
「処分については、俺が口出しするべきではありませんが……。少なくとも、今代の当主たちには、その座を退いてもらわなければならないかと」
このまま放っておいては、領民が、しいてはフィフラル帝国の国民が苦しむことに成りかねない。それだけは、国の頂点に位置する皇族の一人として、許すわけにはいかなかった。
僅かにその赤い目に鋭い物を混ぜたザイルに、ダリスはちらりと視線を上げると、くすりと笑った。「ああ。私もそう思うよ」と、彼は呟いた。
「まさかこれほど人数がいるとは思わなかったけれどね。廃鉱山や産出量の少ない鉱山か。なるほど。よく見つけたものだ。目の付け所が良かったのかな」
そう言って再び視線を書類の方へと戻すダリスに、ザイルは小さく微笑み、「ええ、俺の婚約者は有能で」と応える。ダリスは一拍の後に顔を上げると、驚いたように「レンナイト公爵令嬢が?」と問い掛けてきた。ザイルは自分の事のように得意になりながら、笑みを浮かべて頷いて見せた。
「茶会の際に、おかしな動きをしている令嬢たちの家を調べ、辿り着いたということです。彼女がそのことに気付かなければ、もっと大がかりに調査を行うことになり、相手にも勘付かれてしまったことでしょう」
名のある鉱山を調査すれば、そこに行き来する働き手や商人たちから話が伝わり、警戒心を強めることとなっていたはず。しかし今回は先に目星をつけることが出来たため、最小限の調査で済んでいた。この差はとても大きい。ラテルティアは大したことなどしていないと言っているが、そう思っているのは本人だけであろう。
ダリスはその柔和な容貌に面白そうな表情を浮かべて、「そうか、彼女が……」と呟いていた。
「それならば、あの制度の改正案を議会にかける用意が出来たというのは、彼女に対する褒美になるかな」
ふとそう続けたダリスに、一瞬何のことだろうと思うも、すぐにその答えに辿り着く。それは、ラテルティアの心配事を取り除くために、自分が彼に頼んでいたとある制度の改正案。
表情を明るくし、「もう準備が出来たのですか?」と問えば、ダリスは柔らかく微笑んで頷いた。
「可愛い甥っ子の頼みだからね。それに、君の話を聞いて、手を打っておくに越したことはないと、私も思っただけだよ。レンナイト公爵令嬢が心配していたからこその改正案なのだろう? 彼女は喜ぶと思うかい?」
穏やかな口調で訊ねてくるダリスに、ザイルは深く頷いてみせた。「とても」と応えれば、彼は嬉しそうに「それは良かった」と言って笑っていた。
ダリスとの話し合いは順調に終わり、ザイルは彼の執務室を出た。ダリスには、調査についての功績はエリルと、場合によってはラテルティアの名前を出してくれれば良いとも伝えておいたので、上手く処理してくれるだろう。
かつかつと音を立てながら、先程通った廊下を、先程と同じように従者と護衛を引き連れて、反対方向へと向かって進む。自分の執務室を出てから随分と時間が経っていたため、そろそろノイレスも目覚めただろうかと、そんなことを考えながら、何気なく窓の外に視線を遣った時だった。目に入ったその光景に、知らず、歩む足を止めて。
「ザイル殿下」と声をかけられて、はっとそちらを振り返った。
「ノイレス様がそろそろお帰りになられるとのことで……。どうしました?」
ちょうど廊下の先の曲がり角から姿を現したジェイルは、その背後に立つ亜麻色の髪を適当に束ねた男、ノイレスを示しながら口を開き、しかしザイルの様子に気付いたらしくそう訊ねてくる。ノイレスと二人、揃ってザイルの視線の向かっていた先へと顔を向けた。
皇宮の二階にいるため少し距離があるが、中庭に見えるその姿は、間違いなくゼイラルで。彼はどこか見覚えのある一人の男と何やら話し込んでいる様子だった。
そんな二人の姿に「ああ」と呟いたのは、言葉を紡ぐこと自体が珍しい、亜麻色の髪の男であった。
「あれ、ゼイラルの新しい客人ですな。近頃、よく話しとるようです。何でも、どこかの貴族の家の使用人とかで、ゼイラルに頼みごとがあるとか何とか」
ぽつぽつと、どこかぶっきらぼうな様子で呟くノイレスの言葉を聞きながら、ザイルはジェイルの方へと目を向ける。彼はザイルの視線にすぐさま気付き、頷いて見せた。
彼らの視線の先にいる、ノイレス曰く、どこかの貴族の使用人は、先日、茶会の前に言葉を交わしていた、ラテルティアとゼイラルの様子を見ていた、あの男だった。
「分かったのか?」と、ザイルが短く訊ねれば、ジェイルは「もちろん」と言って頷いていた。
「やはり、というべきか、彼はキルナリス公爵令嬢、メラルニア嬢の従者の一人です。確か名前は、ネリアス。先程の報告にあった男爵家の次男だったかと」
ジェイルはそう簡単に言うが、報告にあった男爵家がいくつかあったため、正確にどの家の次男なのかまでは分からなかった。その点は、後でまた聞けば良いだろう。問題は、彼の出自ではないのだから。
「……なぜ、ゼイラルがあの男と接触している?」
調査を続けているからか、それとも。
考えながら首を傾げるザイルに、「だから、頼みごとですよ」と、ノイレスが答えた。
「あの男の主人のことで、頼みごとがあるらしいですわ。そのせいか何か知らんが、ゼイラルも変な薬を欲しがっておりましてな。私も、少し心配しとる所ですわ」
溜息交じりに言う彼の言葉に引っ掛かりを覚え、「変な薬?」とザイルは問い返す。ノイレスは頷くと、「そうですわ」と呟いた。
「痺れ薬や媚薬なんかはいつものことなんですがね。……あいつ、私が調合した特別製の薬を欲しがりましてな」
ノイレスが統括者を務める研究施設の植物部門では、その特性上、薬品部門と合同で様々な薬品を作り出していた。彼が今口にした、痺れ薬や媚薬などは、おそらくゼイラルが普段、相手から情報を聞き出すために所持している物だと思う。あまり薬の力は頼らないと言っていたが、どうしてもという時の奥の手として、持ち歩いているのだと聞いた。だからあまり不思議には思わなかったのだが。
「特別製の薬?」と訊ねたザイルに対し、それに答えたノイレスの言葉に、ザイルは思い切り眉根を顰めることになった。ザイルも、そしてジェイルも同じような顔をしている。困惑と驚愕が入り混じったような、奇妙な顔である。
「なぜ、あいつがそんなもんを……」
ぼそりと言えば、ノイレスは「そんなもんとは酷いですな」と心外そうに言ったけれど。彼自身もやはりゼイラルの考えはよく分からないらしく、お手上げとでも言うようにひらひらと両手を上げて見せた。
「いずれにしろ、何か考えあってのことかと思います。あいつは、殿下の意に添わぬことはしませんから」
ノイレスは、「では、私はあいつを呼んで帰りますわ」と言葉を続け、踵を返した。ザイルは背後にいた従者と護衛に声をかけ、ノイレスを皇宮の外へと送り届けるよう告げる。後に残ったのはいつも通り、ザイルとジェイルの二人だけ。
ジェイルはまた視線を窓の外へと戻しながら、「ノイレス様の仰った通りかと」と、呟いた。
「ゼイラル様に限って、殿下を裏切るようなことはなさらないでしょう。何か探っておいでなのだと思いますよ」
「……分かってる」
おそらくは誰よりも、自分が理解している。ゼイラルが自分に害を為すようなことはまず有り得ないと。だからその点は、特に心配していないのだけれど。
……何だ。妙な感じがする。メラルニアが関わっているからか。……あいつが関わっているとすれば、もしかしたら。
ラテルティアの身に、何かが起こるかもしれない。
護衛の数を増やしておくべきだろうかと、そんなことを思いながら、ザイルはしばらくの間、言葉を交わすゼイラルとメラルニアの従者だという男の方を眺めていた。
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